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33 夜光蝶と楽園蝶

現実というものはどうしてこうも残酷なのだろうか。

つい先ほどまでアトリアが座っていた席に、世界で最も苦手な人物が座っているのだから無常すぎる。

私は強張りかけている表情筋を騙すように、ティーカップを唇へと触れさせる。

すると茶葉の深く芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。それをゆっくりと傾け、胃へと流し込む。


――美味しくない。


舌に残る苦みに、ますます気が落ちてしまう。

それでも相手に飲まれないように見据えれば、濃いラベンダーの瞳とかち合いった。

お互い何も語らず、探るようにただ交わる視線。

静寂が包む中、最初にそれを破ったのはお母様・ミレーヌだった。


「さすがはフォーマルハウト家ね。家具類も一級品ばかりだわ。見ていても飽きない」

お母様は艶っぽさを含んだ声音で言葉を発した。綺麗に纏められた金糸のような髪は、日の光により輝き、耳や首元に付けている大ぶりな宝石で作り上げられた装飾品にも負けず。

胸元が大きく開いた真紅のドレスは、白く滑らかな彼女の豊満な体をより魅力的に見せるには最適。

知っているのだ。自分を魅力的に見せる術を――


そのまま夜会に出席しても問題ないぐらいの華やかさ。大抵の男ならば、彼女に溺れるだろう。まるで夜光蝶と呼ばれる私の真似。

いや、違う。私が全てを模倣したのだ。何年とかけて、仕草や雰囲気を全て研究し、作り上げたのが夜光蝶。彼女の娘として認めて貰うため、そして自分を守るために。


「何かご用でしょうか? お母様」

巧笑を浮かべながら私は尋ねた。


「特に用はないのよ。ただ愛娘の顔が見たくなったの。迷惑だったかしら?」

小首を傾げながら訪ねるその表情は、年齢を重ねているのに蠱惑的。

きっと自分が異性ならば、それに見惚れてしまうだろう。

過去の男性遍歴も去ることながら、今も愛人として男を囲っている。その中には私と年の近い者もいるという噂だ。


「いいえ。ですが、突然いらっしゃるのはやめて頂けませんか? なにもお構いができなくなってしまいますので」

「構わないわ。親子なんですもの」

何が親子だ! 今までしてきた仕打ちわかっているのか! と心情をぶちまけてしまいたくなったが、それを堪えた己の精神を褒め称えたい。


「申し訳ないのですが、私もいろいろと忙しくて。単刀直入にご用件を言っていただけませんか?」

これからあの毒々しいぐらいまでに真っ赤な唇から紡がれるのが、楽しい話ではないことぐらいわかっている。だからさっさと済ませて退席して欲しい。


「まぁ、残念だわ。久しぶりに母と子の時間を楽しみたかったのに……そうよね。貴方はもうフォーマルハウト家の人間。婦人としてやる事もあるわよね」

ざわりと体中を言い知れぬ不安が走った。

心臓がどくりと一度高く跳ね、無意識に膝の上に添えている自分の手が強張った。


「少しばかり支援して欲しいの」

「支援? 一体何を……まさか……っ!」

怒号に近い声を上げ、私はお母様を見た。すると、わずかに口角が上がったかのように見える。まるで蛇だ。最後の最後まで餌を丸呑みに養分にするように、彼女達は自分を搾取するだろう。

同じだった。屋敷を出ても。自分はいつになったら解放されるのだろうか……


「そんな自由になるお金なんてないわ! 第一、借金はすべて支払われたはずよ。それにお金の関係なら、私ではなくお父様に相談されるべきです」

「あら? あの人も私と同じ意見よ。セラフィの元へ行けとおっしゃった張本人だもの。あぁ、そう。それからあの人も新しい事業を起こしたいそうなの。だから、その分もお願いするわ。私は新しいドレスと宝石が欲しいし。それにスーリと過ごす新しい別荘も買いたい。貴方にとっても可愛い弟でしょ?」

「私も貴方達の娘ではないのですか?」

「えぇ。可愛い娘よ。何を言っているの?」

わかっている。所詮こんな人達だということは。私にとって害にしかならないということも。心のままに叫んで罵倒できればいいのに。

それでもどこか心の奥底で願っていた。いつかお婆様達のように、接してくれるようになるって。

思考も何もかもが絶望に染まっていく。

頭を殴られたかのように、くらりと体が揺れ動いたが、

「お嬢様」

というレダのお蔭で我に返った。


すぐに態勢を整え、いつもの表情を貼り付けた。

しっかりしなければならない。そう自分を奮い立たせる。


「申し訳ありませんが、金銭管理は旦那様へお任せしております。ここでベリル様にせびりますか? 出来るわけないですよね。庶民になんて。貴方達は、プライドの高い貴族ですもの」

「そうね。金は持っていても、所詮は庶民。だから……」

お母様は視線を私の後方へと向けている。それに気づき振り返ると、そこは飾り棚があった。そこには手の込んだ宝石箱のようなものや陶器で出来た人形時計などが飾られている。


――まさか、最初からこれが目的……!


「フォーマルハウト家の二男とはいえ、やはり良質な物が揃っているもの。全てとは言わないわ。何か一つだけいただいても構わないでしょ? こんなに沢山あるんだもの」

「ベリル様は騎士です。この屋敷の物はそんなに価値がありません」

こんな見え透いた嘘で引き下がるとは思えない。けれども、今自分にはこの女を引き留める話術が皆無。それでも止めなければ。ベリル様に迷惑をかけるわけにはいかないのだから。


「あら? セラフィったら、知らなかったのかしら? ベリル=フォーマルハウトは騎士でもあるけれども大投資家の一人なのよ?」

全く知らなかった。

自分の仮の夫とはいえ……


「それに、フォーマルハウト商会の役員の一人でもあるわ」

「調べたの……?」

「謄本を見ただけよ。庶民でも義理の息子ですもの」

そう言って立ち上がると、室内へと視線をさまよわせながら足を進める。

まるで店内で買い物をするかのように、楽しそうに一つずつ手に取り品定めをしていた。


「あら、これなんて素敵」

そう言って飾り棚からとある物を取った。

それは数種類の宝石を組み合わせて作り上げられた蝶を模したオルゴール。


「やめて!」

すぐさまその手中の奪おうと立ち上がり手を伸ばす。だが、すぐにその行動を制止されてしまう。

それは左腕を掴んでいる人物によって。

おそるおそる腕を辿りその主へと向ければ、禍々しい雰囲気を纏ったレダの姿があった。


「いい加減になさったらどうですか? お嬢様は貴方の金づるではありません」

はっきりと壁の奥まで響きそうな声。それには殺意が込められているのが、私には感じた。


「侍女風情がこの私に意見するなんて。落ちたものね。一体、何様のつもりかしら? セラフィと私は親子。だから部外者は関係ないわ」

「似ていません。うちのお嬢様は夜光蝶ですが、貴方は蛾です。いえ、そんな言い方失礼ですね。蛾に対して。申し訳ありません、蛾」

その言葉に、お母様の顔は醜く歪んだ。


「私は自分の主を守るだけです。貴方が貴族だろうが、母親だろうが関係ない。即刻お嬢様の前から消えてくれませんか?」

「使えない侍女は不要よ。私が新しい侍女を探してあげるわ。さぁ、貴方は首よ」

「貴方に私を首にする資格はありません。私と雇用関係を結んでいるのは、ここの主である旦那様。貴方がいつ私へお給金払って下いましたか? 一銭も払った事なんて無いくせに」

「これだから庶民は嫌なのよ。私たちの尊さがわからないから」

「貴方のどこがどう尊いんですか? マリー様の遺産をお嬢様から奪い、食事もまともに与えず放置。そして借金の代わりに愛人いっぱいの豚男へお嬢様を妾にさせる予定まで立てておいて?」

そのレダの台詞に私は固まった。


――愛人沢山抱えている男の妾ですって?


「待って。それ、どういうこと?」

「そのままです。ベリル様との縁談がなければ、お嬢様は売られるところだったんですよ。ブラッダル侯爵とこの女に」

「そんな……」

体中の力が抜け落ち、その場に崩れ落ちる。一瞬にして仮面が砕けた。ベリル様との結婚がなければ、自分は今頃――


「……勿論、その前にお嬢様と逃走するつもりでしたので、その計画は失敗したはずです」

「あらぁ? 困っているなら、家族が助けあうのは当然よ」

クスクスと笑いを零しながら、お母様がこちらへと近づいてくる。

それをレダが壁になって遮ってくれた。その頼りになる背を見て、私の視界がだんだん滲んでいく。


「ふざけないで。だったらお婆様はどうなの? 貴方達はずっとお婆様を蔑ろにしたくせに!」

その心からの叫びは届かないだろう。こんなに近くにいるのに。


「おばあ様……? あぁ、あの薄汚い庶民女の事かしら? 田舎くさかったわ」

「――っ」

「そういえば、貴方いつもあの女の指輪をつけているのね」

ふと思い出したように告げられた地獄の言葉。それにさっと手の平で親指を隠す。


「今日はそれでいいわ。売れば高くなりそうだし」

「冗談じゃないわ! これは唯一お爺様とお婆様と繋がっている物なのよ! これを奪われたら、私には何も残されなくなってしまう!」

祖母の遺品は全て両親に処分された。汚らわしいと言われて。

祖父の遺品も同じだ。あの時は祖母と共に屋敷から離れに追い出され、本館にあった祖父の物は残らず奪われ売られてしまったのだ。


「……なら、仕方がないわね。この部屋にあるものを頂いていこうかしら?」

まるで歌を歌うように軽やかに告げたのは、遠回しの恐喝。

ロロ様に逃げられた今、ベリル様との間で結ばれたあの約束は無効に近い。それなのに、厄介になっている。これ以上この家に迷惑をかけるわけにはいかない。

私は睫毛を伏せ唇を噛みしめた。鉄のような苦みが広がる口内。

握り締めた拳のせいで、爪が肌に食い込むが感覚が麻痺しているのか、痛みを感じない。


「他の部屋には、もっといいものがあるかもしれないわね」

「……わかりました」

「お嬢様!」

苛立ちを含んだレダの声に、私は首を左右に振った。もう何も言わないでと。

ゆっくりと指輪を抜くと立ち上がり、レダの横をすり抜けお母様へと差し出す。


「ありがとう。やっぱり持つべきものは娘ね。では、そろそろ帰るとするわ。スーリが待っているもの」

そう言って扉を開け廊下へとお母様が消えていく。

完全に室内から退出したのを見届けると、私の意識が真っ黒に塗りつぶされた。






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