28 ジルラ=フォーマルハウト
「――……ここの卵サンドは相変わらず絶品だな」
カーテンの引かれた針鼠の歯車の店内にて。
カウンター席に座っている一人の初老の男性がそうぽつりと呟きを零した。
彼は白髪交じりの漆黒の髪を撫でつけ、皺ひとつない上質な衣服に身を包んでいる。
彼の身なりから、その品の良さとそれなりの資産を所持している事が見て取れた。
店内は貸しきりのためその男性――ベリルの祖父であるジルラ=フォーマルハウト以外見当たらず。
「マリーさんの味に近い」
ジルラは郷愁交じりの視線を卵サンドへと注いでいた。
人差し指にはめているスクエア型のブラックダイヤの指輪が燭台により輝きを放っている。
「ありがとうございます。レシピ通りですが、やはりあの方の味にはなりません。もう食べる事が出来ない故、余計食べたくなりますね」
針鼠の歯車のマスター・ジュメルは、カウンターに紅茶の注がれたカップを置きながら沈痛な表情を浮かべている。揺らめく琥珀色のカップに映るジルラの顔もまた同様だ。
過去への後悔、そして懺悔。苦く重苦しい古い記憶。
年を重ねるごとにそれらは薄まることなく、色濃く浸食していく。
それを振り払うには年を取り過ぎた。
「セラフィちゃんも時々食べに来てくれるんですよ」
「セラフィが?」
つい先ほどまで仄暗かったジルラの瞳に、光が差し込んだ。
マリーの忘れ形見である、少女の名によって。
「えぇ。きっと恋しいのでしょう。マリーさんはあの子の母親代わりみたいでしたから。だから葬儀の時は見ていられなかった」
「あぁ……」
今でも思い出す。幼馴染二人に支えられ、棺から絶対に離れなかった彼女の姿が。
「私もお婆様と一緒に逝く」そう壊れた人形のように何度も呟くだけで泣くことすら出来なかった彼女。
あの両親の元、一人残されて絶望しかなかっただろうに。
マリーは病死だった。
だが、セラフィの両親に殺されたも同然だとジルラは思っている。
いや、気づかなかった自分も同罪か。
最初は些細な異変だったそうだ。
めまいと頭痛。けれどもそれらは、息子達によるいびりからくる心因性のもの。
そう判断していたマリーだったが、実際は彼女を病が蝕んでいた。
それをジュメルやセラフィ達が気づく頃には、もう手遅れ。
セラフィが急ぎ病院へ連れて行くように両親へ願い出たが、全く聞き入って貰えず。
むしろ、食い扶持が減るとまで言っていたそうだ。
そこでセラフィはレインに頼み公爵家へと助けを求めやっと病院へ。
そのまま両親とは隔離するように、公爵所有の場所にて治療。そしてひっそりと亡くなった。
その話を葬儀のために急遽帰国したジルラが知ったのはジュメルによって。
それを聞かされた時には、頭に血が昇った。それと同時に、初めて人に殺意を持った。
「未だに夢に見るんだ。あの時、マリーさんに会いに行けば良かったのにと……そうすれば違う未来があったんじゃないのかとね。幸せにやっているなんて勝手に思って。結果、彼女とは会えず仕舞い。恩もまだ返せてない」
世界中に名を馳せるフォーマルト家。だが、最初からそうだったわけではない。
その裏には血の滲むような努力が隠されている。
とんとん拍子ではなく、裏切られ無一文になった上に借金を背負わされた事もあった。
それを助けてくれたのが、前侯爵とマリーだったのだ。
そのため、ジルラは彼等がいなければ今のフォーマルハウト家はなかったと断言できる。
「僕も思います。あの時気づいてあげられたらと。そう考えたらきりがないですよね……」
「そうだな」
「前侯爵が亡くなってから、彼女とも会わせて頂けなくなりましたから……ですが、貴方は――ジルラ様は陰ながらよくやって下さっています。今回のセラフィちゃんの件もそうですよ。守って下さったんですよね? あの両親から」
その言葉に、そのジルラは言葉を封じるようにティーカップを唇に当て流し込む。
「……結果的にあの子を悲しませてしまった。その上、好いていた相手が駆け落ちしてしまったんだ。俺が別れさせなければ……」
「それは結果論です。フォーマルハウト家との縁談を持って行かなければ、セラフィちゃんはあの豚高利金貸し。失礼ブラガ伯爵の愛人になっていたんですよ? 本人が知らないうちに」
ブラガ伯爵はジルラと年が近い資産家だ。
その上女癖が悪く常に複数の女を抱えている。
セラフィの両親は莫大な借金と引き換えに、娘を差し出そうとしていたのだ。
金の流れと情報に敏感なフォーマルハウト家が、その情報を手に入れるのは容易い。
そのため、先手を打った。
そのせいで、婚姻契約書を早急に書かせたりと、色々と手早く義務的な処理になってしまったのは否めない。
そして、孫のベリルの恋を犠牲にしたことも。
「それにこのような形だったにしろ、私はあの屋敷からセラフィちゃんが逃げられて良かったと思っています。両親の呪縛から早く解放され、幸せに……――」
その時だった。ジュメルの声を遮るかのように、突然扉のノックする音が響き渡ったのは。
「誰でしょうか……? 看板掲げているのに……ちょっと待って下さいね」
ジュメルはそう告げると、カウンターから外へ。
そして扉の前へと向かい、そのまま施錠を外して取っ手を掴んで引いた。
そんな様子をジルラはじっと見ている。
それは、もしかしたらセラフィが訪ねてきたのかと思ってだ。
だが、違ったらしい。現れた人物を見て、落胆の表情を浮かべた。
「なんだ、ベリルか……」
それは己の孫、ベリル=フォーマルハウトだった。
「……部下からここを尋ねていた老人について話を聞き、もしかしたらと思えば、やはりお爺様でしたか。どうしてここに?」
「……説明するから、戸を閉めてこっちに来なさい」
ジルラは肩を竦めると、ベリルへと手招きをした。




