18 ベリルの失恋痛手
アーセル王国は、白竜、蒼竜、黒竜、焔竜という、それぞれの騎士団が組織されている。
俺はその騎士団の一つ、白竜に所属。
騎士団の寄宿舎や軍設備は城敷地内にあり、各騎士団が東西南北に独立した建物を保有している。
白竜はその西へと拠点があり、主に王都の治安の守護を王より任されていた。
王族を警備する騎士団のように花がないため、白竜騎士団の志望者はあまり多くない。
だが俺は最初から白竜を望んでいた。
それは自分が騎士を志した出来事ゆえ。
子供の頃に誘拐され、白竜騎士団に助けて貰ったからだ。
そのために、一刻も早く自分の騎士道を極めて高見にのぼる。
それを目標にし日々鍛錬に明け暮れていたはずなのだが、ここ数日は目標を失い自分でもわかるぐらいに荒れていた。
毎日ぐったりと意識を失う寸前まで鍛錬をし、アルコールへ逃げそのまま睡眠。それの繰り返し。
どうやら自分が考えている以上に酷い状況だったらしく、とうとう上司である騎士団長に呼び出されてしまった……
これから言われる事は十分わかっている。だから、何も言わずいて欲しい。
そう思いながらここ――……団長室にいた。
白き竜が灰色の雲を切り裂き天へと上る様子が描かれた壁。
その前に配置された執務机に中年の男が座っている。
熊のような大柄で野性味ある男だ。
そのためか、椅子が子供用みたいに小さく感じてしまう。
その人物こそ白竜騎士団長・ザック。
騎士見習いの中から引き上げてくれた恩人であり、直属の上司でもある。
年の頃は四十半から五十代前半で白髪の髪に、髭がトレードマーク。
『白熊の手』という可愛らしい異名で呼ばれている。
名前こそ可愛いが、重い一撃で相手を沈めるという由来があり実は可愛くない。
「……ベリル。お前は俺の顔を潰す気か。誰がお前を第一隊長へと推薦したと思っている?」
「申し訳ありません」
覇気のない声で謝罪の言葉を述べるとそのまま俯いた。
騎士として己の力だけで上にいき、貴族の後ろ盾を必要としないまでに名も称号も手に入れる。
そう強い瞳で未来を見据えていた野望があったのに――
それなのにこの様は何だ。鏡に映る顔色は優れず、腕には痛々しく巻かれた包帯。
言葉も体に纏っている空気も生気が弱い。まるで別人。
白竜騎士団は、騎士団長、副騎士団長の隊の他に三つの隊があり、それぞれに統括する隊長がいる。
俺は入隊以後着々と力をつけ、今ではその第一隊の隊長を務めるまで力を付けた。
実力主義の中で這い上がってくるのを団長は目をかけてくれていたが、このたびの行動はさすがに見るに堪えないらしい。
「謝罪するぐらいなら過剰鍛錬で自分を痛めつけるのはやめて、己の道へと進め。お前がそうでは部下に示しがつかぬではないか」
「申し訳ありませんでした」
「機械的に誤ればいいと思っているのか! 女に振られたぐらいでなんだその様は。そんなに腑抜けは戦場では邪魔だ。消えろ」
「……わかっております」
と口にしたものの、自分としてはこの想いを振り払う術を知らず苦悩していた。
まだナセアの事を考えるだけで、全てが狂いそうになる。
あんなに大切にしていたのに。あんなに愛していたのに。
――自分だけだったのか? 触れると頬を桃色に染めながら、はにかんだ顔。あれも全て偽りだったのか。
つい憎しみから体に力が入り、掌に爪が食い込んだ。
「……なぁ、少し休みを取ったらどうだ? 長期休暇取得可能だぞ。一か月、いや三か月ぐらい休め」
それには先ほどまで下げていた頭を、弾かれたように上げる。
団長の言う事は頭では理解している。
だが、動けない。途方もない岩に前方を塞がれてしまったかのように、身動きが取れないのだ。
よじ登るには高すぎる。かと言って砕いてしまうには頑丈すぎる障害物。
忘れたいけれども、そう簡単に彼女の面影は消えない……
――俺は……
自分の弱さを押し殺すように唇を噛みしめ、耐えているその時だった。
扉越しにこちらに向かって駆けてくる足音が響いてきたのは。
かと思えば、次の瞬間にはぶち破られるようにして開かれた扉が壁に衝突。
それが凄まじい音を奏でた。
そのため条件反射のように腰に下げていた剣へと手をかけ、振り返りその方向を見れば息を切らせた己の部下の姿が。ルデンだ。
その表情は困惑に染め上げられているようで、俺だけではなく団長もその異常な様子に体を動かせ、ルデンの元へと足早に向かう。
「どうした!?」
「戦か?」
そのような二人の問いに、今しがたノックも無しに室内へ乱入してきたルデンは首を左右へ振った。
そして乱れ上がった息のまま叫んだ。
「大変です! めっちゃ可愛いメイドが居たんですよ!」
その魂からの叫びが団長室へと木霊した。
まさか、あんなに大慌てでノックも無しにやって来たかと思えば、そんな下さらない事だと誰が想像しただろうか。呑気すぎるにも程がある。
ここ数日色々とあり過ぎていたせいで、精神的にも肉体的にもすっかり疲労していたのに。
「……お前、いい度胸しているな」
俺の中で張りつめていた糸が切れた瞬間だった。
「本当なんです! しかも、あの酔っ払いに絡まれていた可愛い子! ほら、隊長の奥様。あの夜光蝶の侍女と一緒にいた子ですよ! マリーさん!」
「は?」
「お忘れですか?」
覚えている。あの仮初の妻と同じ瞳と髪の少女を。
――まさか、この城でメイドをしているとは……
「掃除用具を持っても可愛いんです」
「知るか! そんな事を言いに来たのか!?」
「そんな事じゃないですよ。いいですか? 白竜騎士団は他と違い、男ばかりなんです。そんなむさくるしい所に、きゃわわ~な女の子が一人でやって来たんですよ?」
「なんだよ、きゃわわ~って……」
つい先ほどまで神経を逆撫でするルデンに対して血圧を上げていたが、今度は急低下。
口元が引き攣り、勝手に足が後方へと向かい距離を取ってしまう。
それもそうだろう。ガチムチな男の口から、きゃわわ~なんて奇妙な言葉が紡がれたのだから。
「狼の群れに子ウサギがやってきたようなもんですよ。危険ですって」
「あのな、俺達は騎士だ。ちゃんと理性ぐらいあるだろ。それに今は職務中だ」
「あー、その……それが……」
言いにくそうに口を噤むルデンを目にして、俺は頭を抱えてしまった。