2 夜光蝶・セラフィの日常2
私の両親は私の事を煙たがっている。
そのため、物心ついた時から傍にいたのは、祖父母だった。
だから大好きなおばあ様は、私にとっては母親も同然。
なので人格形成の大きく影響を及ぼしている。
祖母のマリーは一介の食堂の娘。つまりは平民。
貴族の祖父と結ばれるまでにいろいろと妨害があったが、若かりし頃の祖父は自分の持てる金、知識、人脈全て使って祖母を守った。
それらの事を乗り越えた事もあり、祖父母達はいつも幸せそうだった。
実の両親と違って――
身近に理想の夫婦が居たため、身分差だろうが気にしない。共に手を取り合い、困難を乗り越えていける運命の相手ならば。それは財宝を一山当てるぐらいに幸福な事だと思う。
「今子爵家に行っても無駄でしょうね。仕事中だと思いますので。それにそろそろドレスを制作しないと間に合いませんよ? 町に生地購入しに行かないと……」
「ドレス? あぁ、そう言えばアトリアの家でたしか、パーティーがあったわね」
「忘れないで下さい。畏れ多くもグラフィラス侯爵令嬢ですよ。いいですか、もう一度いいます。侯爵家ですので。しかも建国より続く旧貴族」
「そんな事、知っているわよ。家が近所だから昔馴染みだもの。それに悲しい事に私も侯爵令嬢よ。それに同じく旧貴族。家柄だけは良いの。家柄だけは」
「えぇ、そうでしたわよね」
「本当に子供の頃は私の後追いかけて来て可愛かったのに、今ではすっかり憎まれ口叩くのよ。アトリアったら。突っかかって来るしで、本当に面倒なのよね。私、何かしたのかしら?」
「お嬢様、言葉使い気をつけて下さい。うっかりあいつらの前で、下町言葉が出たらどうなさるおつもりで?」
「あいつらって言っている方を聞かれ方がマズイわよ。……まぁ、お父様もお母様も私の事も、お婆様の面影があるこの場所も嫌いだから絶対にこっちには来ないけどさ」
「大嫌いですものね。マリー様が。いえ、庶民が」
「私が下町言葉なんて使っていたら、間違いなく監禁コースだわ」
ふふと口元を覆う私に対し、レダは「笑えません」と切り捨てた。
監禁。それは決して大げさな事ではない。両親がこの世で嫌いなのは庶民なのだから。
曾祖父と曾祖母から呪詛のように己の母親に対する悪口――いかに平民の血が忌まわしいかを聞かされてしまい、洗脳されすっかり染め上げられ育った父。
蝶よ花よ。と、まるでお姫様のように我が儘三昧で育った、貴族の血統が大事な母。
そんな二人の間に生まれたが、私は貴族も庶民の同じように大好きだった。
それは彼女が祖父母に懐いていたせいだろう。
政略結婚で冷え切っていた両親は、妊娠・出産は義務とばかりに一切関知しなかった。
だが、その分祖父と祖母が愛してくれた。祖父母だけではない。彼らの友人・知人も深い愛情を注いでくれた。
そのおかげで貴族だったり、商人だったりと様々な人達と接する事が出来き、世界が広がった。
そのため両親の事は、貴族と言うだけでいかに自分達が優れているかを固持している面倒な人達。そう思っている。
「ご理解なされているならば、おやめ下さい。私まで呑みに行けなくなっちゃいますから。『針鼠の歯車』に置いてある酒が旨いのに」
「そっち!?」
「他に何か? それに監禁だけでは済まないでしょう。貴方のお婆様のようにネチネチとした嫌味と嫌がらせというオプション付きでしょうね。永久に」
「あの人達、本当に陰険だからね」
私はそう呟くと天を仰いだ。澄み切った空。何処までも続く青いそこを、鳥が自由に飛び回っている。
侯爵令嬢として生まれながらに血筋に縛られた自分と違って。
祖父が存命だった時は良かった。彼が当主として守ってくれていたから。
だが状況が変わったのは、祖父が亡くなり、代替わりをした時。そう。私と祖母が盾を失ったあの日。そこから両親のいびりが始まった。
それが歯がゆかったのに、私は何も出来なかった。
それは無理もない。あの頃私はまだ七つにも満たない年の子供だったのだ。
でも、幼くても心はある。
自分が強い大人であれば、祖母は傷つかなかったのに。そう常々心を傷つけていた日々。
その件はまだ深い奥底に沈んでいる。
後悔しか残っていないあの頃の苦い記憶。
いびりのストレスが原因か、祖母が体調不良で寝ているような日々。
両親に医者をお願いするが、呼んで貰えず。
そこで頼ったのは、祖父の友人であるウェズン公爵。
だが、もうその時には体を病が蝕み、余命数か月だった。
そんな両親を私は大嫌いだ。そして何も出来なかった自分も……
「あの頃は、お嬢様も散々いたぶられましたもんね」
「そうね。お父様とお母様からはお婆さまに似ていると忌み嫌われ、いつも顔を会わすたび私の子じゃないって言われまくっていたし」
「でもお嬢様が自分の若かりし頃と瓜二つであるという事で、私の子じゃない発言はだいぶ減りましたよね」
「本当に面倒だった……自分で言うのもなんだけれども、今じゃ私のメイクの腕に勝てる人間なんて、この世界に誰一人として居ないって自負出来るわ」
「えぇ。その厚化粧取れば、誰だかわからないですもんね」
「厚くないってば。これナチュラルメイク! 二時間も掛けているのを知っているでしょ。おかげでスッピンはこの世で一番見慣れないものとなったわよ。どっちが自分の本当の顔だかわからないわ」
そう。私の最大の秘密。それはスッピン!
とても今とは似つかないぐらいのレベル。
妖艶さとは無縁な実に幼い顔。それが私の素顔だ。
メイクをすれば十七歳という実年齢よりも五、六歳上に見られるが、スッピンは実年齢よりマイナス三歳ぐらい。
その上、背も低い。そのため母に似せるために艶やかな女性として振る舞えるよう二十五センチヒールは常に手放せない。
あまりの高さに慣れるまで足首捻挫を数回。
だが今では自分の足のように自由自在だ。
ヒールの高い靴でも余裕で走れるぐらいにまで馴染んでいる。
母の嫌みから逃れるためとは言え、大嫌いな母親へと似せる。
最初これらが苦痛で仕方がなかった。
だが、それもいつしか麻痺。
今ではこちらが本当の自分のように思えてしまう時がある。
妖艶な容姿で男達を魅了し、魂を奪うかのように金も身も心も貢がせ塵のように捨てていく楽園蝶。
そんな母と同様な夜光蝶。
それを創り上げるために演じていた。
けれども、実際は金銭の贈与は一度も受けたことはない。
あったら、町に出て生活のために仕事するなんて事はしない。
両親からは一銭も援助されず何とか暮らして来たのだから。
社交界を賑わせているブラッダル侯爵の娘・セラフィ=カストゥールは、血の滲むような努力の結晶であり紛い物だ。――それが私の禁断領域。最大の秘密。
「まぁ、でも弟のように跡取りならば、両親には嫌われなかったかもね。現にフーリはそれだけで両親に溺愛されているし」
ふっと目を細め、想いを馳せる。
親に抱きしめられた記憶がなかったが、その代わり祖父母が私を包んでくれた。
『セラフィ。貴方は身分に捕らわれず人を見なさい。そして愛しなさい。勿論、自分の事もね。そうすればきっと貴方を心から愛してくれる人が現れるわ』
祖母が常々言っていた言葉。それが祖母の人生の現れだったのだろう。そんな彼女の持つ心に惹かれ、身分を問わずに人々が集まっていた。それも両親には面白くなかったらしいが。
「私はお嬢様が好きですよ。夏場にその厚化粧がドロドロに溶け、まるでゾンビのようになる貴方が」
「……レダ。もう少し私のチャームポイントがあるでしょうが。なんでそこ!? 貴方、アトリアには礼儀を尽くすのに、私はスルー!?」
「可笑しいですね。七年前に貴方様に『ここ』で拾われてからずっと、私は誠心誠意尽くしてきたのですが。どうやら伝わってらっしゃらないようで。悲しいですね」
なら伝わるようにして欲しいと思いつつ、窓へと視線を向けた。
つい先ほどまで目がくらむような青と白の世界だったのに、今は灰色の分厚い雲に覆われてしまっている。
――なんだか、嫌な天気。
そう。天気のせいだ。急に不安が過ぎったのは。