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「おい」
小屋の残骸を片付けながら、アクトスは声だけでミリサへ話しかける。しかし、ミリサは淡々と作業に没頭していた。月と星だけが、二人のことを見下ろしている。
「おいって」
「認めてませんから」
「は?」
「私は 認めてませんからね! いくら国の切り札って言っても、だらしない副隊長のことは認められません!」
ミリサはそう言ってそっぽを向くと、再び淡々と作業に戻る。さっきまでとは違い制服を脱いでいるミリサは、一般的な女性が着るようなワンピースを着ていた。生地は厚く、丈はひざ下ほどもあり動きやすいのが特徴だ。
アクトスはそんなミリサを見て肩をすくめた。
「別にお前が認めようと認めてなかろうと、俺が副隊長であることは変わらない。俺が望むか望まないかにかかわらずな」
「え……?」
自嘲するような笑いを付け足してアクトスも作業に戻っていった。アクトスの言葉にひっかかりを覚えたミリサだったが、あえて何も言わずに作業を続ける。
ちまみに、アクトスの恩恵である仮初めの化身は簡単に言えばエネルギーの集合体である魔素の塊を放出するだけの力だ。その力の大きさは規格外なのだが、今回は空に向けてアクトスが放ったため、直撃は避けれた。もし直撃したら、この国ほど吹き飛んでいただろうが。
そんな力の持ち主であるアクトスは瓦礫などには目もくれず、自分の私物を一つずつ集めだした。それらを見つける度に、アクトスは笑顔を浮かべほっと息を吐く。
「お、よかった、こいつも無事だったか。よしよし、こいつもだ」
そんなことをつぶやきながら、アクトスは丸い光る球体をそっと持ち上げた。それは、淡く光る球体であり、アクトスがそれを目の前に差し「インボーク・ライト」発すると、その球体は静かに浮き上がる。
「ふぇっ!?」
それを後ろから窺っていたミリサは変な声を上げた。
「よし。ちゃんと動くな」
人の頭ほどの位置に浮き上がった球体は淡く光続けたまま浮かんでいる。物が宙に浮くなど、そんなものを初めて見たミリサは驚きで目を丸くしていた。そして、そっと球体に近づくとそれを見つめながら小さく問いかけた。
「……これが副隊長が言ってた神器の研究ですか……?」
「ん? ああ。神器っていっても名前だけな」
「名前だけ?」
ミリサの疑問にアクトスの目が輝いた。
「ああ。本物の神器は知ってるだろ? 神、ガイレスがこの世に授けし三つの力。信仰、希望……そして愛。それぞれの力が宿る神器はかつてこの世界を魔族から救った。その神器っていうのは、最近の研究で、魔素って言われるエネルギーで動いていることがわかったんだ」
「魔素、ですか?」
「ああ。その魔素は生けるものすべてに宿る力であって、俺にも、もちろんお前にもある。その魔素があるお蔭で、その魔素を使うことでこの球体も空に浮くし光る。恩恵の力だって発動すると言われている。そして、その魔素を使った道具を総称して神器って呼んでるんだ。ガイレス様にあやかってな。本当は副神器って枠組みで研究者達は話してるが、本物の神器なんてそれこそおとぎ話だろ? だから、今はそんな区別もなくなって神器って呼んでるんだよ」
「こんなものがあるんですね…………綺麗」
「耐久性だけが課題だけどな。壊れちまうと、夜だって昼間になるほどの光を放つから厄介なんだ」
ミリサはそっと浮き上がっている球体に手を添える。その球体の光に照らされて、ミリサの色素の薄い瞳が輝いた。柔らかく微笑むミリサと球体の光が相まって、ひどく幻想的に見える。そんなミリサを、アクトスは思わず見つめていた。そして、ふとミリサと目が合うと、慌ててアクトスは視線を逸らす。
なぜだか気まずくなったアクトスは、話をそらすように、別の神器をポケットから取り出す。
「ほら、見てろ? こっちは砲輪っていってな、こうやって使うんだ」
「それは……なんだか小さな輪っかですね。指輪……ですか?」
「に見えるだろ? でもな――」
アクトスは地面に置いた小さな輪から離れる。それとは反対に、ミリサは興味深くその輪っかに近づいていた。
「インボーク・ブラスト」
「ひゃっ!?」
アクトスは自慢気にコードと呼ばれる神器を発動させる言葉をつぶやいていたが、ミリサが砲輪に近づいているのには気づいていない。ゆえに、小さな輪は即座に発動。その輪から激しく噴き出す風。そう、この砲輪は、突発的な風を踏み出す神器だったのだ。
ミリサは何の準備もなくその風を真下から浴びる。当然、風が当たったたけだから体に怪我はないが、ミリサのワンピースはその影響を多大に受けていた。
アクトスが、砲輪の影響をもろに受けているミリサに気づいたのは、風の勢いで胸のあたりまでめくれ上がったワンピースが、ゆっくりと舞い降りている時だった。
当然、ワンピースの下は下着であり、その美しい腰から足への曲線やら小さな引き締まったお尻を慎ましやかに隠す白い布など、そのすべてがアクトスの視界に埋まる。
「あ、あ、あ……」
戸惑うミリサに、アクトスは混乱の極地だ。初めてみた女性の半裸と下着に何も考えられない。脳裏に焼き付いたミリサの美しい肌がこれでもかと思考を埋め尽くしていく。そして、なぜだか何かを言わなければならない衝動に駆られて、思わず口を開いた。
「いや! お前がいけないんだろうが! 神器を発動させるときに近づくだなんて! だからそんな、えっと、なんだ……足とか! そう! 足とか、へそとか白い下着とかが見え――」
「見たんですね?」
アクトスの言葉を遮るように、ミリサの声が耳に突き刺さる。その声はひどくか細かったが、アクトスには脳に直接語りかけてくるような、そんな異様さが感じられた。
「いや、その」
「見たんだ。私の、私の……」
ミリサの表情はアクトスからは窺い知れない。暗く、影を纏い異様な迫力を生み出している。
「違うんだ! まじで! 違うんだ、おい!」
「こぉぉぉー、のぉぉぉー……変態副隊長! エッチ! 馬鹿! アホ!」
そういって繰り出される拳は光速。アクトスは、顎、腹、顎というコンビネーションに容易く地面に崩れ落ちた。
「が、ぐほぉ……」
「もう副隊長なんて知りません! なんですか、そのいやらしい神器は! 後は勝手にやってください! 失礼します!」
そういってミリサは憤慨した様子でその場を後にする。後に残されたアクトスはごろりと仰向けになり夜空を見上げた。
「結構出力でてたな……。ははっ。結果は予想外だけどいい感じで仕上がってる。あともう少し風の向きに調整が必要か」
痛みに悶えながらもアクトスは上機嫌だ。それは決してミリサの肢体を拝めたからではなく、神器の出せる能力が把握できたからだ。いや、もちろんアクトスの記憶にはミリサの体は鮮明に刻み込まれたことだろうが。
「今は、暗闇を照らす光や、小さなものを動かす動力くらいしか作れないけど、いつか……」
アクトスはようやく薄れてきた痛みを振り払うようにゆっくり立ち上がる。そして再び散らばってしまった神器を回収すると足早にその場を立ち去った。そんなアクトスの顔はどこか赤らんでおり、そのほてりはしばらく消えなかった。
◆
「あぁ、疲れた。ようやく寝れる」
バタン、と扉を閉じるとアクトスに静かな日常が戻ってくる。大きくため息をつき肩を落とすと、アクトスは水を口に含んでそのままベッドに倒れ込んだ。
「最悪な日だ……」
そしてもう一度大きくため息をつき目をつぶる。
ああ、今日はいろんなことがあったな。
そう心でつぶやいてしばらく体の力を抜いた。
「神器の作動確認しなきゃな……」
アクトスはそう呟いたが体は重くて動かない。ほぼ徹夜明けであるにも関わらず、朝方にミリサに決闘を申し込まれ、小屋を吹き飛ばし、王と謁見し、小屋の片づけをして今に至るのだ。何時間寝ていないのか、今のアクトスには到底計算などできないだろう。
今も迫りくる睡魔に必死で抗いつつ、ようやくアクトスが頭を起こそうとすると――。
トントントン。
ドアをたたく音。夜遅くに訪ねてくる友人などいないアクトスは、怪訝そうに扉を睨みつけた。そして、なんとか体を持ち上げてゆっくりと扉を開ける。
「なんだ」
すると、そこには先ほど見送ったはずのミリサが立っていた。その顔は何やら真っ青に染まっている。
「ここに、寝ろって……」
「は?」
「寮長にここに寝ろって言われました……。なんか王様の勅令で、副隊長と同じ部屋に住んで警護しろっていうことみたいで。ハイト隊長からもそうするよう言われてるからもう変更はできないって――」
ばたん
アクトスが思わず閉めたドアを、ミリサは必死になって叩き始めた。鈍い打撃音が、夜中の寮内に響きわたる。
「なっ! なんで閉めるんですか!?」
「ここは俺の部屋だ! お前はそのへんで寝てろ!」
「ふ、くたいちょおおおぉぉぉ」
ドアの向こうで地響きのような声を出すミリサだったが、ここでミリサはあきらめない。
短い人生の中で、今まで培っていたものすべてを両腕にこめる。そしてアクトスの部屋の扉を押したのだ。その力はミリサの人生そのものの重さ。人生をぶつけられた扉はその侵入を拒むことができず少しずつ押されて開いていく。
「はぁ!? ふざけんなよっ!?」
アクトスもそれに負けじと全体重をかけた。しかし、極度の寝不足であるアクトスに今のミリサを押し返す力などない。筋力が女性よりも多い男という生物学的な部分でしか今のミリサにアクトスが勝る点はない。それでも、部屋にいれてたまるかという意地で、アクトスはミリサの猛追をなんとか押し込めた。
形勢は互角。ドアは閉まるか閉まらないかのところで前後する。
「私に外に寝ろっていうんですか!? ひどいです! 理不尽です! こんなか弱い乙女に野宿しろっていうんですかぁ!?」
「明日から遠征だ! どうせ遠征中は野宿なんだから一緒だろうが!」
アクトスは怒鳴りつけるがミリスは一向にひるまない。
「だから今日くらいベッドで寝たいんじゃないですかぁぁ! ねぇ! お願いしますよ! あきらめて入れてください! もう、体がだるくてへろへろなんですよぉ。お願いします。寝たいんです! アクトス副隊長の部屋のベッドで寝たいんです! だから入れてくださいよぉ、アクトス副隊長!」
「入れるとか寝るとか誤解を招くことをいうんじゃねぇ! いい加減あきらめろよ!」
ここまできて、とうとうアクトスに限界が訪れる。腕は震え力が入らない。徐々に扉は開かれていき、その隙間から、最早怨霊のような必死さでミリサが顔をねじ込ませてきた。
「もうここは、今日から私の部屋でもあるんですから! 失礼しますよ? 入りますからね!」
「ま、待て! ちょ、なんでっ――なんでだーー!」
「で、私はここですか?」
「まだ、お前の部屋の準備ができてねぇんだよ」
「まあ、いいでしょう」
「何様だ」
アクトスがこめかみをピクピクさせているのを知ってか知らずか、ミリサは頭まですっぽりと布団をかぶる。そこは、いつもはアクトスが食事をしている部屋だったが、今はテーブルも椅子もすべて端に寄せられており、ミリサの布団が敷かれていた。
「それにしても、よく男の部屋で平気で寝られるな。襲われるとか思わなかったのか?」
「襲われる? ですか? まあ、今日の朝襲いかかったのは私なのでおあいこといったところでしょうか」
「あいこ? だと?」
「はい。実家にいたころはお兄ちゃんとも一緒に寝てたことがあるので、よく喧嘩もしてましたし特に気にしません。それより、そろそろいいですか?」
「あ、ああ」
「では、おやすみなさい」
ミリサは布団から頭だけだしてにこりと微笑んだ。家族の話がでたからだろうか。とても自然な、やさしい笑顔だった。
アクトスはそんなミリサの笑顔をみて顔を赤らめたが、ミリサはすぐに布団の中にまた頭を引っ込めたので気づかれずに済む。
「そういう意味かよ」
不意に思い出したミリサのワンピースがまくれ上がった情景を振り払いつつ、どこか拍子抜けしたアクトスは自分の部屋へともどっていった。
こんなドタバタした夜はここ数年なく、自身の平穏は終わったのだとアクトスは思う。しかし、その反面、どこか楽しげな自分がいることに、アクトス自身も気づいてはいなかった。