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今度こそ死ぬ。
どうやってかわそうとか、どう防ごうとか、刺さったらどうしようとか、痛いんだろうとか、そんな考えがよぎる隙間すらなく、矢はミリサ目がけて飛んできていた。
予感ではなく確信。それを抱いたミリサは、思わず目をつぶった。しかし、一向に矢に刺される様子はない。不思議に思ったミリサは、なぜだろうと目を見開くと、視界に飛び込んできたのは白いマントだった。王国防衛隊の役職付きである証。ミリサの前に立つマントの男は、大声で叫ぶ。
「あの木の上だ。急げ。逃げられる前に捕えるんだ」
その言葉と同時に飛び出したのは二頭の馬。その馬に跨るは当然ながら、二番隊の隊員だ。救援がきてくれたのだとわかり、ミリサの胸に安堵と、少し遅れて強い焦燥感が襲う。
「――あ……副隊長!?」
目の前にいるアクトスの体を揺するが動かない。
「副隊長!? 副隊長! 起きてください、副隊長!」
ぐったりとしたアクトスを目の前にして血の気がひくミリサ。だが、おかしいことに、一向に背中に血が滲むことはない。背中に刺さった矢をよく見ると、矢は刺さっているわけではなく、背中のマントに引っかかっているという状況だった。
そんな様子を見ていたハイトは大げさにため息をついた。そして、馬の上からミリサへと話しかける。
「安心しろ、ミリサ。防衛隊のマントは矢を数発受けただけでは破れない。そういう素材でできているんだよ。しかも、衝撃をある程度は吸収してな」
「え? ……嘘」
ミリサは、目の前のアクトスを乱暴にひっくり返すと、アクトスの胸は上下に動いている。背中に受けた物理的衝撃と、矢を受けたという心理的衝撃が相まって、ただ、気絶しているだけだったようだ。
「なんだ、よかった。生きてるじゃないですか」
そんなつぶやきが聞こえたのか聞こえていないのか。まだ、眠り込んでいるアクトスはごろりと寝返りと打ち、そしてアクトスを抱きかかえていたミリサの胸を、唐突に、がしっとわしづかみにした。
「な――」
そして、ここぞとばかりにその胸を何度も揉みしだく。
「なななななな――」
そして、アクトスは寝たままぼそりとつぶやいた。
「ぷ…………」
「ぷ?」
「ぷにぷにだ」
その言葉を聞いた瞬間に、ミリサの顔は真っ赤に染まった。それは恥ずかしさからか怒りからか。どちらにしてもアクトスの運命はこの瞬間に決まっていた。
「こぉーのぉー、どエロ変態馬鹿副隊長おおおぉぉぉ!」
ミリサはアクトスの顔面を拳骨で思いっきり殴りつける。そして、そのままアクトスの顔は地面へと埋まる。当然、アクトスの顔は大きく変形しており、それを横で見ていたハイトはこれでもかというほど引いていた。
「ほ、ほどほどにな」
ハイトの言葉すら耳に入らないミリサは、気を失っていた上でさらにぐったりしたアクトスをほっぽって立ち上がると、険しい顔つきでハイトに訪ねた。
「残党は?」
「あ? ああ。もう、アクトスを狙った奴らくらいで、野営場所のあたりはとらえた盗賊達の尋問を始めている。お前も、そっちに合流するといい」
「はい」
素直にハイトの指示に従ったミリサの背中からは何やら黒い影がたちのぼっていうように見えた。ハイトは、捕えている盗賊達のことを思うと少しだけ同情する。
「本当に、ほどほどにな」
そんなつぶやきは、ミリサには届かず消えて行った。
◆
襲撃を受けた次の日。
王国防衛隊、二番隊の面々は襲撃の後片付けをしていた。あるものは焼けたテントを片付け、あるものはとらえた盗賊のことを見張っていた。それぞれがそれぞれのやるべきことをやっている中、今日も、皆の話題に上るのはアクトスのことだ。
「やっぱりな」
「あの副隊長。何もできずに腰抜かしてたらしいぞ」
「結局、隊長に助けられて気ぃ失ってたんだとさ。なんだよ、それ。ホント。二番隊の恥だよ、恥」
口々に話されることは、アクトスに対する負の感情しか存在しなかった。
「無駄に優秀なマントのおかげで命拾いだってよ」
「で? そのマントに着られている副隊長はどこにいるんだ? もう帰ったのか?」
「あっちのテントで休んでるよ。怪我人ってことでな」
「でも怪我なんかしてないんだろ?」
「いいご身分だな」
「それよりもよ――って、いてぇな。何すんだよ」
隊員のうちの一人が、話している男を肘で小突いていた。小突かれた男は何事かと文句を言うが、小突いた男の視線の先を見て合点がいったように口を閉じた。
そんな隊員達を見つめるのは、副隊長の側付きであるミリサだ。ミリサは、突然口を噤んだ男達に向かってゆっくりと近づいていく。
「楽しそうですね」
「ああ。まぁ、な」
気まずそうに相槌をうつ男。その男はミリサと視線を合わせずに明後日の方向を向いていた。男の様子のおかしさに気づいたミリサは、自分でも意識せずため息をついて話を始める。
「別にやめる必要はないですよ? 私は副隊長に告げ口する気はありませんから」
淡々と話すその様子に隊員達は何かを思ったのだろう。ほっとした様子を見せて、再び笑みを浮かべると今度はミリサに近づいて話しかけてきた。
「はっ、そうだよな。お前も大変だったんだろ? こっちに来た途端に副隊長の側付きとかあてがわれて。ハイト隊長に言ったらどうだ? あんな恥ずかしい副隊長の横にいることなんて耐えられ――」
にやにやと話す隊員に、ミリサは素早く抜いた細剣を突きつける。その先端は、隊員の鼻っ面の目前まで迫っており、少しでも手元がずれたらそのまま鼻を突き刺そうかというほどだった。
「別に告げ口する気はないですが、その口を開いていいとも言っていません」
隊員が黙ったのを確認すると、ミリサは細剣を抜いた時と同じく素早く鞘へと戻す。そして、そのまま立ち去ろうとする。
「お、おい! ちょっと待てよ!」
「なんですか?」
「なんですかじゃねぇよ! こんな真似していいと思ってんのか!?」
ミリサを呼び止めた隊員は顔を真っ赤にして怒っている。その手はすでに腰にささった剣に伸びている。
「別にいいとは思っていません。ですが、同じ隊に所属する人間を罵倒したり蔑んだりして喜ぶ人に対して私はいい感情は持てません。それに、副隊長は身を挺して私も守ってくれました。命の恩人を悪く言う人間に怒りの感情を持つことは普通のことでしょう?」
「だからってなぁ!」
声を荒らげる隊員。その隊員が眼前にせまったとしても、ミリサは一向に動じない。そればかりか、冷静に淡々と、隊員を見つめていた。
「ちなみに……」
「は?」
「私が二番隊に異動できたきっかけは、山から現れた魔獣を倒したからです。……それも一人で。ちなみにその魔獣の名前は、ブレストロン。聞いたことがありますか?」
ミリサの言葉を聞いた隊員達は途端にざわめいた。
「ブレストロン、だと?」
「嘘だろ?」
「まじかよ……」
隊員達が驚くのも無理はなかった。ブレストロンとは、山に住むシカを大きくしたような魔獣の一種であり、その角の大きさだけでもおそらくミリサよりも大きいだろう。民家の近くで見かけると討伐隊が組まれるほどの強さを誇る魔獣だ。ちなみに、魔獣というのは魔素をあやつる能力を持つ獣の総称である。
そんな魔獣を一人で倒したというのだからミリサはかなりの腕前なのだろう。そして、そのミリサには敵わないと悟ったのか、先ほどまで激怒していた隊員の男は、今は一歩下がり気まずそうに口を閉ざしている。
「では、行きますね。失礼します」
そう言いながらミリサは立ち去っていく。隊員達はその背中をただ見つめるばかりだった。