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アクトスが謁見の間で、初陣を命じられたその日の夜。アクトスは一人廊下を歩いていた。夜の帳はとっくの昔に下りており、すれ違う人などいない。
訓練場と同じく、城と隣接している防衛隊宿舎であるが、副隊長より上の位になると個室がもらえた。故に、アクトスは誰に気を使うことなく部屋を抜け出すことができた。そっと部屋から抜け出ると、一心不乱にある場所へと向かう。
「くそっ、くそ、くそ、くそ! 皆、勝手なこと言いやがって!」
口の中で静かに悪態をつきながら、アクトスはひたすらに歩みを進めた。そして、たどり着いたのは、城と防衛隊宿舎との渡り廊下から少しだけそれた場所にある掘っ建て小屋だ。かつてはこの場所に当直の防衛隊員が常在していたのだが、今は新しい当直所ができここは使われていない。そこをアクトスが使用権利をぶんどったのだ。神の化身という二つ名と、副隊長という権限を使って。
アクトスは掘っ建て小屋の扉をあけると、小さなランプに火を灯す。そして、暗がりに照らされたものを見て、ニヤリと微笑んだ。
「待たせたな。さて……今夜はどう弄くり回してやろうか」
そういいながら、不気味な笑い声を響かせていた。その笑い声は明け方まで止むことはなく、怪しげな得体の知れない音がしきりに鳴り響いていた。
◆
次の日の朝。アクトスが夜を明かした小屋の前に一人の少女が立っていた。その少女は、先ほどからひっきりなしにドアをたたき、大声で叫んでいた。
「アクトス副隊長! 起きていますか!? 副隊長!」
「ん!? んぁ?」
突然の騒音の中。アクトスは自分の机に腰掛け飛び起きるアクトス。そして、しばらくしてようやく覚醒してきた意識を集中させると、なにやら自分のことを呼んでいるらしいとようやく気づく。
「な? なんだぁ?」
寝ぼけ眼のまま、髪の毛はぼさぼさ、服も乱れまくっていたがアクトスはとりあえず来客を出迎えようと立ち上がる。その間も外での叫びは続いたままだ。どこか聞いたことのある声でもあった。
「はいよっと。今行くからまってろ」
起きているときよりも、さらに重い腰をあげ、アクトスは目をこすりながら扉を開けた。
「さっきからうるさいっ――、な……」
アクトスが勢いよく開けたその扉の前にいたのは、防衛隊の制服を着ている少女だ。アクトスとそう年はかわらないだろうか。その少女に、アクトスは思わず目を奪われた。
少しだけつり上がった目はぱっちりと見開かれており、色素の薄い瞳は透き通っている。瞳と同じ色の髪の毛は腰あたりまで伸びており、透明感のある美しさに思わず息をのむ。さらには、防衛隊の制服の上からでもわかるスタイルの良さ。決して胸は大きくはないが、引き締まった身体が目の前の少女の女性らしさを際立たせていた。
「アクトス副隊長!」
アクトスが少女に見とれている間に、少女はすかさず右手を左肩のあたりにあて背筋を伸ばした。王国防衛隊の敬礼だ。その敬礼には乱れはなく、力強い視線がアクトスを貫く。
「な、なんだ?」
「私は、先週二番隊に配属されましたミリサ・ヤーナです。昨日は、大変申し訳ありませんでした」
「は? ――あ、お前は昨日の……」
アクトスは寝起きの頭で必死に考え、ようやく目の前の人物が、昨日訓練場でアクトスに模擬戦を直談判してきた人物と同一だということに気づいた。しかし、なぜそのミリサが目の前にいるのかわからない。
「王城、王都を防衛する二番隊の皆様にご迷惑をかけないようにと意気込んできました。昨日の訓練でも、皆様の練度の高さに驚いています。辺境で警備をしていた私を拾ってくださった二番隊の懐の深さ、大変感謝しています」
目の前の少女、ミリサの言葉は二番隊を褒め称えているが、だがどこか棘のあるきつい言い方に聞こえた。アクトスは居心地の悪さを感じて顔をしかめる。そして、思わず聞いてしまった。
「……何が言いたい?」
アクトスの質問にぴくりとも表情を変えずにミリサは答えた。
「そんなすばらしい二番隊の中、訓練場でのあなたの態度と噂を聞いて愕然としました。誇り高き王国警備隊二番隊副隊長であるあなたが日頃訓練にも参加せず夜な夜な小屋で奇妙なことを行っていると。私はそれを聞いて我慢がならなくなったのです。そして、副隊長の力がどれほどのものか。それを確かめようとしても昨日のような扱い。まったく納得ができません。……だから、副隊長……」
ミリサは言葉を止めると敬礼をそっと解き、そして自身の細剣をおもむろに抜くとアクトスへとその切っ先を向ける。
「何するんだ、お前――」
「副隊長殿に決闘を申し込む。あなたはこの二番隊にはふさわしくない」
ぎらりと光る細剣の先が、アクトスの喉元を見つめたまま離さない。
「ちょ、ちょっと待てって! いきなりなんだよっ!?」
アクトスは思わず後ずさる。
「この決闘に負けたら副隊長をやめていただく。そうすることで、我が二番隊はよりいっそう洗練されたものになるでしょう」
「ふざけるな――」
数歩いったところでどんっと何かにぶつかった。アクトスが振り返ると、今まで作業をしていた大きな机がその進路を塞ぐ。アクトスは目の前の細剣とテーブルの上と視線を行き来しながらなんとか武器になるものがないかと机をまさぐった。偶然に手に取ったのは、果物ナイフ。だがないよりはましだ。そう思ったアクトスは細剣と相対するように、果物ナイフをミリサに向けた。
「いきなりなんだ、お前。冗談じゃないぞ! いいからその剣をしまえ! 俺は決闘なんか受ける気はない!」
ミリサは、わめき散らしているアクトスのことなど見ずに視点はナイフの切っ先に。
「互いが剣先を交わしたら決闘開始の合図、ですよね。私、こういうの初めてなんで不慣れですが……そうですか。私などに剣はいらないと。そのような小さなナイフで充分というわけですね。わかりました。胸をお借りします」
「いやっ!? 違う、違う違う違う!」
否定するも、その声はミリサには届いていないようだ。ミリサはすっと目を細め、細剣を構える。
「だから待ってくれって決闘なんか」
「はっ――」
――瞬間、部屋の中に広がる殺気。アクトスもただ事ではないその殺気に思わず身構えた。が――。
「遅い」
いつの間にか背後に回っていたミリサの動きに視線は追いつかない。しまった、とアクトスが思ったときにはすでにミリサの細剣はアクトスの横っ腹をとらえようとしていた。
勝負あり。そう思ったミリサが見たのは、何やら突然現れた球体。その球体に細剣は弾かれ攻撃は失敗に終わる。
「な――!?」
「嘘だろっ!?」
互いに表情を驚愕に染めた。その驚きすら飲み込むように、球体はどんどん大きくなり、やがて二人を飲み込んでいく。
「え? きゃ、きゃああああぁぁぁ!」
眩い光が二人を包む。そのまま光に呑まれた二人は、けたたましい爆音とともに吹き飛んだ。