37 マリーを探す者
「――……へぇ。スレイがアトリア様のような女性が好みだったとはな」
私の正面の席へと腰を下ろしているベリル様は、テーブル上に置いてある籠へと手を伸ばしながらそう告げた。籠の中にはバターの香ばしい匂いを漂わせた焼き菓子が。
ほんの少し前まで青く晴れていた空は、すっかりと紫を含んだ橙色に移り変わりグラデーションを描いている。子供達もそろそろ家へと帰宅するような頃だろう。
そんな時間帯のため、窓から差し込む光が室内にいる私達三人の影を作り出している。
ベリル様はどうやら開催されたお茶会が気になっていたらしく、帰宅早々、私の部屋へと真っ直ぐやって来て開口一番に「どうだった?」という言葉を発した。ここ数日あまりその話題は触れて来なかったが、どうやら内心では心配してくれていたのかもしれない。
「それで? アトリア様のお陰で何かわかったのか?」
「勿論。アトリアの演技にころっと誰かさんが騙されてくれたお陰でね。しかもありがたいことに、わざわざ証拠付きで提示して下さったの。私が頼んでも言う事なんて全然聞いてくださらないのに……ねぇ、酷いと思わない?」
「まぁ、好みのタイプなんだから仕方ないんじゃないか。結構、スレイも単純なんだな」
「えぇ、本当に」
あの気遣いと優しさをほんの少しでも私に分けて欲しい。
まぁ、夜光蝶は真逆なタイプらしいのでそれは無理そうだが……
「それで? その証拠とやらはなんだったんだ?」
「写真よ」
私は傍に控えているレダへと顔を向ければ、彼女は軽く一礼。
音も立てずにこちらへとやってくると、手にしていた封筒をベリル様へと差し出した。それはゴールデンガラー社の社名入りの茶封筒。
ベリル様はそれを受けとるとすぐに中のものを取り出す。すると、それを捉えた彼の灰色の瞳がこれ以上ないぐらいに大きく見開いてしまう。
「確かにな。これは大スクープだ……」
「他社へのリークは禁止だと一応念を押されたわ。これが世に出れば大変な事になりますものね」
「……だろうな」
写真に写っているもの。それはレグスと美しき女性が体を密着させ親密そうに映し出されている光景。
彼の表情は目尻を下げ蕩けんばかりの笑顔で、惚れているのが容易く判明。
どこか外から撮影されたものなのだろうか。窓枠越しに彼らが写っている。
完全に盗撮だ。
明日は我が身としては、なかなか恐ろしい。屋敷の警備を厳重にしているが、侵入されて勝手に写真を撮られでもしたら迷惑。万が一にもスッピンが掲載された日には外には出られなくなるだろう。
私への慈悲が一切ないスレイなら平気でやる。そして次の日には一面記事に。
「相手の女は……ディス伯爵夫人か」
「あら? お気づきになられました?」
「彼女もまた有名だからな」
ディス伯爵婦人。その豊満な体と男心を自由に操り、魅了している。婦人には愛人の噂もあり、もしかしたらレグスもその一人なのかもしれない。
ディス伯爵とグラン伯爵は険悪な仲。色々と意見がぶつかっているのに、この写真……
双方の家を揺るがすぐらいのスキャンダルだ。
とにもかくにも疑わしい時刻には、彼はこのように写真という決定的な証拠がある。スレイの時計が狂っていなければ、これは確固たる証拠となるだろう。
「写真の通りにどうやらレグスは、ディス伯爵夫人の事を深く愛しているようです。実に良い顔していますわ。まさか、あの女好きにこんな真実があるとは。もしかしたら、女性に対してのあの傍若無人さは、うまくいかない恋愛の反動なのかもしれませんわね。巻き込まれた側としてはたまったもんじゃありませんが……」
「あの女に軽い男にそんな背景があったのか。人は見かけによらないのはお前で学習したが、まさかあいつもだとは……」
「ちょっと待ってくださらないかしら? 私、流れ弾なのですがっ!」
「お嬢様。それは置いておいて下さい。とにかく、レグスにはアリバイがあります。ですので、彼を犯人候補から下げてもよろしいのでは?」
「人を使ってということは?」
「考えられなくはないですが、こういうタイプはそこまで頭回らないと思います。現に町中という目立つ場所で、お嬢様を馬車の中へと引きずり込もうとしたぐらいですから」
「……だろうな」
レダに同意するとベリル様は深い嘆息を零す。そして写真を封筒へと仕舞い込みレダへと渡した。
「それでベリル様達の捜査状況はいかがですか?」
「あぁ、それがうちから蒼竜に捜査権が変わった」
さらりと単調に言ってのけたその台詞。それに私は眉を顰めた。
「それは正式にレイン達の管轄になったということかしら?」
蒼竜騎士団とは、対特殊犯罪に対して作られた騎士団だ。武術に優れた者だけでなく、魔術にも優れた者を採用。しかも、誰が在職しているかすら謎。特殊任務のため、存在しているが無いに等しいもの。彼らは影だ。
「そういう事だ。だから、お前はもうこの件には関わるな。これは、レイン様からの伝言でもある。お前が約束を破ったら、俺にお前の闇歴史をレイン様が教えてくれるらしい」
「……最悪」
レインとの付き合いは、それこそ私が生まれた頃からだ。そのため、闇歴史を書籍に出来るぐらいに握られている。
「でも、犯人は少しずつ絞り込めているから、もうすぐだと思うの」
「セラフィ」
急に強めに名を呼ばれて、胸が大きく跳ね上がる。
「な、なに……?」
「少しは自分の事も考えろ。もし、お前も巻き込まれたらどうするんだ?」
「そうですよ。お嬢様。蒼竜が出たのならば巨大組織。そしてこの国だけでなく、他国も関わっている可能性があります。危険です」
ここに来てレダまでそうベリル様に同意するように口火を切る。
わかっている。自分が何の役に立たないことも。それでも割り切れない。友人がそれに巻き込まれているかもしれないのだ。
「十三から十八歳までの女。しかも、童顔系の可愛いらしい顔立ち。それが失踪者の共通点だ。やはり人身売買関係の線で合っているだろう。だから余計近づくな。お前もスッピンなら一応ターゲットに近い部類。しかも愛玩としてはかなりのレベル。もう手を引いて蒼竜に任せておけ。……というわけで、当分お前は外出禁止だ。あと、スッピンも禁止。厚化粧しておけ」
スッピン禁止って、化粧って落とさないと肌にダメージが……
+
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「……外出禁止と言われたばかりで外出って怒られるかしら?」
「バレたら怒られるでしょうね」
昨日、ベリル様に外出禁止を命じられたばかりなのに城下町を歩いている。しかも、スッピン。
勿論、何か新しい情報があるかどうかを探るためだ。そのため、針鼠と歯車へ。
店の扉を開け仲へと足を踏み入れれば、「いらっしゃいませ!」という可愛らしい声が耳朶に届いた。
「あっ! マリーちゃんにレダさん。いらっしゃい。まだ昼前だからご覧の通り、がら空きだからどの席でも大丈夫よ」
ウェイトレスのナサちゃんが出迎えてくれて、私達を席へと促してくれた。
「カウンターでお願い。ねぇ、イアちゃんの件についてなんか情報あった?」
「ううん。それが何も……早く見つかるといいのだけれども……」
表情を曇らせたナサちゃんは、肩を落とす。だがすぐに弾かれたように顔を私へと向けた。
「そうだ! あのね、マリーちゃん忘れ物してない? 前回の噴水前広場清掃の時に」
「え?」
そんな事を急に言われても、全く思い出せず。
そのため私は、顎に手を添えしばし思案。でも、全くかすりもしない。
「実はさ、この間そこの教会前で声かけられたの。忘れ物を拾ったって」
「たぶん、忘れ物なんてしてないと思うけど……人違いじゃないかな?」
「それが蜂蜜色の髪で紫の瞳の少女を知らないか? って言っていたから、多分マリーちゃんの事だと思う。珍しいからすぐわかるし。その忘れ物を私が預かりますって言ったんだけど、直接渡したいからって……」
なんだろう? 本当に心当たりが全くない。それにもし忘れ物をしていたとしてもナサちゃんに渡してくれてもいいって思うのだが。
小首を傾げている私の隣で、無言のままのレダ。それがとても不安になってしまった。