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「さぁ! 副隊長! 起きてください!」
明るく響く声。
アクトスの宿舎の部屋の中には、毎朝その声が響き渡り、アクトスの脳をえぐっていく。朝方まで神器の開発をしているアクトスにとっては、その声はまさに憎しみや恨みの対象でしかない。
必死で布団に包まっても声は容赦なくアクトスの耳へと届き、さらには、その声の主が少しずつ近づいてくるから性質が悪い。
「ほら! 副隊長? 朝ごはんさめちゃいますから! ねぇ! 聞こえてますか?」
何とか眠りの時間を伸ばせないか画策しても、声はすでに部屋の目の前。ここまでくると、目を覚まさないほうがデメリットが大きい。なぜなら、その声の主は容赦なくアクトスを布団から放り投げるからだ。訓練されたその筋力を使って。
ドンッ!
その音が聞こえたその時がタイムリミットだ。アクトスはすかさず上半身を起こし、さも今まで起きていたかのように振る舞った。
「毎日毎日。いい加減にしろ」
「なんだ。起きてるならちゃんと返事くらいしてください。副隊長」
アクトスが起きているのを確認すると、ミリサはぷいっと体をひるがえし台所へともどっていく。そう、アクトスとミリサ。二人が共同生活をはじめて、もう一週間がたっていた。
最初こそ、言い争いが絶えなかったが、それが一週間となると互いに慣れがでてくる。踏み込んではいけない領域というものがおぼろげながら見えてきた頃であり、その領域の曖昧さから時折喧嘩をしてしまう。そんな距離感だった。
アクトスは、基本的に二日に一度買いに行く、やたらと固いパンをかじっているのが朝食の常だったが、ミリサが来てからそれは変わる。実家にて、一通りの家事などを身に着けていた元令嬢は当然料理を作ることなど容易い。アクトスが起きるころには、すでにミリサが朝食の準備を終えてまっているのである。傍からみたら、ただの新妻だ。
ここまでくるとアクトスも当然慣れてきており、眠気眼をこすりながらテーブルへとやってきた。
「で、今日はなんだ?」
「いつもと同じですよ? 副隊長の好きなパン屋のパンと、それとスープに……」
「別に好きじゃねぇよ。近いだけだ」
「そうですか? わたしは好きですよ、このパン屋さん。お店の人が優しくてたまにおまけしてくれるんです」
「は、そうかよ」
興味がないといった素振りで、アクトスは席へと座りパンをほおばる。それをみていたミリサも、同じように朝食を食べ始めた。
食器同士がぶつかる音と食物を租借する音。その音だけが響く部屋の中はとても温かい。そんな雰囲気の中、ミリサはアクトスをどこかうかがうように上目使いで話しかける。
「そういえば副隊長」
「ん? なんだ?」
「副隊長の今日の予定ーって……何かありますか?」
唐突な質問に一瞬首を傾げるも、少しの間をおいてすぐに口を開く。
「あ? 予定? んなもんいつもどおりだよ。おっさんの事務仕事の手伝いして、訓練みて」
「そうなんですね! なら時間はそれなりに余裕がある、と」
「ねぇよ」
「なら、そうですね。少し時間をいただいてもいいですか?」
「ねぇっていってんだろ? 話を聞け」
「私と模擬戦をしましょう! 訓練とは別に! どうしても! 何としても!」
突然立ち上がりながら叫ぶミリサに驚くとともに、アクトスはすこしばかりの怒りを感じた。一向に話を聞かないのもそうだが、その内容がだ。
「いいじゃないですか! やりましょうよ! 別に皆の前でやろうってわけじゃありません。毎日の特訓の成果が活かせないと副隊長だってくやしいでしょ?」
「お前何言ってんだよ。全然意味がわかんねぇ」
「意味がわかんないって……だって、副隊長、毎日夜中に剣を振ってるじゃないですか」
「な――。お前、なんでそれ――」
ミリサの言葉を聞いたアクトスの顔は驚きで満ちていた。誰にも知られたくないからこそ夜中にやっていたにもかかわらず、なぜだかミリサには知られていたからだ。秘密にしていたことを知られ、アクトスは恥ずかしさのあまり赤面してしまう。
「知ってますよ。側付きですからね。あの盗賊の討伐の時に夜中、抜け出すのを見たんです。それから毎日ですから。夜中に抜け出してはひたすら――」
なぜだか意気揚々と話し始めるミリサの口をアクトスは咄嗟に手でふさいでいた。むりやり口を押えられているミリサの顔は、ひどくひんまがっている。
「もがががががががが!」
「それ以上言うな。ぶっころすぞ!」
顔から口が取れそうなくらい押さえつけていたアクトスだったが、ミリサがそれをよしとするわけはなかった。なんとか体勢を立て直すと、すかさずアクトスの腕を振り払い、そして距離をとった。
「ちょっと!? 苦しいです! 痛いです!」
「しらねぇよ。お前が悪いんじゃねぇか」
「そんなことありません! そもそもですね。その特訓を実践でも活かさなきゃならないっていうのは、副隊長が一番知ってるんじゃありませんか? この前みたいになるくらいなら、私でよければ特訓相手になりますってことです!」
「別に頼んじゃいない」
「私だって、最近副隊長の側付きの仕事しかしてないから、体が動かしたりないんですよ!」
「知らん!」
「それにそれにそれに! あんなに綺麗な剣筋。見たことなんてなかったんですから……。だから……だからみたいんです。ちゃんと」
急に声のトーンが下がり、ミリサは神妙な面持ちでアクトスに告げる。アクトスは、ミリサの言葉を聞いておもわず呆けてしまっていた。
「だ……だめですか?」
再び上目使いでミリサが問いかける。
ちなみに、ここは部屋の中だ。当然、ミリサもアクトスも部屋着である。ミリサは慣れ親しんだ厚手のワンピースを着ているが、その胸元は寝苦しくないように少し開いている。さらに言うならば、アクトスとそんなに背が変わらないミリサが上目使いになるということは、その姿勢は前かがみということだ。唐突に解放される胸元からミリサの胸の谷間が見え隠れし、アクトスの視線は思わずそこに吸い寄せられる。
――が、そこは必死で抗い、アクトスはミリサの言葉を自身の中で反芻していた。
「綺麗だと?」
「はい」
「俺の剣筋が?」
「んー、っていうより型がとても綺麗でした」
ここまで聞いて、ようやく聞き間違えがなかったのだとアクトスは理解した。それとともにアクトスの脳裏に押し寄せたのは、嬉しいという感情。その感情をなんとか表に出さないよう、声を抑えながら口を開いた。
「昼飯の後だ」
「え?」
「昼飯のあとなら時間がとれるだろ? 一応審判役におっさんも連れてきてやるから。それでいいか?」
アクトスの返答に、ミリサの顔が綻んだ。
「はい! ありがとうございます!」
そしてミリサは嬉しそうに、朝食を口の中へとほおばっていった。




