22 魔法のように惹かれるそのアメジストの瞳、守りたくなるその衝動
響き渡るノックの音に、俺はレダかと思った。
先ほどセラフィが茶を頼んでいたから。
それに対して、部屋の主であるセラフィが入室を促す。
すると扉が開かれ、やはり侍女であるレダが現れた。
彼女が押しているワゴン上には、ティーカップが二脚。
そしてガラスポットと、軽食なのか卵サンドが乗っていた。
「お茶をお持ちしました。ロシェ産の薔薇とハーブが入っております」
「何故ロシェなんだ?」
「お嬢様のお婆様――マリー様はロシェ国の出身なんですよ」
「マリーって、あぁ。偽名はそっからか」
「えぇ。針鼠と歯車のマスターも同郷。お婆様を姉のように慕って下さったいたの。お婆様も以前は料理人だったから、とてもお上手だったのよ? あの店の卵サンドのレシピはお婆様直伝。それで私も懐かしくて時々堪能しに」
「それで、お嬢様。イアさんの件は進展ありましたか?」
俺の前に、レダの手によりティーカップが置かれ、ポットから淡い桃色の液体が注がれていく。その湯気が鼻を掠め、薔薇の香りにも似た華やかな匂いが夜光蝶っぽいと思った。
「それが担当じゃないから、ベリル様はご存じないそうよ。何かわかったら連絡して頂けるみたい」
「そうですか。実は、イアさんの件で気になる点が一点」
「なんだ?」
俺はレダを見やった。
この侍女は、主とは違って何を考えているのかさっぱり読めない。
無表情が余計それに拍車をかけているのだろう。
屋敷に入れるために素性を調べさせたが、侯爵家より前の経歴が不詳。
最初はそんな人間を入れるわけにはいかないと突っぱねたが、セラフィに懇願され一応雇う事にはなった。
――こいつは本当に謎なんだよな……ただ、主と違い感も洞察力も鋭い気がする。
「マスターに伺ったのですが、イアさんが木片を大切に眺めているのを見たそうです」
「そう言えばそのような事言っていたわね。でも、それは関係ないように思えるけれども? だって、ただの木だもの」
「……お嬢様。ひとえに木と言っても種類があるんですよ。ただ同然のものから目が飛び出る値段のものまで」
「まあな。レダの言う通りだ。例えばそこにある本棚なんか、その高価な部類に入る。馬車が三台ぐらい購入できるだろうな」
そう言って俺は視線で扉の隣にある本棚をさした。
年期の入った黒と茶の中間色の板を組み合わせた作りで、壁一面を覆う様に設置されている。
そこには本が数冊程度しか収納されておらず、オルゴール等の小物等が飾られていた。
「どこからどう見ても本棚なのですが……」
「そうだろうな。本を収納する棚だから」
「そういう意味で言ったわけではありませんわ。材質が木なのに、どうしてそんなに高価なのですか?」
「あれは沈木だ」
屋敷にあるも全て俺が一点一点厳選して、選んだ代物。
幼き頃から、祖父に連れられ諸外国を回っていたため目が肥えてしまったせいで、妥協できなくなってしまったためだ。安かろうが高かろうが自分の気に入ったもの以外不要。
「沈木?」
「沈木とは、幾年と川などに沈んでいた木だ。ちなみにあれは、三百五十年前の木。古い故、値段も張る」
「レダ。すぐにあの本棚から私の私物を退けて。傷でもついたら弁償出来ないわ」
「生活していれば傷ぐらいつくだろうが。まさか、ずっと家具類に触れずに過ごすつもりか。気にせず使え」
それにその本棚よりも化粧台はいいのか? 母上が選んで送ってきただけあって、この部屋で最も価値があるぞ? と喉まで出かかったが、ますますセラフィを追いつめそうで呑み込んだ。
「そう言えば、旦那様とお嬢様に別件で一つ確認を取りたい事があったんです」
レダがふと何かを思い出したかのように、言葉を紡いだ。
それには俺とセラフィは顔を自分達の間に佇んでいる侍女へとそれぞれ向ける。
「お二人共愛していた相手に逃げられたのですよね?」
「ちょっと傷口えぐらないで……」
「お前、もう少しオブラートに包めよ……」
いつも通り表情筋が仕事をしていない侍女は、これまたいつも通り何の感情も込められてないような声音で告げた。
今回のスッピン騒動でナセアの件が薄まりかけているが、愛情が全く無くなったわけではない。
初めてこの人だと決めた相手だった。それはセラフィも同様らしい。
傷心モードに軽く入っいるのか、死んだ目をしたまま肩を落としている。
「それなのに3年も待たねばならないのですか?」
確かにレダの言う通りだ。
今更忘れていたが、どちらも相手に逃げられた身。
元々はお互い愛している者を守るための契約結婚だったはず。
水面下で進められた縁談。だが、眉を顰める妙な点も多々あった。
その一番大きな事は、この縁談に積極的なのがフォーマルハウト家だったということ。
借金苦の侯爵家が無理やり進めるならば理解出来るのに。
最初は侯爵家の血筋が欲しいだけと思ったのだが、両家の顔合わせもまだなのに婚姻契約書の記載、セラフィの引っ越し等やたらと急いでいる印象があった。あちらは顔合わせのドレス代や宝石類代金をせびっていたから、そんなには急いでいなかったはずだ。
本当に侯爵家の家柄目当てならば、そんなに焦らずとも良いはずなのに。
――もしかしたら、この婚姻には何か裏があるのかもしれない。そもそも、何故カストゥール家なのだろうか。お爺様は一体何を考えているんだ?
もしかしたら、自分の知らぬ場所で複雑に糸が絡み合っているのかもしれない。
「どうかなさいましたか?」
顎に手を添えどっぷりと思考の世界に沈んでいた俺を、艶のある声が現実へと引き戻す。
それに弾かれたように顔を上げると、アメジストの瞳と絡み合う。
大きくて済んだ瞳は、カラット数が高いダイヤのように輝いている。
これだけはスッピンでも変わらない。
人を魅了する魔法をかけているかのように、惹きつけられてしまう。
「……とりあえず、当初の予定通りにしようと思う。構わないか?」
「私としてはそちらの方がありがたいです。行く場所がもうなくなってしまったので」
「借金は全てこちらで完済したので抵当も根抵当も外れているぞ。だから売却されないはずだが?」
「侯爵家ではありませんわ。祖父母の亡くなったあの家に、私の居場所なんてありませんの――」
まるで絶望に包まれたかのような空気を醸し出したセラフィに、俺は胸を締め付けられた。
こわばった表情を浮かべると、ゆっくりとその長いまつ毛を伏せてしまったのを見て、つい手を伸ばしかけ己の腕を掴んだ。
自分は一体何をしょうとしていたのだ? どうして目の前の女を抱きしめたい。
守りたいと思ったんだ? ナセアでもないのに……
ギャップのせいだろうか?
何かが俺の中で動き始めている。そんな予兆に戸惑いを隠せなかった。