11 帰宅途中に遭遇!?
私達にかけられた声。それは先ほど話があると告げたイアちゃんだったので、安心して振り返った。
「今、ちょっといい?」
「うん。いいよ」
銀のトレイを胸に抱えるようにしているイアちゃんに、私は顔を緩めた。
「マリーちゃん達に報告があるの」
「何?」
「あのね、今度結婚することになったの!」
なんとも嬉しそうな声音で放たれたのは、衝撃的な言葉。
それにより全身を蝋で覆われてしまったかのように、セラフィは動かなくなってしまった。
珍しい事に、隣に座っているレダすらも、「は?」という声を漏らしてしまっている。
それもそのはず。友人に恋人がいたことに驚きなのに、しかも結婚。
「一体いつから? というか、誰とっ!? 出会いは何!?」
ゴシップ記者並みに喰らいついていく私に、イアちゃんはただ困惑気味な微笑を浮かべた。
「三か月ぐらい前かな……? ちょっとした出来事で知り合ったの。相手の方を以前から姿だけはお見かけしていて……素敵だなぁって思っていたんだけれども、私とは身分が違うから雲の上の人だったんだ。でも、実際はとても気さくで庶民的な方だったの」
「身分差? もしかして相手は貴族?」
そう尋ねたら、イアちゃんは肯定も否定もせず曖昧気味に笑顔を取り繕った。
その様子に、セラフィは何か禁句を口にしてしまったのではないかという不安が押し寄せた。
「ごめんね、なんか詮索したみたいになっちゃって……」
「違うの。正式な発表までみんなに内緒って言われていて……本当にごめんね」
「そっか……」
あちら側の言い分も理解できる。発表前に何かあれば、ゴシップ記事の格好の餌になってしまう。
無論。私に関しては虚偽のネタも多いけれども、時々本当の毎度どっから仕入れてくるのか、二割から三割ぐらい真実も混じっているからたちが悪い。
「でも、とにかくおめでたい事には変わりないよ。 相手の方とお幸せにね!」
「ありがとう」
そう微笑んだ彼女は、内から湧き出ている幸せを溢れさせていた。
眩しいぐらいの笑顔は、きっと世界一。
自分もロロ様との事を報告する時は、こんな風だといいなとしみじみ思う。
――私もロロ様と……みんなに祝福されたいわ……
そんな事をぼんやりと頭の片隅で思っていると、「お待たせ致しました」と、テーブルの上にオーダーしておいた品物が並べられていく。大好きな卵サンドとサラダ、それから林檎ジュース。
レダの方には、琥珀色のお酒に、生ハムやソーセージの盛り合わせなど、酒の肴。どれも美味しそうだ。
食欲を誘う匂いに私はそれを一瞥だけして我慢すると、再度のイアちゃんの方へと視線を向ける。
「お祝いしようね。いつなら空いてそう?」
「明後日なら大丈夫!」
「そう。なら、明後日ここでお祝いしましょうよ」
「ありがとう」
「指輪貰ったの?」
「ううん。まだ。でもね、代わりに珍しい物を……――」
そうイアちゃんが言いかけた時だった。
それに覆いかぶさるように、注文する客の声が届いたのは。そのためイアは「ごめん。また後で」と、軽くセラフィ達に会釈をするとそのままテーブル席へと足早に向かって行ってしまう。
「驚きましたね。イアさんが結婚なんて」
「本当に! でも、幸せそうで何よりだわ。どんな人なのかしら? マスター知っている?」
そう言って顔をカウンター内へと向ければ視線が絡み合う。
「報告はあったけれども、セラフィちゃん達と同じ理由で聞かされてないんだ。ただ、二か月前ぐらいかな? 木の欠片を見せて貰った事があるよ。とても大切な人に貰ったと」
「へー。木の欠片? 私は金貨とか銀貨の方が嬉しいですけどね。なんでしたら、金塊でも構いませんよ」
「レダ……ロマンチックじゃないからやめて……」
「夢やロマンで腹が膨れませんし、雨風凌げませんって」
「……まぁ、確かに一理あるけどさ」
愛だ恋だ言っても先立つものが無ければ始まらない。
現実的だが、いま身に染みてそれを実感している立場だ。
だがしかし、根底には愛があるから頑張れるというのも世の常。そのため、私は唸った。
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楽しいひと時というものはあっという間に過ぎ去ってしまうもの。ロロ様との逢瀬もそうだった。
永遠に続けばいいのに。そう願うけれども、そんな時間こそ一瞬に感じてしまう。
針鼠の歯車にて、すっかりとお腹も心も満たされた私達は自宅へ帰るべく再び街へ。
体温を奪う夜風に撫でられ、身を縮こませながら足を進めて行く。
つい数刻前とは違い、今はすれ違う人々は片手で数えられる。
その殆どが、赤ら顔だったったり千鳥足だったり……皆、それぞれ美味しいお酒と食事を堪能し家路に着く者ばかりだ。
「しかし、イアさんの結婚は驚きましたね」
「貴方でも驚く事ってあるのね」
「えぇ、勿論です。出にくいですが、喜怒哀楽はありますので。お嬢様のスッピンと化粧後も毎回驚愕していますよ。テクニック凄いですね」
「そこで私は関係ないでしょうがっ!!」
行き成りの流れ玉がぶち当たり、私はすぐさま反応した。
全く。この侍女はいつも主をいじるんだからと憤慨していると、前方より何やら騒がしい連中がこちらにやって来るのが目に飛び込んで来た。
それは中年の男性三人組。
お互いの肩を組みながら、おぼつかない足取りで右へ行ったり左へ行ったりと危険極まりない。
そのうちガス灯にでもぶつかるのではないかと心配になってくる。
顔も茹でた蛸のようで、これ以上染まらないぐらいのレベルだ。
どうやらほろ酔いを通り越して泥酔しているらしい。
彼等はここが歌劇場かのように、原曲を忘れてしまうぐらいの破壊力抜群の独創的過ぎる歌を唄っている。私の記憶が正しければ、あれは子守唄のはず。
あれでは赤子もすぐさま起きてしまうだろう。
「あー、これは確実に絡まれますね」
そんなレダの不穏な予言に、私は顔を引き攣らせた。
「やめてよ……目さえ合わせなければ大丈夫だってば」
私の苦手な物の一つに、酔っ払いも入る。
夜光蝶モードならばあしらう事も簡単なのだけれども、素の時はなかなか思う様に出来ず絡まれるからだ。そのため、なるべく早めに帰宅するが、今日は楽しみ過ぎてしまったせいで遅くなってしまった。
――曲がって! そこで道を曲がってーっ!
幸いな事に彼らは目の前の十字路へと差し掛かっている。
もしかしたら、そこの角を曲がり、家路につくかもしれない。
その可能性にかけ、ぴたりと足をとめた。けれどもそれは虚しい願いだったらしい。
「おー! あんな所に可愛いお嬢ちゃん達発見っ!」
という声が閑静な街に響き、こちらまで伝わってしまったのだ。あぁ、無情な人生。
「ほら、言った通りじゃないですか」
「……」
呆れたレダの声が、突き刺さる。
「いいですか? 構わずに通り過ぎますよ。絶対に話を聞かないように」
「わかったわ」
首を縦に動かすと、意を決し足を踏み出した。
どうかこのまま通り過ぎますようにと祈りながら、息と気配をなるべく殺しながら進んでいく。
さながら気分は間者だ。相手に自分の姿を悟られてしまえば、そこで終わり。
少しずつ縮まる対象者との距離。ただひたすら心で何事もなく帰宅出来ますようにと呪文のように唱えれば、互いの体がすれ違おうとした時にやっぱり声を掛けられてしまう。
「お嬢ちゃん達、駄目だよー。こんな時間に。悪い人に捕まっちゃうからねぇ。おじさん達と一緒に飲みに行かないかい?」
と掛けられた声に、
「すみません。これから家に帰るので」
と、つい条件反射で口を開いてしまい、蜘蛛の巣にかかる獲物になってしまった。
「マリー!」
「あっ……」
レダの咎める声と「この馬鹿!」という視線に対して、私は頭を抱えたくなった。
――ああっ! つい反射的に返事をしてしまった!
「行きますよ」
ぐっとレダにより二の腕を掴まれ、先へ進むように促される。
けれども、私の足は先へ進むことは出来なかった。
それはもう反対側を、酔っ払いに掴まれてしまったからだ。
実に素早い。本当に酔っているのか? とさえ思ったが、それ以上に私が鈍かったのだろう。
「おいおい。なんだよー。いいじゃねぇか」
「可愛いからって調子にのっているのか?」
「おじさん達優しいから大丈夫だって」
「結構ですーっ! 本当に間に合ってますってば!」
腕を左右に振り逃れようと暴れさせるけれども、なかなか拘束は解けない。
むしろ、そのせいで絶対に逃がすかとばかりに強く引っ張られてしまい現状は悪化。
もう泣きたい。
「ちょっと待って。離してってば! 痛い。痛いってもげるーっ!」
そうありったけの声を張り上げれば、
「お前達、何をしているんだ?」
という、煩わしいこの空気を刃物で断ち切るかのような声音に支配されてしまう。