35 それぞれの距離感
「……やっと眠ったな」
寝台にて眠っているセラフィを眺めながら、そう呟きを零した。
すぐ傍にあるサイドテーブルには鈴蘭を模したランプが置かれ、その淡い夕日色をした灯により、うっすらと化粧が崩れあどけなさが浮き彫りになったその表情を浮かび上がらせている。
セラフィをここへ運んで来たけれども、なかなか眠てくれず。
気分が高ぶっていたのか、ただ「ごめんなさい」と繰り返すばかり。それに何度、胸を抉られそうになった事か。
今にも消えてなくなりそうなセラフィに、俺はたまらず彼女の手を握り締め、「大丈夫だ」と告げながら寝台に腰掛けずっと付き添っていた。
どれぐらい時間が経ったのかわからないが、泣き疲れたらしくやっと寝てくれたようで今に至る。
しかし、セラフィの両親は一体何を考えているのだろうか?
まるでセラフィの事を金脈のようにしか感じていないようだ。
そんなに自分達が大事なのだろうか。血の繋がった自分の娘よりも――
「……なんとかならないんですか?」
ぽつりと薄暗い室内に、レダの声が浸透するかのように伝わっていく。
その声の方向へと視線を向ければ、寝台の左手にある窓付近。壁にもたれ掛かるようにしながら、こちらを見据えている。あまり感情を表に出さないレダにしては珍しく容易く苛立ちが見て取れるぐらいに感情的だ。
「それはセラフィの両親をという事か? なら難しい。相手は旧貴族だ」
「旧貴族なんてどうでもいいじゃないですか。カストゥール家なんて潰してしまえばいいのに」
「それは俺だって思っているが、公爵を始めとしたセラフィの祖父母と親交のあった人達の反対が多いんだよ。その人達にとっては、まだ思い入れがあるんだろうな」
「それじゃあ、お嬢様はどうなるんですか?」
「わかっている。だが、旧貴族に関しては俺も手を出せない。一応、何か策があるかあたってみるが……」
可能性としては薄い。旧貴族に関しては金も地位もある連中古株貴族。未だに政に関して強い権限を持つ者達も多い。従って旧貴族は本来ならば、なくてはならない人々。カストゥール家が例外なだけだ。
「それよりも、今はセラフィの指輪だ。あれ、まだカストゥール家にあると思うか?」
「あるわけないじゃないですか。とっくに売っぱらっているに決まってますよ。見積もりして一番高い所に」
「……だよな」
「調べますか?」
「いや、いい。お前はセラフィが落ち着くまで傍にいてやれ。調べるのはこっちでやっておく。フォーマルハウトの方が得意分野だ」
俺は深く嘆息を零すと、セラフィへと再び顔を向けた。
――……今度、レイン様に相談しにいってみるか。
ただ、あの方も策があるならとっくに動いているはず。だから、あまり期待は出来ない。
とにかく、今の俺に出来る事はセラフィと両親を会わせないようにさせる事だ。
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ベリル様に泣き顔を見られて、一週間が経った。
最後に泣いたのは、祖母の葬儀の時。それ以来、久しぶりに泣いた気がする。
あの時は、泣きじゃくる私の傍にレインとアトリアがいたっけ……
二人共何も言わずにただ、抱きしめてくれていた。
私が泣いているのを見てベリル様も大層驚いた事だろう。
実家の事も知られてしまったし。
それなのに、彼は何も言わない。どうしてなのだろうか……?
私はそんな事をぼんやりと思いながら手にしていた卵サンドを口元まで持っていくと、悟られないように嘆息をこぼす。
いつもの午後のティータイム。窓際からは晴れ渡る空を自由に飛び回っている鳥たちが、軽やかな音色を奏でてくれているが鬱々とした気分は抜けない。
バルコニーに設置している、鉄製のテーブルとイス。
テーブルの上には、卵サンドの他に小さめのカップケーキなどが並べられている。いつもは空いているその席に、今日は人が座って優雅にお茶を堪能していた。
それはベリル様。彼は休日らしく、ふらっと私の私室へ訪れ何故かこうやってお茶を共にしている。
「あの……先日の事ですが……」
ベリル様の態度は、あれから変わらない。けれども、距離感が縮まったような気がする。
なんというか、自分を気にかけて下さっているかのように感じてしまう。
今日もこうして、お茶を一緒にしてくれているし……
「なんのことだ?」
ベリル様は眉を顰め、私へと視線を合わせる。
「私が泣いていた時の事です」
「あぁ、顔が溶けたかのようになっていたあの時か」
「そこには触れないで下さい!」
「自分でほじくり返したんだろうが。あれは見なかった事にする。それよりも、俺宛てにアトリア様から手紙が届いた」
「アトリアから?」
「あぁ」
ベリル様は頷くと、ティーカップをソーサーに置く。
「お茶会の話だ。お前、アトリア様にお茶会の主催を打診されているらしいな」
「え? あぁ、そうだったわ。すっかり忘れてしまっていた……」
それどころじゃない状況だったため、全く頭を掠める事はなかった。
指輪の事で頭がいっぱいだったから、その件に関しては忘却の彼方へと消え失せてしまっていたのだ。
お茶会の件、本来ならば屋敷の主であるベリル様に報告しなければならなかったのに。
きっとお母様が屋敷に訪れたのを知らないアトリアが、攻めるならベリル様から! と、彼に手紙を出したのだろう。
「お嬢様。忘れていましたね?」
飛んできた呆れているレダの声に、私は「うっ」と言葉が詰まった。
「やればいいんじゃないか?」
「旦那様。そうおっしゃいますが、先立つものを下さらないと」
「ちょっとレダ!」
「初日に言ったはずだ。欲しい物や必要な物があったら、マダンに言えと」
「……はい」
「それで? 茶会の主催の件は大丈夫なのか? お前、お茶会なんて出席した事もなさそうだしな。キャラ的に」
「アトリアみたいに言わないで下さい。確かにそうですが! 私は現状のままで問題ないと思っています。ですが、アトリアがみんなが色々噂しているので、ここで私が幸せだという事をアピールするべきと……」
「まぁ、確かに言われる通りだ。そしてゴールデン・ガラー社のネタになり、一面飾られるな」
「やっぱりそう思いますか? 呼ばざる客なのに絶対に来ますよね……」
私は深い嘆息を零すと、手にしている卵サンドを口に招いた。
だが、ゴールデン・ガラー社も、悪い面ばかりではない。
夜光蝶のイメージが浸透したというプラスの面もある。
――でも、流石に鬱陶しいのよね。八割虚偽だし。
「お二人を掲載すると記事の発行部数あがるって噂ですからね。狙われるのは当然です。影響力もありますし」
「まぁ、ベリル様はあると思うけど、私は皆無よ。アトリアなら貴族令嬢達の憧れの的だけどね」
「それが意外な事にお前も令嬢達に影響力があるんだよな。現にうち――フォーマルハウト商会にも問い合わせがある」
「どういう事かしら?」
「お前が使っているやつが欲しいと。主にドレスや宝飾品とかだな。後は化粧品」
「私って女性に嫌われていると思っていたのに……」
男に媚びを売っているとか、散々言われて来たからちょっと嬉しい。
顔が緩むのを抑えきれず、私は自然と頬が染まる。
それなら、新聞の一面掲載も悪くないさえ思えてくる。どうやら自分は単純な性格のようだ。
「私って、実は内なるカリスマ性があったのね。我ながらびっくりだわ」
「……スッピンで町歩いて気づかれないのに、よく言えるな」
「お嬢様は、年中頭の中が春ですので」
自分の知らない他人の反応に驚いていると、軽やかな声に二つのツッコミが入ってしまった。




