16 告げられたのは友の失踪
「奥様! 奥様っ!」
廊下と寝室を隔てている扉が激しい横殴りの雨が窓を叩くように響き渡る。
だが生憎とその扉が開く事はなかった。
内側から施錠をし、私には外す意思がないためだ。
騒がしい外とは違い、室内はひっそりと静まり返っている。
私はロロ様とナセアの駆け落ちを知り、部屋に引きこもっていた。
まるで外界から己の世界を分離するかのように。
そのため屋敷中の誰しもがその旨を知っている。
それでもメイド達はかいがいしく食事を扉の前に持って来たり、先ほどのように時々声をかけたりと気にかけてくれている。
それでも私は日常に戻りたくは無かった。
重くのしかかる現実に、完膚なきまでに潰されてしまったのだから。
――世間の笑い者。
嘘っぱちの情報に過剰に演出された見出し等……それは人目を引くよう様々な技法で掲載されている自分の記事。だがそれでもこれほど心を切り裂く刃物となった文章は今まで無かった。
私にとって、化粧やファッションは両親から自分を守るための防具でもあり剣。
親の目を逸らすために行っていたそれも、いつからか夜光蝶として命を持った。
体のラインがむき出しになるドレス、それから視界を変えるハイヒール。
そして母親のように艶やかな顔立ちを造りあげるメイク。
それが全て完成されれば、華やさと艶やかで全てを魅了する蝶が出来上がる。
すると不思議な事に、自分の人格が変わったかのように立ち振る舞いが出来てしまうのだ。
そのため今の寝起きである、スッピンの私はただ無防備な弱い人間。
「……ロロ様、どうして?」
粒子状の呟きが空中に溶けるように消えていく。
わかってくれていると思っていたのに。
仮面を被っていても、自分の事を見抜いて好きになってくれたって。
やっと優しく包んでくれる人を見つけたはずだった。
祖父母のような運命の人。それなのにこの様はみっともない。
なんて愚かなんだろう。私は――
寝具の上にて赤子みたいに丸まり身を沈ませ、耳を塞ぎ嘆いた。
そんな私を慰めるように添い寝しているのは、花びらのように散らばるゴシップ新聞の屑。
すぐ傍にあるサイドテーブルに置かれた花瓶の花は背中を曲げ、枯れた地の色をしたまま鼻を塞ぐような酷い悪臭を放っている。
「嘘つき」
空を見つめる私の瞳から、朝雫のような清らかな雫が伝う。
もう何度も何度も流し、枯れ果ててしまったというのにまだ流れる。
この身に永遠に湧き出る湖でもあるのだろうか。ならばもうそこへ沈めて欲しい。
溢れ出るそれをハンカチで拭くことなく、私はただひたすら涙を流し続けた。
「お婆様。助けて……」
縋りつきたい。そして慰めて欲しい。そう願うのに、その人はもうこの世には居ない。
私は、いつも左手にはめられている指輪を撫でつけた。
冷たい石の感触なのに、これがこの世界で一番温かい。
それが私の心の拠り所である祖母の形見だからなのかもしれない。
目を閉じればいつでも思い出す。
家に居場所のない私をいつも太陽のように包んでくれた肉親の姿を。
――だから彼に惹かれた。ロロアルトの醸し出す空気がそんな祖母とあまりにも似すぎていたから。
もう嫌だ。なにもかも放り投げたい。貴族の称号も偽りの結婚も、彼を愛した自分も何もかもを。
煉獄の炎で全てを灰にするべきだ。
――もういい……
現実から逃走するべく体に残る気だるさに身を任せたまま、ゆっくりと重い瞼を沈ませかけた時だった。
突如として落雷の如く響き渡る衝撃音と震動により、私の眠りは遮られた。
――ガンッ。ガタン。ダンッ。
その衝撃に、「ひっ」と喉元まで出かかった悲鳴を空気と共に飲み込み飛び上がった。
そしてすぐ様その衝撃音の発生源へと視線を移す。
するとそこには仁王立ちになっている己の侍女の姿が。
相変わらず風が吹こうが雪が降ろうがその変わらない表情のまま、何事もなかったかのように上げていた右足を元の位置へと戻していた。
その仕草からおそらく扉をケリ破ったのだろう。
現にレダの直線上に転がっていた。無残な残骸が。
「セラフィお嬢様。一大事です。いいかげん悲劇のヒロインごっこは終わりになさって下さいませ」
「レ、レダ……」
あろうことか主の失恋を悲劇のヒロインごっこと一刀両断。
さすがはブレない女だ。
「ど、どうするのよ!? 修繕費!」
瞬時に出てしまった自分の言葉に、私は唖然とした。
まだそう口にするぐらいの余裕はあったらしい。
意外と図太く、心は全部壊れていなかったようだ。
少なくても今現在は身を起こし、自分の身に降りかかった状況を確認しようと努めている。
全てを諦めているのなら、一々槍が降ってこようが全く気にしないはず。
「……一体どうしたのよ? もしかしてロロ様が見つかったの?」
「いいえ」
「じゃあ何よ」
「イアさんが失踪したそうです」
その台詞に、私は頭を殴られたような感覚に陥った。