27 失踪事件
「ベリル様が、すっごく羨ましいですよ。あの夜光蝶と結婚できたんですからねっ! 捨てられた男達は星の数。誰にも心を渡さない孤高の蝶ですよ。俺も目が飛び出るぐらいの金持ちだったらなぁ……」
「お前が考えている程でもないぞ。なぁ?」
ベリル様が口元に手を当て笑いをかみ殺しつつ、こちらと話を振ってきた。
なので「えぇ。そうですわ」と、曖昧に笑っておくことに。
「そう言えば、セラフィ様って何を好んでよく食べているんですか? 全く想像出来ないんですよね。趣味嗜好が」
「卵サンドですかねぇ……」
「え? 卵サンド? あぁ、美味しいですよねー。もしかして、マリーさんが好きなんですか? 奇遇ですね。僕も好きなんですよ。良かったら、今度行きませんか? レダさんも!」
「いえ、私ではないのですが……」
そんなに卵サンドは似合わないのか。
誰もいない私室では、レダに針鼠と歯車で購入してきて貰ってよく食べているのだが。
……やはり人払いしておいてよかった。
今度から気を引き締めて夜光蝶を演じなければっ!! そんな事を改めて決心していると、視界の端にレダとベリル様が掠めた。彼等は私に背を向け、肩を震わせている。
その様子から彼らが笑いをかみ殺しているのが手に取るように理解出来た。
――ちょっと、二人共酷くない!? なに、笑っているのよーっ!!
「どうしたんすか? 隊長」
「……いや、なんでもない。卵サンドなんて、久しく食べた事がなかったなと思っただけだ」
「あぁ、そうですね。俺もです。なんだか、久しぶりに食べたくなったなぁ。夕食食堂じゃなくて買って食べようかな。マリーさん。お勧めの所ありますか?」
「そうですねぇ。針鼠と歯車という店はお勧めですよ」
「あぁ! 俺、知っています。確か、ロシェ料理の店ですよね? でも、今日は休みなんで無理かな~」
「え? 休みっ!?」
それには、ちょっと裏返った声を上げてしまう。
だって、今日は定休日ではないはずなのに……
「もしかして、定休日じゃないんですか?」
「えぇ」
「じゃあ、臨時休業じゃないですかねー。扉に掛かっていたプレートも針鼠が丸まっていましたし、カーテンも全部閉まっていましたから。あぁ、でも貸しきりって可能性もあるかも。品の良さそうなお爺さんが入って行きましたので。きっと金持ちですよ。身に着けている衣服も上質な物でしたし、黄金の獅子を模した杖を所持していましたから。あれ、純金ですかね? 本物なら目が飛び出るぐらいの値段ですよー。あっ、それに人差し指につけていたでっかい指輪。あれ、結構値が張りますよ」
「指輪?」
それには、ベリル様が何故か反応した。
「もしかして、スクエア型のブラックダイヤか?」
腕を組みながら難しい顔をしつつ、ベリル様はそう尋ねた。
「宝石の種類まではちょっと……でも、タイプはそうでした。もしかして、お知り合いですか?」
「……いや。思い当たる人物はいる。だが、人違いだろう。あの人はまだ帰国してないはずだ。それよりも、ルデン。俺はこいつらに用があるから、先に戻ってくれるか? すぐに追いつく」
「はい。ではマリーさん、レダさん。また今度!」
と言って、ルデンは手を振ると私達に背を向け、足を真っ直ぐ進めて行った。
私が見詰めるその背が小さくなり消えかかる中、ほんの一瞬だけ静寂が包み込んだ。
「……で? もしかしてイアちゃんに関すること?」
呟くように聞けば、彼は頷いて肯定。
部下を先に戻したという事は、その話以外ないだろう。
「あぁ。ただ、あまりたいした事はわかってないけどな」
「それでも構わない。聞かせて」
「……わかった。実は、サウザン区域にて見かけたという目撃報告が上がっている。イアはあの周辺に誰か知り合いがいるのか?」
「サウザン? いいえ」
サウザン区域とは、貴族屋敷が並んでいる閑静な所だ。
新興住宅地のため、比較的新しく爵位を授けられた者達が多く住んでいる。
グラン伯爵邸、シンス男爵邸などが屋敷を構えているはず。
旧貴族は城の付近にある、ローリ区域と呼ばれる場所なのでまた別だ。
「どうしてそんな場所へ……?」
「何かしら用はあったんだろうな。ただ、本人かどうか裏取りはまだ。それでそっちはどうなんだ? わざわざ町にその格好で出てきたという事は調べたんだろ?」
「いえ。特には……これから新しい情報が入ったか、針鼠の歯車へ向かう予定だったの。でも、定休日みたいだから帰るわ」
「なら、ちょうどいい。この件からお前達は手を引け。後は俺達騎士に任せろ」
ベリル様は真っ直ぐにこちらを見据える。
その瞳は揺れ動く事無く真剣そのもので、きゅっと唇を真一文字に結んだ。
そうしなければ、胸に過ぎった不安な言葉を口にしてしまいそうになったから――
「旦那様。何かあったのですか?」
「昨夜、新しい失踪者が出た。それがどうもイアと共通点がある。年頃は十七歳前後の女。秘密の交際相手あり。そして住み込みで働いている者。調べてみたら、似たような状況の人間が他にもいるようだ」
「どうして今までわからなかったの?」
「恋人と駆け落ちだと思って、身内や職場の人間が騎士団に届出をしなかったんだよ。勝手に捜査はできない」
「イアちゃんは事件に巻き込まれたの……?」
「可能性はある。失踪者の一人の部屋からは、香木が発見された。落としたらしく、ベッド下に一欠けら」
燦々と照らされている太陽に包まれているのに、雪山にでもいるかのように体からどんどんと体温が奪われていく。まさか、そんな事件に巻き込まれている可能性があるとは。
――無事よね?
安否のわからぬ友人の身を案じ、私は瞳を閉じ祈った。
再びまたあの笑顔を見られるようにと。
「それはつまり人身売買か何かの犯罪に巻き込まれた可能性が?」
「その線が一番だろうな。だが、もしかしたら犯人の早期逮捕が出来るかもしれない」
「もしかして、香木から手がかりを?」
「あぁ。あれはキィーナと言って西の大陸の一部でしか採取されない品物。それをこの王都に輸入しているのは、ノルブェ社、カリオン商会、ナアキ合同商会、ミィディ社、ゲル商会の五つ」
「だったら実質、四社ね」
「その根拠は?」
怪訝そうなベリル様に、私は胸を張って告げる。
「カリオンはシンス子爵が経営しているのよ? あんな熱心な慈善活動を行っている人が恐ろしい犯罪に関係しているなんて考えられないもの」
きっぱりとはっきり言ってのけた言葉に、ベリル様とレダはこいつ大丈夫なのか? という台詞を貼り付けた顔で見てきている。
「お嬢様。その理屈ならば、伯爵が経営しているノルブェ社が一番怪しい事になりますよ?」
「でも、息子のあの女癖の悪さ。怪しくない? 現にさっき馬車に押し込まれそうになったのよ?」
「……セラフィ。お前の推理はともかく、この件から手を引け。恐らく蒼竜が出てくる」
「レインが?」
「あぁ。ここまで大規模になると何か裏で動く大きな犯罪組織があるはずだ。とにかく今日は大人しく帰れ。良い子にしていたら、帰りに手土産ぐらい買って来てやるから」
そう言ってベリル様はこちらに手を伸ばして頭を撫でてきた。梳くようにゆっくりと。
突然のその行動に、顔中に血液が沸騰していき、呼吸を忘れてしまう。
きっと子供にするようなものと変らないのかもしれない。
そうはわかっているのに、忙しなく動く心臓を私は抑えられなかった。