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1 夜光蝶・セラフィの日常

年期の入った調度品が飾られた部屋の中、重厚な執務机には初老の男性が座っていた。

黒檀のような前髪を撫でつけ、灰色の瞳で手元の書類を眺めている。

そこには至急・報告という赤く記されていた。

彼は視線でそれを最後まで追うと、瞳を閉じて深く嘆息を零す。


「フィルド様、マリー様」

ついで呟いたのは、今は彼の亡き恩人の名。

懐かしむようだが、それには悲痛さも込められている。

未だに色褪せない。あの頃。もう何十年も前の話なのに。

それなのに後悔は日々募っていく。向かわなければならない自分の咎。


「今度こそ、御恩をお返し致します。必ずお守りしますから。貴方様達が残した忘れ形見である『セラフィ』を――」

彼はきつく握りしめた拳を開くと席を立った。







「ブラッダル侯爵令嬢・セラフィ=カストゥール魔性の力を封印か。サディル子爵子息ロロアルトと身分差を越え結婚間近か?――って、待ちなさいよ! 封印って私は悪魔と同等かっ!」

私は手にしている新聞を思いっきり握り締めると、そのまま磨き上げられた床へと叩きつけた。

まるで家庭内害虫を退治するかのように渾身の力を込めて。

その弾みでテーブルへと肘がぶつかってしまい、テーブル上にセッティングされているティーポットが小刻みに震えてしまう。

そのせいで、純白のクロスへと琥珀色の染みを吐き出し侵食していく。


「お嬢様。落ち着いて下さい。いつもの事じゃないですか」

灰色の髪を耳下で切りそろえ、アーモンドのような瞳を持つ少女――レダは、感情の込められてない声音で告げながら、漆黒のワンピースを纏っている体を曲げ新聞を拾う。

年の頃は二十代前半ぐらいだろうか。正確な年齢は主である私にもわかってない。

歳はおろか、性別以外の全てが謎。

それでも、とある理由から侍女をして貰っている。


「また悪く書かれたんですか? 相変わらずの安定っぷりですね。ゴールデン・ガラー社は」

「本当。最低」

自然と唇が歪んでくる。


――しかし、腹立つわ! フリーの時ならいいけど、今私には将来を約束した方がいるんだっつうの!


記事の内容はこうだ。

不特定多数の男性と関係を持ち、それらの男達を貢がせ骨の髄までしゃぶりつくし、その後あっさりと捨て破滅へと導いていた魔性の女。それがついに一人の男性に落ちたと。

その悪女は、言う間でもなく私の名が記載されている。


「でも、珍しくちゃんと褒めてますよ。ほら、例えばここ。……えーと、ドレスから溢れんばかりの胸、それから細く引き締まったウエストと足首。その上、腕や脚はすらっりと長く、女性らしい凹凸を持つしなやかな肢体。それがまた曲線美という一つの芸術を確立してしまっている。勿論、体だけではない。その整った顔も一級の美術品だ。視線が絡まれば必ず魅了させてしまう不思議な大きな紫水晶の瞳に、口づけを乞いたくなるようなふっくらとした秋桜色の唇をパーツに持っている際立った顔立ち。完成された女神像のような彼女が蝶の羽のようにドレスの裾と蜂蜜色の髪を揺ら揺らとさせながら、颯爽と夜会へと現れた蝶と」

「……ちょっと気分が上がったわ。でも、まぁ『私の最大の秘密』がバレてないだけいいわよね」

「えぇ。お嬢様――夜光蝶やこうちょうと呼ばれる貴方の禁断領域が他人に知られたら、楽園蝶らくえんちょうが余計煩くなりますし」

楽園蝶。それは十数年前に社交界を沸かせた悪女であり、私の母親・ミレーヌのこと。

その美しき容姿とテクニックで男達を惑わしながら、贅沢を極めた女。


夜光蝶は彼女の再来。人々はそう口々に言っている。

やはり親子だと。でも、それは違う。だって、私は……――


「しかし、そこのゴシップ新聞。お嬢様か『フォーマルハウト家の次男』を集中砲火しますよね。まるで特集記事のように。もしかして何か嫌がらせでもしましたか?」

私はレダのその言葉に眉を顰めながら「はぁ?」と貴族令嬢らしからぬ声を上げた。

きっとこの場に第三者が居たならば、恐らく二度見するだろう。

だが、そんな人物はここにはいない。ここは、侯爵家地内にある離れ家なのだから。


元々は前侯爵である私の祖父が、祖国を懐かしんでいた祖母のために建築したもので、今は私の居住空間となっている。

祖母のマリーが、ここアーシェル王国ではなく西大陸のロシェ国出身。

そのため、この辺りでは珍しい赤煉瓦の屋根にクリーム色の壁を持つ平屋。

内装や家具も目に優しい色を持つ、簡素な物で統一され、部屋は三つ。

これはロシェの王都・ラディでは一般的な屋敷である。


「するわけないでしょうが! 折角人々に植えつけた夜光蝶のイメージ崩れたら、お母様がまた煩くて仕方なくなるじゃない。でも、そろそろいいかなって思っているのよね。ほら、私にはロロ様がいるじゃない? あっ、なんかロロ様に会いたくなっちゃったわ。恋って素敵。名前を口にしただけで、こんなに温かくなるんだもの」

彼を思うと頬が熱くなる。

私の大好きな人。


「ねー、レダ。ロロ様の元へ行ってもいい?」

ロロ様こと、私の恋人――サディル子爵家嫡男・ロロアルト。

彼は王宮仕えの若き役人で、私とは数か月前の夜会にて出会った。

これが最初で最後の運命の出会い!

あの時、一瞬で私の心は奪われてしまったのだ。


「……あ~、早く結婚したいなぁ」

「そうすればこの家からもおさらば出来ますしね」

「うん。二度と関わりたくないわ。もう」

私は吐き出すように口にする。


侯爵家令嬢と子爵子息。

身分差により結ばれる可能性は低めだが、私は構わない。

己の信じた相手と何処までも添い遂げるつもりでいる。


それは私にとって、幼き頃からの夢。

運命の男性と結ばれる事が。


多くの男性を射止めた魔性の女とゴシップ記事に書かれている私だけど、世の少女達と変らない。

いやそれ以上に恋に恋をしているのかもしれない。

それは私を形成している子供の頃に関係している。

大好きな母親代わりの祖母がそうだったから……――





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