12.5
ララがアクトスの専属となってから、朝食を作るのはララの仕事となっていた。特にアクトスが頼んだわけではないが、ララが毎朝、コンコン地獄とともにやってくるのだから仕方ない。
もちろん、ララが作る朝食はあくまでおいしいし、仕事が減るのはミリサとしてもうれしいことなので異論はなかった。
そのため自然と朝食は三人でとることが通例となる。そんな日々が一週間ほど続いたある日。アクトスは妙なことに気づいた。
ある日の訓練後、アクトスとミリサは部屋へと戻った。そして、ミリサが夕食を作り二人で食べるというのが常なのだが、その日は……ミリサが、あのいつもうるさいくらいのミリサがほとんど言葉を発しないのだ。そんなミリサを、アクトスは部屋に帰る途中じっと見つめていた。
思えば、一週間ほど前にララが現れてからミリサの様子は少しだけおかしかったように思える。アクトスはそんなことをぼんやりと考えていた。
部屋に帰ってからも、ミリサはぼんやりと何かを考えていることが多い。今も、料理を作りながら、手が止まってしまっていた。
「はぁ……」
ため息をつくミリサ。何度目かわからないほどのため息に、アクトスも思わず、もらいため息だ。
「おい」
「はぁ……」
「おいって」
アクトスが呼びかけるも返事はない。
「おい! 聞いてんのか!?」
思わず机を強くたたきあがら大声を上げると、ようやくミリサもアクトスが呼んでいることに気づいた。
「ひゃっ!? え? あ、はい、なんですか? 副隊長」
ぎこちない笑いを浮かべながら、ミリサはアクトスへと顔を向ける。
「なんですか、じゃねぇ。どうしたんだ。こっちまで辛気臭くなるからやめろ」
「何のことです? 私はいつも通りですけど……」
「んなわけないだろ。なんだ、その野菜」
アクトスに指摘されミリサがまな板の上を見ると、そこには歪に形もそろっていない野菜たちがいた。
「ため息だって何十回もつくのがお前の普通なのか?」
「ぐ……」
「いつものお前なら、『ほら、副隊長もお皿並べておいてください! 少しは手伝ったってよくないですか!?』とか、『贅沢いい過ぎなんです!』とか、作ってる間もやかましいじゃねぇか」
アクトスに指摘され、ミリサは小さくなって俯いてしまう。その様子はまるで怒られた子供のようだ。
「座れ」
「へ?」
「話くらい聞いてやるから」
アクトスの言葉に目を見開くミリサ。そして、しばらく考え込むと、ようやく席についた。しかし、しばらくは何も発さない。指先をもじもじといじりながら、肩を落としている。そんなミリサを、アクトスは何も言わずに見つめていた。
そして――。
「……なくなっちゃって」
「ん?」
「自信がなくなっちゃって……」
アクトスはその言葉に驚いた。ずうずうしさの塊だと思っていたミリサがこんなことを言うなど夢にも思っていなかったのだ。
「私の実家、ヤーナ家は元々父が武勲をたてたことで王から貴族としての地位をいただいたんです。そんな父を見て長男は同じように立派な騎士に、二男はそれを支えようと文官として出世しています。私はもともと何のとりえもないただの女でした。大人になれば、きっとどこの誰ともわからない人に嫁ぐ。そんな運命だと思っていたんです」
静かに語るミリサは、普段よりも少しだけ大人びて見えた。アクトスはそんなミリサの話をそっと聞く。
「でも、ある時私にも恩恵が宿りました。その恩恵は貴族として生きるには必要ないものです。戦いの中で活きるそれを、私はどうしても活かしたかった。私しかできない何かができるって思っていたんです」
「それで王国防衛隊に?」
「はい。もちろん、最初は領地の近くで働くことができる三番隊に配属されました。女でしたし、ヤーナ家の名があるといっても、私自身は何もできませんでしたから。近くにある村や町で、訓練や警備をしたり、魔獣の討伐隊を組んだりして過ごしていたんです」
そこまで話し、ミリサはぱっと顔を上げた。
「でも、そんな私にも転機が訪れました! ブレストロンという魔獣が私が警備をする町の近辺に迷い込んできたのです」
「ブレストロンか」
その名を聞いてアクトスはブレストロンの姿を思い浮かべた。何度かハイト達が討伐に出かけていたことを思い出す。アクトス自身は王都に待機していたが、討伐されたブレストロンの大きさは、驚くべきものだった。
「私は策を練り、私の恩恵を一番有効に使える局面を考えました。そして、なんとか私一人でブレストロンを討伐したのです。その功績が認められ、私はここ、二番隊への転属が決まったんです……。だからでしょうか。私、少しは自信がありました。あのブレストロンだって一人で倒せるんだって。そんなことできる人は数少ないんだって……」
そこまで話すと、またミリサの声はしぼんでいく。そして、自嘲するような笑みを浮かべた。
「でも、私は副隊長に負けました。側付きの役割である護衛の意味なんてありません。それに、ララさんの治癒術はすばらしいし、今までやっていた料理なども私は特に秀でているわけでもありません。私には、胸を張って誇れるものなんてないんだって思ったら……なんだか落ち込んじゃって」
アクトスは一呼吸おくと、おもむろに立ち上がる。
「お前の恩恵って、俺との模擬戦のときのあれか?」
「はい……月下美人。わずかな時間ですが、私自身の身体能力のすべてを向上させます。この前の盗賊と戦った時も、副隊長を最初に襲った時も。それがないと私はきっと死んでいました。結局、恩恵の力に胡坐をかいていたんでしょうね。私自身はとても弱いっていうのに」
「なら、もっとそれを使えばいい。俺みたいに回数制限があるわけじゃないだろ?」
「使えないんです。あれ、一回使うと体中の魔素? でしたっけ? あれをほとんど使いきっちゃうみたいで……。また使えるようになるまでかなりの時間が必要なんです」
「そうか」
アクトスは歩きながら頭をかいた。そして、ミリサの傍までやってくると唐突に笑った。小さく、吐き捨てるように。
「ははっ」
「な――っ!? どうして笑うんですか!?」
突然のアクトスの笑いに、ミリサは思わず声を荒らげていた。そしてアクトスを見上げる。思わず睨みつけるような視線になってしまったが、次のアクトスの言葉でその鋭さはすぐに鳴りを潜めた。
「いやな。俺達似てるなって思ってさ」
「似てる?」
「ああ。俺はあと一回しか恩恵が使えない。それに、この国が俺の恩恵にしか価値を見出していないのも知ってる……。俺自身には価値はないんだよ。お前も一回の戦いで一回しか恩恵が使えなくて自分の弱さに嫌気がさしている。なんだか、似てるだろ? どっちもかなりマイナス思考だがな」
そう言いながら、アクトスはミリサの頭にそっと手を置いた。
「だが、お前は言ってくれた。価値がない人間なんていないって。そのままでいいって言ってたじゃねぇか。お前だってそれは同じだろ? あの時も、お前がいなかったら俺は死んでたんだ。なら、互いに命の恩人だ。とりあえず、そこに価値を見出せばいい」
「ふ、副隊長……」
「今弱いなら強くなればいい。俺だって……」
そう言いながらアクトスはミリサに置いていた手をそっとどけると強く、強く拳を握りしめた。そんなアクトスの様子をみて、ミリサもぐっと歯を食いしばる。
「そう……そうですよね。強くなれば、いいんですよね」
「ああ」
力強いアクトスの相槌に応えるように、ミリサは立ち上がって両手を突き上げる。
「はいっ! なんか元気でました! よし! やるぞっ! やるぞーー!」
大声を上げながらミリサは再び台所へと向かう。とりあえず、まずは腹ごしらえだと言わんばかりに、包丁を野菜に叩きつけはじめた。
そんなミリサを見ながら、アクトスは微笑んだ。意識しない微笑み。それは、とても自然なものだった。
そうして、二人はいつも通りの夜を過ごした。昨日までと何も変わらない夜を。変わらないはずの夜を。
だが、現実は無情にも二人に変化をもたらした。アクトスとミリサ、二人が騒いでいた余韻さえも消えた頃、唐突に響く何かが割れる音。そんな音にアクトスははっと目を覚ました。
「――っ!? 何の音だ?」
ベッドの横に置いてある剣をとると、アクトスは急いで部屋を出る。すると、廊下で何者かと鉢合わせた。目の前にいる誰かは、顔に黒い覆面をかぶっており顔はわからない。背格好からすると、男だろうか。それが二人いる。
目の前の二人が身構える。殺気を感じたが、やりあうよりも先にアクトスは確かめたいことがあった。ゆえに、ポケットから砲輪を取り出すと、早口でコードを唱える。
「インボーク・ブラストっ!」
爆風が目の前の二人に襲いかかる。その爆風が目くらましとなり、アクトスは二人の横をすり抜けて走った。
「おい! ミリサ! 無事か!」
叫びながらミリサの部屋に向かう。あっという間に広がる焦燥感。無意識に胸をかきむしるように手を動かしながら、アクトスは走った。そして、何も言わずにドアを開けるとそこには既に何もなかった。開かれた窓と風にひらめくカーテン。その後ろに見えるのは月明かりだけ。茫然と部屋の中を眺めていると、後ろのほうから足音が近づいてくる。
『警戒を怠るんじゃないぞ』
ハイトに言われた言葉が脳裏をかすめ、戦いは避けられないと剣を握った。人と切りあう覚悟。いまだ、それを持っているとは言い難い。
額から流れる冷や汗。震える手と膝を無理やり力で抑え込んでいた。と、その時遠くでドアをたたく音と声が響く。
「おい! アクトス! 何かあったのか!? おい! 開けろ!」
それは今しがた思い出したハイトの声だった。その声が聞こえた瞬間に、近づいてきた足音は止まる。そして、どこかの窓を突き破ったのか、また何かが割れる音が響きわたった。
今度近づいてくる足音は聞きなれた音。聞きなれた声。ハイトは、立ち尽くすアクトスの元へと颯爽と駆け付けた。そして、ハイトがアクトスの様子を見て瞬時にただ事ではないと理解する。
「どうした。何があった」
それに対してアクトスは答えられない。どこか焦点の定まらない瞳で一点を見つめている。
「おい! アクトス! 何があったかと聞いている!」
怒鳴り声にも近いハイトの叫び声。その声でようやくはっと気づいたようにアクトスはハイトに視線を向けた。発した声はあまりにも小さく震えていた。
「ミリサが……」
「ミリサか。あいつがどうした」
「さらわれた」
それを聞いたハイトは思わず歯噛みする。そしてアクトスがいるミリサの部屋へ大股で入り込むと、床に打ち付けられている一枚のカードをみつけた。カードを打ち付けているのは小さなナイフだ。
「おい、アクトス。これ」
ハイトはカードを拾いアクトスに渡した。それを見たアクトスは、ひどく顔をしかめて拳を握る。
「とぐろを巻いた蛇。俺達が追っていた盗賊団だ」
アクトスは蛇の書かれたカードを、思わず握り潰していた。
ハイトは、というと、カードを打ち付けていたナイフをじっと見つめていた。強く、強くそのナイフを握りしめながら。
そして、小さくつぶやいた。
「間違いない。ガスドックだ……」
ハイトの言葉は、いつまでもアクトスの耳に残っていた。




