32 突然の来客
屋敷の応接室にて、私は思いっきり顔を顰めていた。
それは前触れもなく現れた来客が告げた言葉が原因だ。
「――お茶会ですって?」
そう訊き返すと、ソファに優雅に座りながら対面している人物へと瞳を向けている。
「えぇ。皆さんに是非ってお願いされているの。セラフィは絶対に無理でしょ。ほら、キャラ的に」
そう言ったのは、テーブル越しに座っていたアトリア。彼女は、頬に手を当て深い嘆息を漏らした。
憂いを帯びたその表情がなんとも見る人の心を痛ませる。
今は人払いをしているために、私とアトリア。そしてレダ、アトリア付の執事のみ。
そんな勝手知ったる間柄のため、幾分か気を許しているため口調も砕けている。
「はっきりキャラって言わないで。……というか、どうして急にそんな事を言い始めたのかしら? 今まで参加した事も主催した事もないわよ。私」
「暇なんですよ。ご令嬢達は」
それに返事をしたのは、アトリアではなくレダ。
ワゴンの上からブルーベリーがふんだん使用されたタルトをテーブルへと並べながらそう告げた。
初雪のように清らかな白い皿は、雪の妖精という名のアトリアにふさわしく似合っている。
それとは反対に、夜光蝶という異名を持つ私には、純真過ぎて似合わない。恐らく、この世で最も不釣合いな色は白だろう。
「……どういう事?」
「セラフィ様はロロアルト様という婚約者がいた。けれどもベリル様と結婚。しかも、ロロアルト様がメイドと駆け落ち……まぁ、気になるのが人の性ってやつです」
今まで壁と化していた執事服を纏った青年は、ずり落ちた丸眼鏡を直しながらそう口を開いた。
彼はアトリア付執事ハイローク。
枯れ葉色の前髪を真ん中から分け、サイドは耳が出るぐらいまで切り上げられているので、清潔感溢れる印象だ。
年の頃は二十台後半から三十代前半。物心ついた時からアトリアの執事をしているため、必然的に私とも面識がある。
「はぁ……そういう事」
納得するし、私はゆっくりと瞳を閉じてソファへとだらしなく凭れ掛かった。
ようするにゴシップネタが気になるという事なのだろう。
私とベリル様の実際の仲、それから駆け落ちしたロロ様の行方を。
――……なんだか、面倒な事になりそうだわ。
今はロロ様の事は落ち着いている。どこかで元気にやっていて下さればいい。そう思えるぐらいに。
勿論、もやもやとした気分も残っているけれども……
無事なのか一報が欲しいけれども、恐らく私の元には来ないだろう。
「しかし、みんな面白がりすぎよ。こっちの気持ちなんて知らないで」
「ちゃんと心より心配している者もおりますよ。例えば、うちのお嬢様とか」
「アトリアが?」
予想外の名前に視線を当事者へと向ければ、顔を真っ赤にしたアトリアが映し出される。
瞳を交らせれば、それから逸らすように顔を背けると小刻みに震えたかと思えば、すぐに目を細め自分の執事を睨みつけた。
「わ、私は別に心配なんてしてないわよ……」
「していたじゃないですか。新聞記事片手に、生きているわよね? って言いながら、屋敷を飛び出したのをお忘れですか? 結局、様子を見に行ったら嫌われるかしら? って、ぐずぐず泣き出して行きませんでしたが」
「お黙りなさい!」
「まぁまぁ、お嬢様。怒ると、化粧が割れます」
「そこまで厚くないわ!」
あぁ、ここでもこんなやり取りがあるのか。私はそのやり取りを耳に入れながら、どこでも似たようなものなんだなぁと思った。
「そう言えば、どうしてアトリアってメイクで顔を変えているわけ? 私みたいに理由ないでしょ?」
「えっ……」
何故かその質問にはアトリアが動きを固めてしまった。その上、執事と侍女コンビが生温かい視線をアトリアへと向け初めてしまう。
全く想像する事が出来ないが、どうやらあの二人は答えを知っているらしい。
――綺麗系の顔なのに、なんで童顔にしているのか前から気になっていたけど。もしかして、人には話せない事かしら?
小首を傾げながらアトリアの唇が動くのを注視していたが、それは微動だにせず。むしろ、固く結ばれてしまっている。その間誰も言葉を発しないため、ただ静かに時計の秒針音だけが部屋を占拠していた。
「……る」
「え?」
「帰る!」
何か呟いたかと思えば、急にアトリアは立ち上がるとそう宣言。
「あ、うん。玄関まで送るわ」
「結構よ」
アトリアは貴族令嬢としての仮面が外れたのか、ドレスにも関わらず大股で足を踏み出した。そして大きく体を揺らしながら扉の方まで向かって行く。
床に敷かれているのは毛足の長い絨毯のはずだが、衝撃が勝っているらしく足音を消しきれてない。カタカタと棚に置かれた焼き物が笑い声を上げ、私は眉を顰める。
――なんであんなに機嫌悪くなっているわけ?
「ちょっと、アトリア!」
引き留めようとその背に声をかければ、ハイロークに微笑まれてしまう。
「お嬢様は青春中なんです。恋と友情の間で揺らめているんですよ。甘酸っぱい」
「……いや、ますますわかんないんだけど」
「ふふっ。つまりお嬢様は、セラフィ様の事が好きという事です。……では、セラフィ様。またお会いしましょうね」
クロークは深く腰を折ると、すぐに扉の奥へと消えたアトリアを追った。
「付き合い長いけれども、アトリアの事って未だに良くわからないわ。昔は何考えているかすぐにわかったんだけれども。大人になったのかしら?」
「お嬢様が鈍感なだけなんじゃないですか? わかりそうなものですが」
「ちょっと! また私を落とすの!?」
とレダといつものやりとりの鐘が鳴らされたと思ったが、扉をノックする音が耳に届いたため取り止め。
「奥様、よろしいでございましょうか?」
分厚い板越しのくぐもった執事・マダンの声に、私は気を引き締めた。
すっと背筋を伸ばし、夜光蝶の表情と雰囲気を一瞬にしてつくる。
さすがに執事の前で今のような行動はとる事は出来ない。
「どうぞ」
入室を促せば、マダンが姿を現した。仰々しく一礼し、口を開く。
「お客様がお見えになられています」
「もしかして、アトリアが戻ってきたの?」
本当に理解出来ない幼馴染だ。と、私は肩を竦め迎えに行こうと足を進めかけた。
だが、耳に届いた台詞に、体が氷に包まれてしまったのかのように、一気に冷え固くなってしまい、身体の自由が効かなくなってしまう。
「いいえ。お客様は、ミレーヌ様……ブラッダル侯爵夫人でございます」