41 隠し部屋にて
あの後、レインの部下に誘導して貰い私達はただひたすら回廊を駆け足で進んで行った。地下のためか左右の壁には窓はなく自然の光が全く届かない。
けれども、壁に設置されている燭台の灯によりほんのりと足元が照らされているため、難なく行動する事が出来ている。
――しかし、何なのかな? これ……
私は足を進めていく中で、視界の端に過ぎ去っていく壁が気になって仕方がなかった。不思議な事にこの廊下は、まるで教会や場内で窺えるような壁画が見受けられるのだ。こんな所に何故?
しかも、草原を自由に駆け巡る羊の群れなど、実に自然的で爽やか。
人身売買のアジトには不釣合いだ。
――というか、そもそもここはどこ?
そのため、私は先頭で皆を誘導してくれているアッシュへと尋ねる。
「あの、ここはどこなんですか……? 王都?」
「えぇ、そうです。ここは町はずれの商会の建物にある地下隠し通路ですよ。表向きは倉庫。人身売買用に作られたようです。ここからだと荷物に紛れ込ませれば、難なく他国へ運べますから」
「なんて卑劣な。あんなにいい人ぶって人々の信頼を勝ち取って! 子爵が捕まって良かったわ」
「いえ、それがまだ。子爵だけが見つかっておらず捜索中なのです」
「え? それってまずくない? 逃げられたって事?」
「レイン様は、まだここにいると踏んでい…――」
突然何の前触れもなくアッシュの言葉尻が弱まると共に、私が追っていた背がぴたりと止まってしまう。そのため危うく激突しそうになってしまったが、なんとかバランスを整え踏みとどまった。
「どうしたの?」
「妙なんですよね」
「壁画のこと? 確かに思うわ」
「えぇ。その件もですが、そこにある燭台。あれも引っかかるんです」
そう言ってアッシュは視線を左手上部の壁にある燕を模した燭台へと向ける。そこにある蝋燭にだけ、忘れたのか明かりは灯されておらず。
私が見る限り至って普通のため、引っ掛かりを覚えるうようなものではない。
だが、凡人と違いアッシュは蒼竜騎士団。長年の経験から何かを感じ取っているのだろう。すぐにその壁付近を見落としているものがないか念入りに眺めている。
「もしかしたら、隠し部屋のようなものがあるかもしれません」
「隠し部屋? 人身売買で稼いだ財宝でも隠しているのかしら?」
小首を傾げていると、すぐ隣に居たイアちゃんが何かを思い出したかのように、「あっ」と漏らす。それに私とアッシュ、それから後方を着いてきた少女達の視線が集中的に注がれた。
「どうしたの?」
「うん……それが、あの部屋には時々見張りの男達がくるの。その人達が、子爵はまた燕の部屋に籠っているって言っていたわ」
「私も……お気に入りの人形達とお楽しみ中って……」
「あっ、それ私も聞いたわ」
イアに続くように、証言者が口を揃えた。
「やはりこの辺りに隠し扉があるかもしれません。そこにまだ被害者がいる可能性が」
アッシュは壁に触れ、何かを探るようにその細く日の当たってなかったような手をずらしていく。それを少女達がただ見守っている。
絵だけ見れば、メルヘンチックで可愛らしい。大草原でのびのびと草を食べる羊。その頭上には雲かかった青空。それなのに、犯罪に利用されているとは。
――手伝った方がいいかしら? でも、誤って罠でも作動させたら迷惑になるし。
立ち止まったせいか、急速に足が重くなってしまった。長時間拘束されていたせいか、むくみも酷く足が風船のよう。
家に帰ったらマッサージして貰おうと思いながら、一人そこから離れ反対側の壁へと向かう。
凭れかかりながらしばし休息。これからどれぐらいで地上に出られるかわからない。そのため、休めるうちに休んでいた方がいいとふんだ。
「疲れたわ……あら?」
ふと何気なく自分が凭れ掛かっている壁沿いへと視線を向ければ、絵の中に青い蝶が飛んでいるのが飛び込んできた。
夜光蝶と呼ばれているせいか、妙に惹かれてしまう。そのため、それに吸い寄せられるように私は左手を伸ばして蝶を捕まえた。
すると、
「扉が開いたわ!」
「大丈夫!?」
と少女達のざわめきに一瞬だけ前方へと視線を向ければ、今まで触れていた壁の感触が消えそのまま浮遊感を感じてしまった。
かと思えば、壁が消えてしまったかのように、そのまま後方へと倒れ込んでしまう。そしてあっという間に、後頭部や背中に激しい痛みが襲ってきた。
「――ったい!!」
言葉にならない声を発しながら、私が状況を把握しようと視線を向ければ、そこは先ほどいた回廊ではなく天井も壁も白で塗りたくられた部屋だった。
「……え? 何、ここ?」
ゆっくりと起き上がると、頭へと手を伸ばして撫でる。
やはりぶつけた個所がぽっこりと盛り上がっていた。どうやらたんこぶが出来てしまったらしい。
――後頭部って打つとやばいんじゃないっけ……? いや、でもたんこぶ出来ているから大丈夫なのかな……? あぁ、でもとにかく戻らなきゃ……
痛む頭を押さえながら立ち上がれば、正面には聳える壁が。
頭に浮かんだのは、隠し部屋の存在。
「嘘でしょ……」
取りあえずどこか出口を……と、体の向きを壁側から部屋の中央へと変え言葉を失った。
そこは黄金の世界だったのだ。
天井まで積み上げられた金塊と銀塊。まるで山。それから宝箱から溢れている宝石類。ここにあるものを全て売りはらえば、将来遊んで暮らせることが約束されるだろう。
まず、そこまではいい。けれども、余計な者までいた。
「最悪。やっぱり悪い霊でも憑いているの……? それとも逆に見つからない人物を見つけて運がいいの?」
そこにいたのは、蒼竜が絶賛捜索中の大本であるシンス子爵だった。
屈み込み足元にあるボストンバッグへ金貨などを詰め込んでいる真っ只中だったようで、そのままの態勢で目を大きく見開いている。
だがすぐさま獲物を見つけた肉食動物のように、目を細めるとにやりと嫌な笑いをした。
「お前、どうしてこの隠し部屋がわかった? ……あー、面倒だ。一刻も早く逃げなければならないから殺す時間さえ惜しいというのに」
そう言って彼は、懐を漁りながらセラフィへとの距離を詰めてくる。馬車の時と同じように飴でありますようにと願いたいが、シンス子爵が手にしていたものは、鈍い輝きを放つ細長い物体だった。
それは短めのナイフ。小さくても頸動脈を切るなど、いたぶり殺すことは簡単に出来る代物だ。
「来ないで!」
丸腰の人間と武器を持った男。勝てる要素なんて微塵もない。そのため咄嗟に逃げ道を探すが、あいにくと扉がシンスの後方で私を手招きしている。
それでもわずかな願いを込め様子を窺いつつ隙を探す。
彼が足を踏み出し近づく中、私は壁側を全速力で駆けだし、扉の前へと辿り着くのに成功。そして取っ手を掴んで勢いよく引っ張った。だが、無情にも部屋の外へと出ることは出来ず。
「嘘でしょ!? 鍵っ!」
「ちゃんと内鍵かけているに決まっているだろ。君は馬鹿なのか」
その降り注ぐ言葉に私は現実逃避気味に瞳を閉じた。
逃走経路は塞がれ心も体も絶望に染め上げられてしまい、諦めに走ってしまったのだ。だが、その時だった。まるで諦めるな! とでも励ますかのように、天井がミシリという音とともに崩れ落ちてきたのは。
「……は?」
反射的に顔を再び室内へと戻せば、シンスと自分の間に天井の一部だったと思われる砕けた破片が散らばっていた。それから――
「お前、正気なのかっ!? 普通壊すか?」
「仕方ないじゃないですか。だって、隠し部屋の開け方がわからないんですから」
「だからって火薬で爆破って……こっちまでぶっ飛んだからどうするんだよ」
「別に私は逃げ切れますので」
「なんだ、それ! 俺がとろいみたいな言い方するな。というか、どっから火薬持ってきた?」
「黙秘」
「黙秘じゃない。おい、答えろ。まさか、騎士団の武器庫からじゃないだろうな?」
もくもくと煙のように立ちのぼる塵の中には、二つのシルエットが浮かんでいる。しかもそこからは耳馴染んだ声も聞こえてきた。