20 正体がバレた日
その音の発生源へと恐る恐る視線を向ければ、想像通りそこには綺麗に磨かれた床にて星々のように輝きを放っている物体が。
それは祖母・マリーの結婚指輪だった。
メイドの格好であの指輪は違和感があるため、チェーンを付け首元から下げていたのだが、どうやら留め具が緩かったらしく落下してしまったようだ。
「これは……」
「傷! 傷ついてないでしょうね!?」
咄嗟に全ての力を使ってベリル様の腕を振り払い、慌ててしゃがみ込むとそれを手に取り、日の光が注ぎ込む窓際まで移動。
じっくりと観察するように傷等を確認する。幸いな事に問題はなさそう。
「良かった……」
と、心の底からそんな言葉が湧き出て、私は安堵の息を漏らす。
体中の力が抜け、その場にへたり込めば、先ほどまで燦々と日の光が包んでくれていたのに、不穏な黒い影に覆われ体感温度がどんどん低下。
「……あっ」
気づいた時には、遅かった。顔を上げ再度息を呑む状況に陥ってしまう。
ベリル様は黒曜石の瞳を限界まで開き、口もぽかんと空いている。
「お前、まさか――セラフィ=カストゥールかっ!?」
その言葉によって脳を殴られたかのようにぐらぐらと揺られ、正常な判断が不可能な状況に。
最大の失態にして、最大のピンチ。
彼は夜光蝶の禁断領域に土足で踏み込まれてしまった。
しかも、自分に対して信頼の厚い人物にバレるならばまだいい。
相手はよりにもよって、初対面で失礼な事を抜かした奴。
外から流れている時を告げてくれている教会の鐘。
それが私達の気まずい空気を切り裂いたが、それがいつもと違い、まるで世界の終焉を告げるかのように虚しさと絶望感を感じるのは気のせいではないだろう。
「どっかで聞いた事があると思ったが、合点がいった! その指輪、その声。お前、セラフィ=カストゥールだろ」
嵐が来ても竜が襲って来ても平常心のままだろうと思われていたベリル様だが、現実処理が上手に出来てないらしく、人差し指をこちらへと向け、先ほどの鐘に負けないぐらいの声量で叫んでいる。
そんなに大げさなリアクションする必要はあるのか? と逆にこっちが冷静になってしまい、「今はセラフィ=フォーマルハウトです」と訂正した。
「顔! 顔はどうしたんだ!? あれか? もしかして、誰かと交換したのか!?」
「怖い事言わないでよ。というか、大声出さないでってば!」
「身長はどうした!?」
「いつもはヒール」
「ヒールって、普段どんだけ高いの履いているんだよ!?」
「だから、ちょっと落ち着いてってば」
これ以上夜光蝶最大の秘密がバレるわけにはいかない。
せっかく人が捌けたのに、また集まって来てしまうじゃないか。
「落ち着いてよ。これ、スッピン。素顔」
そう言って私は、ベリル様の手を取ると、自分の頬へと触れさせた。
「は?」
「ほら、粉っぽくないでしょ? 今日は化粧してないの。ノーメイク」
「嘘だろ……悪魔にでも乗り移られたかのように別人じゃないか……」
「貴方、ちょっと失礼すぎない?」
「それが素顔って、お前いつもどんだけ厚化粧しているんだよ。仮面でも被って生活していたのか?」
「はぁ!? 今、厚化粧って言った? ナチュラルメイクなんだけどっ!?」
ただし、二時間かかるが。そう言葉を飲み込んだ。
確かに自分でもかなり違いすぎるとは思う。
だがしかし、槍が降ってこようが驚きもしないような人に言われると凹む。
「ふざけるな。あれがナチュラルメイクのわけがないだろ。ありえない。そもそも人の顔というものはあんなにも変わるものなのか? まるでパーツを交換しているみたいじゃないか。ライオンが実は子ウサギだったというぐらいに違和感しか残らない! 第一、輪郭も目も鼻も何もかも違うじゃないか」
「ライオンが子ウサギって……ねぇ、さすがにそれは酷くない?」
「嘘だろ……ありえなすぎて、自分の存在さえ疑ってしまいそうだ。女のスッピンを何度も見たことがあるが、ここまで差が激しいなんて……おかしい。これは幻覚か?」
「あのさ、さっきから言っているけど、お願いだから少し声のボリューム落として。人が来ちゃうから」
私はなるべく落ち着かせるために、ゆっくりとした口調で告げた。
しかし、まさかスッピン一つでここまで乱れるとは。
仮にも白竜騎士団の第一隊長のはず。
仕事で危険な面に多々立ち会うはずだ。それなのにこの反応は?
「あぁ、そうだな。もし他人に知られでもしたら、夜光蝶に夢を持っている男達の理想が崩れ落ちる。そんな事にでもなれば、お前に騙されている男たちが憐れになるしな。第一、うちの騎士達にもお前の親衛隊は数多くいるんだそうなったら、全体の士気が落ちる」
「え? 私にも親衛隊っているの? ちょっと嬉しい。アトリアとかにはいるの知っていたけど」
「残念ながらいる。踏まれたい掌で転がされたい願望のやつらが」
「……え? 何それ」
「しかし、どんな技術力なんだ? 優れすぎている。一回ここでやってみろ。狸に化かされている気分だ」
「悪魔の次は狸かいっ! ……っていうかさ、さっきから失礼すぎるんですけど。それよりも、もっと突っ込むべき所ないわけ?」
このメイド服を見よ! とばかりに私は、スカートの裾を軽く持ち上げた。
するとベリル様はじっと凝視。かと思えば、まるで石膏のように固まってしまう。
「なんでメイド服っ!? お前、どんな趣味してんだよ!?」
「お願いだから声を抑えてってば……」
私は引き攣っている顔を左右へと動かし目視する。
幸いな事に誰の姿もないようで一安心。
「趣味ではないわ。これにはやんごとなき事情があるの」
「どんな理由だよ。というか、それどっから手に入れた?」
「……安心して。ちゃんと正当なルートだから。でも、それ聞くと貴方が後悔すると思うわ」
「おい、待て。どうして俺が後悔するんだよ?」
「フェストにお願いしたの。白竜騎士団に潜入したいから、制服貸して欲しいって」
「フェスト? それは王太子・フェスト様か? 知り合いなのか?」
「うん。私とフェスト、レイン、アトリアの四人は昔からね。今も親交があるし、私の事情も知っている」
「あぁ、そう言えば旧貴族だったな。なら接点があっても不思議ではないか」
「そう。だからその伝手で身分証明書も発行して貰えたのよ」
「はぁ? だとしても通常は不可だろ。警備の問題として」
「そうなんだけど、ここって貴方が働いているでしょ? だから怪しまれなかったの。身元は判明しているし。ベリル様は夫だから、私のスッピンの件も知っていると思ったんでしょうね。いつものノリで貸してくれたわ」
「まさか……」
ベリル様は、嘘だろと訴えるような瞳をこちらへ向けてきた。
「ごめん。本当に悪気はないの」
「何軽く誤っているんだよ! どうして俺がメイド服マニアになっているんだ!」
「シチュエーションって大事だよな! 制服で萌えまくれ! って、事付け承っているわ」
頭を抱えているベリル様を見て、罪悪感が湧いた。
これには致し方ないちゃんとした理由はある。イアちゃんの行方を知るため。
だがしかし、勘違いさせたままは問題だったかもしれない。
フェストは他人に噂を広げるタイプではない。
ただ、ノリが良いだけなのだ。
時々、この王子が次期国王で大丈夫か? と思う時があるが、執務になると人が変わったかのようになるためいらぬ心配だとも思う。
「お前、なんてことを……」
「ごめん。本当にごめん。ちょっと困った事があって……」
「なんだよ?」
ベリル様は全ての厄介事を振り払うかのように、深く嘆息を零した。
「実はね――」
「おい、ベリル? そろそろ会議だぞ」
私が紡いだ言葉を覆う様に、突然第三者の声が割り込んで来た。
そのため私達は、弾かれたようにそちらへ顔を向けてしまう。
廊下の少し先に階段があるのだが、どうやら声の発生源はその上部。
つまり二階部分のようだ。
「呼ばれているみたいだけど?」
「団長だ。そういえば、会議があったんだ。仕方がない。お前はとりあえず屋敷に戻れ。あとで話を聞く」
「え? 帰ってくるの?」
「はぁ!? 俺の家だろうがっ!」
「わかっているわよ。でも、ナセアさんとロロ様の駆け落ちの件以来、一度も帰宅していないようだったから。やっぱり、思い出多いものね。傷口にダイレクトにくるんでしょ? 私もロロ様との手紙破いて捨てちゃったし」
「ナセアの件で頭いっぱいだったが、今はお前のスッピンのせいで、頭真っ白だ。だから問題ないだろ」
「私のスッピンにそんな威力が……」
複雑すぎる。一次的かはわからないが、少しでも考えずに済み、心を痛めずにいられるならば良きことだろう。
同じ失恋仲間としてそう思った。
「いいか、大人しく今日は帰るんだ」
腕を組んだベリル様は、私を見下ろしながらそう告げる。
ペタンコの靴を履いているせいで、私との身長差が結構大きい。
そのため、まるで子供を叱る親のように威圧的に感じてしまう。
それでも私は引くつもりはない。ここまで来て手ぶらで帰宅するわけにはいかないのだ。それが顔に出ていたらしく、
「真っ直ぐ帰れ。また囲まれるのがオチだ。そうなったら、バレる可能性があるぞ」
と、釘を刺されてしまう。
「……うっ。わかったわ」
流石にそれは困ると、私は大人しく頷いた。