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「して、なぜこのようなことになったのだ。一から説明してくれ、アクトス殿。それと、ミリサ・ヤーナ殿、だったか」
この国の宰相であるオーキシスは、額に血管を浮き上がらせながら話をしていた。その口調は極めて穏やかであるが、宰相が背負う黒いオーラに、アクトスもミリサも目を合わすことができない。外はすでに、日が沈みかけていた。
ちなみに、ここは謁見の間であり当然王もいる。さらには、二人の直属の上司である二番隊隊長であるハイトもいる。ミリサは圧倒的な場違い感に、ほかの面々は、今回の事件の結果のため、皆、顔が険しかった。
「この馬鹿女がいきなり俺の研究室に入ってきたんだよ。それで俺はなぜだか殺されかけた。俺は悪くない」
自分は巻き込まれたと主張するアクトスは淡々と語る。が、隣に跪いているミリサにも反論はあった。
「なぜだかって! 副隊長は私の決闘の申し込みを受けたじゃありませんか! それに、小屋を吹き飛ばしたのは副隊長ですよ?」
「決闘? 断っただろうが! わけわかんないこと言ってんじゃねぇよ、この馬鹿女!」
アクトスの馬鹿女という言葉を聞くたびに、ミリサのこめかみあたりがピクっと動く。が、それには気づかずアクトスは言葉を重ねて行った。
「それにこの馬鹿女は俺に副隊長をやめろって言ってきやがった。聞けば、この馬鹿女も俺と同じ十五歳。今年入隊したばかりって話じゃねぇか。こんな頭が沸いた馬鹿女、さっさとやめさせちまえばいいんだよ」
「さっきから馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿って何度も何度も……」
ぽそりとつぶやくその声を、アクトスは聞き取れない。何事かと訝しげにミリサを見下ろすと、その顔はすでにゆでだこのように真っ赤だ。ふるふると震えているミリサは、唐突に立ち上がるとすごい勢いでアクトスへと詰め寄った。
「馬鹿女じゃありません! 馬鹿女じゃ! それは、ヤーナ家を侮辱しているんですか!? そもそも、副隊長が訓練もせず、あんな怪しい場所で怪しいことしてるから悪いんでしょう!?」
「別に怪しいことじゃねぇ! 神器の研究だ!」
「神器の研究? 夢物語もたいがいにしてください!」
「夢物語だと? 遊びでやってるわけじゃない! そんなこともわからないのか!?」
「そんなのわかりません!」
「なんだとぉ!?」
「なんですか!」
二人が互いに掴みかかろうというその時――。
「やめんか!」
野太い声が謁見の間に響く。その声の主は、普段の軽い調子からは想像もつかないほど厳しい表情を浮かべた王だった。
「ここは王の御前。そのような言葉、態度。不敬罪で罰せられても文句はいえないが?」
氷のような冷たい表情で宰相が二人に告げる。二人の言葉にようやく冷静さを取り戻したミリサは、再び跪いた。
「申し訳ありませんでした」
「ふんっ……」
ミリサは頭を下げたが、アクトスは立ったまま顔をしかめるばかりだ。
「私は別に、あの小屋が吹き飛んだ責任の所在を明らかにしようとしているわけではない。お前たちは自分がしたことをわかっているか? 国の切り札とも言うべきものを何の意味もなく一つ、失ったのだぞ」
「え……?」
何のことを言っているのかわからないミリス。咄嗟にアクトスを見ると、アクトスはどこか気まずそうに視線をそらしている。
「アクトス殿。お前はこれであと一回しか恩恵が使えん。光は空高く舞い上がったと聞いたが、なんとかこの国を吹き飛ばさなかったその努力は認めよう。しかし、このようなことで恩恵の力を使った失態。これについてはどうお考えか」
宰相から促され、アクトスは口を開いた。
「しらねぇよ。いらなかったら捨てればいい。力がなくなれば処分だなんて慣れっこだろ? 所詮、俺はあんたらにとって兵器みたなもんだ。自由に使えばいい」
「アクトス殿っ!」
「なんだよ」
突如として張りつめる空気に、ハイトがすかさず割り込んだ。
「こら、アクトス。やめないか」
その瞬間、脳天に叩きつけられる拳。アクトスは声にならない悲鳴を上げて悶絶する。
「~~~~っ!?」
「宰相様に失礼な口を聞くな。お前だって好きで仮初めの化身を使ったわけではあるまい」
頭をさすりながら、アクトスは恨めしそうにハイトを見上げる。
「宰相様。おそらくは、アクトスの定めていた自己防衛機能が働いたのでしょう」
「自動防衛機能だと?」
「は。アクトスの恩恵は知ってのとおりかなり特殊なものですが、実は条件を決めて発動させることができるようなのです」
「ふむ」
オーキシスは顎を触りながら小さくうなづいている。
「私はそれを、『命の危機が迫ったとき』に発動するよう決めさせました。ゆえに、今回はアクトスとミリサとの決闘の際、命の危機がアクトスに迫ったということでしょう」
「それほどまでに、ミリサ殿の剣はアクトス殿の命を切迫したと?」
「そういうことになるでしょう」
その言葉に、オーキシスとハイトの視線は自然とミリサに向く。
「な、ななななな」
突然、注目の的になったことで慌てふためくミリサだったが、そんなことには動じもせずオーキシスは落ち着いて話し始める。
「ではミリサ殿。大まかな事情はわかったか? お前はこのエルメサット王国の切り札であるアクトス殿の恩恵を無自覚ながら使わせるに至った。アクトス殿の恩恵の力は戦争や犯罪の抑止力ともなる重要なものだ。これについてはどう考える?」
宰相から話を振られたミリサはまだ事態が飲み込めていなかった。頭の中には「国の切り札? このだらしない副隊長が?」といった疑問であふれかえっているに違いない。
「神の化身の噂は聞いたことくらいはあるだろう? わずか五歳の頃に恩恵の力で我が国の半島を、この王都の十倍ほどの土地のすべてを消し去った力の持ち主。十歳という最年少での防衛隊入隊、現二番隊副隊長をつとめるエルメサット王国の宝刀と呼ばれるその存在を……」
「え……。まさか、そんな――!?」
「それがこの男だ」
ミリサはごくりと唾を飲む。ここまで説明されて理解できないほど馬鹿ではない。しかし、解せないことがあった。それは、なぜ恩恵を使ってしまっただけで、ここまで大事になるかということだ。
「ようやく理解できました。しかし、一つわからないことが。恩恵があと一回しか使えない、というのはどういう……」
宰相は当然の疑問を聞いて小さく息を吐いた。
「…………これは公表されていないことだが、アクトス殿の恩恵、仮初めの化身には使用回数制限があるのだ。それは生涯で三回。この意味がわかるだろうか」
宰相のこの言葉を聞いてようやくミリサは状況を悟った。途端に顔面は蒼白になり、膝も腕もかたかたと震えはじめる。何かを言おうとも、口が震えて意味のある言葉をなさない。
「え……あ――」
ミリサは死を覚悟した。隣に跪く男があの有名な神の化身だということにも驚きだが、単なる平隊員であるミリサが国の重要なカードであった二枚のうち一枚を棒に振ったというのは事実だ。それは、自分自身の命程度では到底釣り合わないだろうということは容易に理解できる。
唐突に頭に思い浮かんだのは両親と兄たちの姿。立派な彼らの後を追いたくて王国防衛隊に入ったというのに、志半ばで死が出迎えた。この結末に家族は笑うだろうか。いや、きっと情けなくて泣くのだろう。「きっと立派な姿で帰ってきます! わがままな娘をお許しください」そう啖呵を切って田舎を出てきた自分をどうしようもなく責めたかった。身の程をわきまえろと、現実を教えてやりたかった。
ミリサはここで泣いてなるものかと目にあふれる涙を必死で堪える。その涙は命を失う悲しみではなく、情けなさからくる悔しさの涙だ。
「申し訳ありませんでした。ミリサ・ヤーナ。この命をもって――」
「やめんか。もう十分だろうて」
ミリサの口上を遮ったのは王だった。王は先ほどまでの険しい顔をどこに置いてきたのか、普段の穏やかな表情に戻っていた。
「陛下……」
「済んでしまったことはもう取り返しがつかん。そして、アクトスの力はあと一回しか使えん事実も変わらん。なら、その力をなんとしても守らなければならん」
傍にいる宰相もハイトも静かにうなづく。
「さて、ミリサよ。お前の命、奪うことなど容易いがそれでは少々つり合いがとれん。それほどまでに今回失ったものは重い。だが、ここで一ついい考えがある」
「いい、考えですか?」
「そうだ。今回の事件、我々もアクトスに護衛をつけていなかったことには非はあろう。そして、お主も何か志があって転属してきたのだろう?」
「は。この命、王のために捧げる所存でございます」
その言葉を聞いて王はどこかいやらしい笑みを浮かべた。
「ならのぉ……アクトスにおぬしのすべてを捧げよ」
「え?」
「常に行動をともにし、アクトスを守れ。地方から二番隊へ転属し、アクトスを死に追いやる寸前まで追い詰めた事実。腕は確かなのだろう。ならば、今回の罪を償うべく、一生をかけてアクトスを守るがよい」
それを命じられたミリサも、守られる側のアクトスも突然の提案に目をぱちくりさせていた。
「では決まりだ! もう夜も遅い。早々に休むがよい」
王のその言葉でこの場は解散という運びとなった。が、今更ながら不満が湧き上がってきたのはアクトスだ。アクトスは颯爽と去っていく王に向かって声を張り上げた。
「ちょ、ちょっとまて! なぜ俺にこんな馬鹿女を!」
「そやつについうっかり恩恵を使いおったのはだれだ! 拒否権はない! 黙って守られとれ!」
捨て台詞のようにそれだけを言い残して王は去っていく。宰相もそれに続き、隊長であるハイトは小さくため息をつきながら二人の話しかける。
「ほれ、いくぞ。あの小屋周りの後始末、お前らがやるんだからな」
「まじか」
「嘘でしょ」
アクトスとミリサのつぶやきは何に対してだったのか。そんなことを考える暇もなく日は登る。