13 先が思いやられる新生活
「今日よりお世話になるわ。宜しくお願いするわね」
私はそう告げると、会釈をした。
つい一か月前に一度だけ訪れたベリル様の屋敷にて、今度はベリル様の妻として再び訪れていた。
今日の私はいつもよりも控えめで、好印象を目指している。
メイクも少し柔らかい印象を持つように、色味がパステルのピンクと淡く抑えられ、ドレスも布地が首元や腕足を覆い露出が少ない。けれども夜光蝶の印象は忘れずに。
これは何事も最初が肝心と、なるべく可もなく不可もない印象を持って貰おうと考えだした結論。
たった三年しかここに住む事はないかもしれない。だが、揉め事を起こさず使用人達と過ごして行きたい。そういった思いからの行動だった。
そんな私を玄関ホールにて、執事や使用人がずらり出迎えてくれている。
とベリル様との結婚はやはり水面下で進められていた案件だったらしく、あの出会いより一月後父の書斎に呼び出された。
案の定、告げられた内容は、結婚話。
無論拒否権はないとのこと。なぜならロロアルトの命が惜しければという脅す行為を忘れなかったからだ。相変わらず地で悪な両親だと思う。
そこからはあっという間だった。
逃げられないようにと、その一週間後に早々強制的に入籍。
だが、式はお預け。笑える事に娘の晴れの場だからと、式は盛大に挙げるつもりらしく、他国からも招待客を呼び寄せるため準備期間として一年設けるそうだ。
何が娘のためだ。実に馬鹿らしい。真実は侯爵家の力を固持させるのが名目だろう。
現に花嫁である私は式について一切関わらせて貰えていないのだ。
すべて会場から招待客、ドレスまでこちらで決めるからお前は口を出すなと。
こちらは持参金を持たされること無く、身一つでベリル様の下へと嫁がされたのに――
「さぁ、お疲れでございましょう。旦那様より、奥様を十分に休ませるようにと仰せつかっております。部屋に茶をお持ち致しましょうか?」
一列に並ぶ使用人達の前に立っていた白髪の老執事の心配りに私は艶やかな笑みを貼りつけた。
「えぇ。ありがとう。お願いするわ。それから伺っているかわからないけど、そちらにいるレダは私が屋敷から連れてきた侍女よ」
「存じ上げております。旦那様に奥様のメイドをと人選を承ったのですが、そちらの方はいかがなさいますか?」
「基本的にはレダが行うわ。でも、確かに補助的な物もお願いするかもしれないわね」
「畏まりました。では」
老執事ことマダンが「バーベラ、マーガ、サイネ」と呼べば、ずらりと一列に並んでいた使用人達の中から、三人の少女が足を一歩前に進めマダンの後方へと並ぶ。
年は私とあまり変わらず、みんな十五~十九歳ぐらいだろうか。
「あら、三人?」
こんなにつけてくれるなんて贅沢。
生家では、世話は全てレダがしていたのでこれは破格の待遇。
勿論私とて最初はちゃんとメイドが居た。
だが、祖父が亡くなった後に風向きが悪くなり、自分付きの侍女やメイド達は皆母親の味方に変わっていってしまったのだ。
何度も嫌味を言われ続け、精神が崩壊しかかった。
そのため苦痛でしかならなかったので、メイドや侍女の世話を跳ね除けの生活。
それは勿論、我が儘なんかではなく自己防衛のため。それなのに両親には咎められた。
そのような事があり、レダが現れる前まで彼女は身の回りの事は自分一人だけ。
おかげである程度の生活能力はある。
そのため三人も付けてくれるなんて、贅沢な事だと思ったのだ。
だが、その台詞を執事は違うニュアンスで受け取ったらしく、マダンは慌てて謝罪の言葉を述べて腰を深く折った。
「申し訳ございません。少なすぎましたようですね。人員を増員させます」
「いえ、結構よ」
私は自分付のメイドになった少女の顔を一人ずつ見た後、軽く会釈をした。
そのおかげもあってか、彼女たちの顔から険しさが少し抜けたように感じる。
それにはほっと一安心。なんせ自分専属のメイドが付いてくれるのは数年ぶり。
そのためどのようにして関係を築いていけばいいのか、感覚が戻らず距離感がわからない。
侍女はいるが、レダは主に暴言紛いの事を口にするから例外。
なるべく使用人達の名前と顔を覚えて早く生活になれようと、整列している彼女達を見回した。
するとそこにいるはずの者が一人居ない事に気づく。
この屋敷のメイドで唯一名前を知っている人が……――
「ナセアさんがいらっしゃらないようですが、どちらに?」
小首を傾げながら訊く。
さすがに気まずさから同じ屋敷には住まわせないのか。
有り余るお金があるのだ。
どこかよそに屋敷を持ちそこへ使用人を雇い、そちらで三年後のために暮らしているのだろう。
そして休日などはそちらに滞在するのかもしれない。そう思っていた。
だが、どうやら状況は違ったらしい。
「白々しいですね。貴方がナセアを家から追い出したのでしょう!」
「あの子が旦那様と恋仲だという事は屋敷にいる全員が知っているのよ。旦那様もあの子の事を大切にしていたのに……」
「持参金のない貴族の分際で我が物顔の厚顔無恥女。あんなのせいでナセアは大旦那様の命により、別の屋敷で働く事になったのよ」
顔を歪めた一部のメイド達がこちらに目を細め睨みつけながら、各々口に出した嫌味ごと。
それにより、自分の置かれている立場がやっとわかった。
浮かれていた気分が重苦しい雨雲の如く両肩に乗りかかる。
「流石は夜光蝶。女に嫌われる女です」
そんな状況の中だというのに、いつも通りとも言うべきか、囃し立てる声が耳に届く。
それは言う間でもなく己の侍女。それには聞き慣れた私も流石に米神が勝手に痙攣し始めてしまう。
ちょっと黙りなさいよと、空気読みなさいって! と声に出さず唇を動かすがレダは肩を顰めるばかり。
「待って下さい! ナセアだって納得して屋敷を出たんですよ? だから奥様が責められるなんて理不尽だわ」
そんな感情的な声と共に私の前に颯爽と現れ壁となり防御してくれたのは、つい先ほど私付きになってくれたばかりのメイド達。
でも、みんな体が小刻みに震えているために、結わえた鎖骨下までの髪にもその震動が伝わっている。
「あんた早速その女に媚び売っているわけ?」
「私の主になられた方です。その女呼ばりは辞めて下さい」
「主ね~。何が夜光蝶よ。金で買われたただの貴族じゃない」
「お前達、無礼ですよ」
と、執事が間に入り叱咤するがそんな事ぐらいでは収まらない。
――きっとナセアさんと仲が良かったのでしょうね……傍から見れば、友達の恋人を奪い屋敷から追い払った女ですもの。
「ですが、このままではナセアが可愛そうです」
「旦那様のお考えがあっての事。それを貴方達が口を出す事ではありません」
「ですが……」
「いい加減におし! お前達!」
突如その不穏な空気を飛ばしたのは、腹から出た声。それのお蔭で、場は静まり返った。
視線を移し声の主を確かめれば、黒いワンピースにエプロン姿の中年女性の姿が。
衣服や年齢から察するに、恐らくメイド達を束ねる存在――メイド長なのだろう。
その女性はふくよかな体を揺らしながらメイド達の傍に立つと、周りを圧倒させた。
彼女達は先ほどまでの威勢は何処へ消えたのだろうか。というぐらいに静まり返っている。
ぐっと唇を噛みしめ、その人から視線を外し彷徨わせている。
「お前たちがした事はメイドとしての質を下げた行為。本来ならクビになっても当然の事だよ」
その言葉に、メイド達が弾かれたように上げた。
それを見届けた後、メイド長は深く嘆息を漏らしつつ、体をこちらへと向けてきた。
「申し訳ございません、奥様。この子達にはきつく言っておきますので、今回は見逃して下さいませんか。次もし何かあれば、否応無しに解雇して下さっても構いません」
深く腰を折り、懇願。
「ほら、あんた達も!」
その言葉に押されるように、メイド達も渋々頭を下げる。それらの行為が、表情から納得いかないのを察することが出来た。
だがこれ以上の騒ぎを起こしたくない。深く嘆息を漏らすと私は頷いた。
初日からこれだ。先が不安でたまらない。
早く三年が経てばいいのに……
そうすれば、ロロ様とずっと一緒にいられる。そうこの時は思っていた――