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五月病と大判焼き

作者: たいやき

 なんとなく書きたいテンションになったので書いてみました。短編というには長めだと思います。

 ジャンルは文学になっていますが、他のジャンルではしっくりこなくて、とりあえず文学にしてみただけです。こんなの文学じゃないと思ってもあしからず。

 勢いで書いただけなので矛盾とかあっても気にしない。

 特別、嫌なことがあったわけでもない。

 特別、悪いことがあったわけでもない。

 ただただ毎日、微妙に嫌なことばかり起きる。


 勘違いした上司的な人に叱られたり。勘違いにだと説明した後に謝られても、一方的に怒鳴られた苛立ちは消えてくれない。

 無責任な言葉を投げつけられたり。当人たちは悪気なく言っていても、言われる側は傷つく。


 全部投げ出そうと思いきれるくらいにひどいことではないけれど、着実にストレスは溜まっていく。

 だんだんだんだん気力が失せていって、何かを楽しいと思うことも減っていく。

 趣味だったはずのことすらただの作業に成り下がる。

 何かをしたいという情熱も、何かをしようとする意思すら萎えていく。

 これが五月病というやつだろうか。気だるいのはここ数年ずっとなので、いまいち分からない。

 確かなのは、いろいろなことに疲れているということだけだ。


―――


 五月五日。子どもの日。世間ではゴールデンウィークと言われる大型連休の一日だ。

 私は自宅の、機会を逸して出しっぱなしにしていたコタツに埋もれていた。いつも通り朝ごはんにパンを一切れ食べたっきり、ずっとごろごろしている。

 起きたはいいけど昨日までの疲れがまだ抜けていないのだ。


 昨日は働き一昨日も働き先一昨日も働いていた。

 大型連休? なにそれ美味しいの?

 GW? ガッデムウィークのことね。

 そんなふうに素で答えてしまいそうな有様だ。

 自分のミスのせいでしなければならないことが増えていくなら仕方がないが、バカに足を引っ張られたせいだとなおさらイライラする。こっちの事情を知らず都合も考えずに安全圏から文句を言われれば心が腐る。

 愚痴を聞いてくれる恋人でもいたら違ったのかな、と思わずにはいられない。

 思ったところでいてくれるはずがないのだけれど。恋人なんて作ろうとする努力すらしたことがない。

 恋愛なんかに目もくれずに没頭できる趣味があったはずなのに、今ではもう楽しいとすら思わない。放置したままだ。


 これは、よくないと思う。

 休んで英気が養えればいいけれど、最近は休んでも気だるさが増すばかり。休むことにすら倦んできた。


 何か、することを探さなければ。

 思い切って外に出れば気分が変わるかもしれない。

 けれども何の目的もなく出かけるのはいかにも億劫だ。

 なにか、日帰りできて気分転換になるような出先はないだろうか。


 ごろりと寝返りをうつとコタツに腰骨が当たって大きく揺れた。その衝撃でコタツに乗せていた湯呑が倒れた。

 幸い、中身は飲み終わっていた。コタツの布団がお茶まみれになるという事態は避けられた。


 ……甘い物が食べたい。

 できれば和菓子系。あんこものだとなおいい。

 今日は肌寒いし、熱くて渋いお茶を淹れてあんこを食べたい。


 スーパーへ行って何か買おうか。……なんか違う。それじゃあコンビニ? もっと違う。

 和菓子屋さんへ行って本格的な和菓子を……おサイフを見ると残高が千円ちょっとだった。無念。

 そんなに上品なあんこが食べたいんじゃない。もっとチープで、あったかいのがいい。

 何がいいだろうか。


 ……そういえば。今日は五月五日。ゴールデンウィークだ。

 確か、親戚の家のそばでお祭りをしていたっけ。

 ここ何年も行っていなかったけれど、あのお祭りには屋台がたくさん出ている。

 食べ物の屋台だっていくつもある。

 とある大判焼きの屋台が大好きだった。

 その屋台には『むらさきいも』というあんこの大判焼きが売っているのだ。

 おイモの甘さが活きていて、素朴な甘みがすごく好き。

 他のお店でむらさきいものお菓子を探してみたけれど、見つからなかった。紅芋のやつなら見かけるのに。ちょっと違うのに。


 前は大判焼き食べたさに毎年出かけていたのに、いつのまにか出かけなくなっていた。

 忙しかったから、だろうか。

 違う。一緒に行く人がいなくなったからだ。「一緒に行こう」と言ってくれる人も「一緒に行こう」と言う人もいなくなったからだ。


 億劫さが二重になって襲いかかる。

 気だるい。めんどい。動きたくないにゃー。

 ……でも、ひさしぶりに食べたいなあ。


 甘い物への欲求が無気力に打ち勝ってくれた瞬間だった。


―――


 親戚の家はそう遠くない。私は自転車に跨ってお祭りに出かけた。

 確か、神社の近くの大通りにたくさんの屋台が並んでいた。その真ん中あたりにあの屋台はあったはず。

 せっかくなので親戚の家にも顔は出すつもり。でも、先に屋台に寄ってもいいだろう。親戚の家に向かえば道すがらに屋台通りはあるのだし。


 ……その、はずだったのだけど。


 屋台はほとんど並んでいなかった。

 移動販売車とでも言うのだったっけ。そのまま屋台のようになる車が数台と、もとから大通りにあるお店が敷地内で風呂敷を広げているばかり。


 なんとなく、気付いてはいた。

 昔、お祭りに来た時にはもっと途中の道が混んでいた。自転車どころか車も歩きですら移動が大変なくらいに人がいたはずなのだ。

 なのに、自転車でさっと来ることができた。

 その時点でおかしいな、と思ってはいた。


 大通りに入る。自転車から降りて引いていく。昔はそこらへんに大量に自転車が置かれていたが、今では指定の駐輪場に置かなければいけないらしい。警備の人に言われた。

 自転車を引いていても邪魔にならない。邪魔になるほど人がいないからだ。

 大通りは閑散としていた。

 屋台もまばら。人も少ない。イメージしていた光景とのあまりのギャップに物悲しくなってきた。

 昔は非日常的な、うるさいほどの喧騒があった。今で日常的なざわめきしかない。

 不況のあおりというやつだろうか。屋台を出してもお客さんの払いが渋くて儲からないのだろうか。儲けが減った屋台が減って、屋台が減ったからお客さんが減って、お客さんが減ったから儲けが減ったのだろうか。

 ああ、テンションを上げるために来たのに。逆にアンニュイになってどうするよ、私。


 案の定。むらさきいもの大判焼きを売っている屋台も、大通りから姿を消していた。


―――


 私は自転車を置かせてもらうべく親戚の家に向かった。このお宅を伺うのも何年ぶりになるだろう。

 高校生の頃までは一月一日は祖父母の家に行って、その帰りに必ず寄っていたので、少なくとも一年に一回は顔を出していたはず。

 高校を卒業してからは年末年始にもバイトが入っていたりで元旦に祖父母の家に行くこともなくなっていた。おかげでこの家に伺うこともなかった。


「……こんにちわー」


 ちょうどおばちゃんが庭の手入れをしていたので声をかけた。

 もう何年も会っていない。顔を分かってもらえるだろうか。


「……あらあらまあまあ! ひさしぶりねえ!」

「はい、お久しぶりです」


 振り向いたおばちゃんは一瞬だけ怪訝な顔をしたけれど、すぐに私だと分かってくれた。

 そのまま圧倒的なおばちゃんパワーで家の中に引きずり込まれそうになったけれど、


「あ、そうだったわ。ごめんなさい。いまちょっと風邪っぴきの子がいるの。うつしちゃいけないわよね」


 とのことで、玄関先でストップした。

 ずいぶん久しぶりに会ったので近況を根ほり葉ほり聞かれて、それに答える。


「あれ、……あれー? ひっさしぶりじゃん!」


 ふと家の奥から声をかけられた。


「あ、お久しぶりです、おねえちゃん」


 おばちゃんの娘で、親戚の中でも歳が近くて、よく構ってくれたおねえちゃんだった。


「ほんとに久しぶりだよー! 元気してた? いつぶりかな……あたしの結婚式で会って、そのあと、娘が産まれてから一回会って……それっきりじゃん!」


 ……そうだった。おねえちゃんにはもう四歳になる娘がいるんだった。たしか、最後にこの家に来たのはその子がかろうじて立っていたくらいの時だったから、三年以上前になるのか。


「よかったら上がっていきなよ。お茶くらいなら出すよ」

「だめでしょう、ほら、風邪を引いてる子がいるじゃない。うつしたら大変よ」

「あー、そっか。それもそうだ。ごめんね、うちの子、ちょっと風邪ひいててさ、みんなマスク必須な状態なんだ」


 そう言っておねえちゃんは今の方へ入った。風邪を引いた娘さんはそちらにいるのだろうか。


「……あの、具合、悪いんですか?」


 おねえちゃんの様子を見る限り、そんなに深刻なことにはなっていなさそうだけれど、心配は心配だ。


「ううんと、それがね、「あぴねすみるのーーーー!!」聞いての通りなんだけど、おおむね治ってるの。大事をとって寝かせてはいるんだけど、このとおり元気よ」


 突然聞こえた雄たけびのような声に、きっと私は苦笑いした。おばちゃんの笑みも若干引きつっている。

 そっか……ちょくちょく娘さんを見に来ている父の話に出てくるのは某アンパンばかりだったけれど、もうプリティでキュアキュアな魔法少女に行ったのか。


「それで、今日はどんな御用かしら。遊びに来てくれたのかしら」

「えっとですね、今日はちょっとお祭りを見に来まして。自転車を置かせてもらっていいですか?」

「もちろんいいわよ。そこの日影に置くといいわ」


 木で陰になっている場所を指さされ、お言葉に甘えることにした。直射日光に熱されたサドルは快適と言い難い。


「何か、あの子にお土産でも買ってきましょうか」

「いいのいいの。熱を出してお腹ピーだから、買ってきてもらっても食べられないわ」


 ならお土産を買ってくるとしたら日持ちするようなものがいいかな。たしかコンペイトウの屋台なんてのもあったはず。

 財布の入った鞄だけ持ってお祭りに行こうとすると、


「おーい、これも持ってけー。熱中症対策だー」


 おねえちゃんに何かを投げ渡される。

 突然だったので何度かお手玉してしまったが、なんとか受け取る。小さなペットボトルのお茶だった。


「ありがとうございます」


 にっこり笑うおねえちゃんにお礼を返して、私はお祭りに出かけた。


―――


 このお祭りでは大通りと、そのすぐ近くにある公園に屋台が出る。神社の敷地にも多少は出るけれど神社は本来の目的である神事を開催している。したがってあまり屋台はない。


 自転車を置いて身軽になった私は路地の方から公園を通り、最後に大通りを回るルートで見て回ることにした。もしかすると掘り出し物の屋台があるかもしれないし。

 とはいえ軍資金はお祭り用には心もとない。大判焼きもお土産もささやかな量になりそうだ。


 それにしてもなんでお祭りの屋台はあんなに高いのだろう。

 昔、じいちゃんに屋台で売ってるおもちゃをねだって「こんなもんおもちゃ屋に行けばもっと安く買えるぞ」と言われたのもいい思い出だ。

 結局、ほしいほしいと駄々をこねて買ってもらったっけ。

 たまごから孵った生き物をお世話していくゲームだったけれど、学校が始まるとすぐに生活ペースが合わなくなって死なせてしまった覚えがある。

 悔しくて夏休みにリベンジしたり、内部時計の設定を操作するという荒業を覚えて育てたりした。電池が切れるまで、切れても思い出したように電池を買ってきて遊んだものだ。


 そういえば、じいちゃんもむらさきいもの大判焼きが好きだったはずだ。私に「おいしいぞ」と勧めてくれたのはじいちゃんなのだ。

 お土産に多めに買っていこう、と思って、また気分が落ち込んだ。


 じいちゃんはもう死んだ。癌だった。八十歳くらいまで生きたから、まあ寿命だろう。

 私をお祭りに引っ張って行ってくれる人だった。


 最後にじいちゃんとお祭りに来たのはいつだっけ。十年以上前の話だ。

 ……そりゃ変わるよ。私にはあっという間の十年だったけど、世間の十年はもっと長かったのだろう。屋台から射的や輪投げ、金魚すくいやヨーヨー釣りがなくなって、アイドルの下敷きやポスターを売る屋台が増えている。エアガンのくじなんてのもある。やきそばの屋台が減って、ケバブのような見慣れない屋台が増えた。

 私が最後にお祭りに来たのは五年ほど前だったはず。そこから見ても様変わりしていた。


 当然か。五年もすれば親戚のおねえちゃんは結婚してお母さんになって、その子どもが魔法少女に目を輝かせる歳になっているのだから。

 そんなにも長い時間、見ないでいれば変わってしまうに決まっている。

 地元のお祭りなんて今どき流行らないもの、私のように見ない人が増えて、いつの間にか消えてしまっているものなのだ。

 消えてしまったら、もう戻らないのに。


―――


 するするとまばらな人をすり抜けて、大通りに出た。やはり人は少ない。屋台も少ない。昔、コンペイトウを売っている屋台があったところにはイワナの塩焼きの屋台が出ていた。びっくりした。丸焼きだった。

 改めて見回してみても目当ての屋台はなかった。もう出店をやめてしまったのだろうか。


 大通りをまっすぐ抜けて端につくと、何やら活気があった。

 公園側には、結構な数の屋台があった。


―――


 人が密集していて動きづらい。すり抜けていこうにも隙間がない。いくら私がスレンダーでぼっちスキルを極めていても、ない隙間は潜れない。

 狭い道をやっとこさ抜けるとたくさんの屋台があった。

 見慣れたひもくじやりんご飴、水笛を売る屋台におなじみのわたがし。お面の屋台もあった。記憶と違うのはから揚げの屋台が減って、さーたーあんだぎーや佐世保バーガーといったご当地グルメの屋台が増えていることくらいだろうか。

 記憶にあるのとよく似た光景だった。

 様変わりはしているが、それは変質して消えてしまったのではなく、適応したとみるべきだろう。


 落ち込んでいた気分が高揚してきた。

 お祭りに来ると財布のひもが緩んでしまうのは昔から変わらない。

 あ、チョコバナナ食べたい。例のプリティでキュアキュアな作品のおもちゃもある。おみやげにはこれがいいかな。でもやっぱりあんこものも捨てがたい。

 軍資金はだいぶ心もとない。昔のようにお小遣いをせびってくればよかった。いちおう自分でもお金を稼いでいる身としては子育てに苦労している人たちからせびるというのはプライドが許さないけれど。

 お金はよく考えて使わねば。あ、でもあの屋台のリブロースも厚くて素敵。おにく……。


 とりあえず一周してから買うものを決めよう、と鋼の決意を固めて屋台を回る。

幾多の誘惑に耐え、チョコバナナを頬張りながら歩いていると、何かに導かれるように足が人の流れに逆らった。

 逆らった、とはいっても逆流するのではない。流れから外れるだけ。


 足が動くのに任せていると、視界にとある屋台が入った。


 ――見つけた!


 脳が画像を処理するより先に確信した。

 最速で歩き、屋台に近寄る。案の定、商品を紹介する看板みたいなのにはお目当ての文字があった。


「こんにちは! むらさきいもを五つ!」


 私は屋台のおじさんに「いらっしゃい」と言う隙も与えずに言い放った。


―――


 初めはとりあえず五つ買うつもりだったのに、焼きたてでしかももうひとつあったので、勢いで買ってしまった。昔は一個百円だった大判焼きは、消費税増税の影響か一個百二十円になっていた。時の流れを感じる。


 買ったうちのひとつは手に持つようにしてもらって、その場で食べる。あとの五つは袋に入れてもらって片手に提げている。

 さすが焼き立て。皮の表面がほんのりさっくりしている。

 ……おいしい。懐かしい。丹念に潰されたイモ餡は舌触りが滑らかで、砂糖のものとは違ったイモの甘みがある。

 高級感なんてまるでないけれど、そんなものは初めから屋台の大判焼きに求めていない。ほっこりとした滋味で口の中が幸せだ。

 とはいえ大判焼きは大判焼き。口の中の水分が吸い取られてお茶が欲しくなる。

 そういえば、さっきおねえちゃんからもらったお茶があったはず。

 鞄から取り出し口をつけるとぬるい風味が広がった。うん、胸がもやっとする温度。


 せっかく目当てのものを食べているのに気が進まないのは胸のむかつきのせいだ。

 屋台のおじさんと少し話をした。

 昔から好きで、前はよく買いに来ていたことを話すと、屋台の位置が変わった理由を教えてくれた。

 なんでも、苦情が入ったそうなのだ。

 こちらのお店の屋台ではなく、お祭り全体に対して。大通りが使えないのは不便だからさっさと道を開けろ、と。祭りの時間が終わったら一秒もオーバーしないですぐにどけ、と。

 なんとも心に余裕がなさそうな意見だ。あなたの一秒にどれだけの価値があるのかと尋ねてみたい。

 そんな理由で、大通りに出店できるのは販売車を持っているところか大通り沿いに店を開いているところだけとなった。普通の屋台は公園側で開くことになったせいで場所が変わってしまったとのこと。


 世知辛い。

 街に潤いをもたらすはずのお祭りが、そんな身勝手な茶々で水を差されてしまうのだから。

 水を差されて枯れていくなんて、なんとも皮肉なおはなしだ。


 結局。お土産に買おうと思っていたコンペイトウの屋台は見つからなかった。


―――


 帰りは神社の方を通っていくことにした。あちらにも少しは屋台があったはず。

 ふと、香ばしい匂いがした。

 ふらふらっとそちらに足が向かう。


 匂いのもとはとある屋台だった。

 覗いてみるとベーコンやウインナーを売っていた。

 それも、スーパーでよく見かけるようなやつじゃない。……その場で燻製して軽くあぶった本格的なやつだ!

 ちょっと、いやとてもテンションが上がった。某農業青春グラフィティを読んで以来ずっと食べてみたかったのだ。


「おじさん、ベーコンをひと、つ……!?」


 財布を取り出して注文しかけて、気付いた。

 お値段。ベーコンおひとつ六百円。

 お財布残高。四百九十二円。


「…………なんでも、ないです」


 無念。大判焼き、あとひとつが命取りだった……。

 痛恨のミスだ。くっそう、完全におにくの口になっていたのに。


「……切れ端でよかったら、食うかい?」

「!!!」


 きっと、私は傍目に見てもわかるくらい落ち込んでいたのだろう。屋台のおっちゃんがベーコンの欠片とでも言うべきものをパックに入れてこちらに向けてくれている。

 こくこくと無言でうなずき、両手で謹んでお受けする。ご丁寧にツマヨウジまでつけてくれていた。

 口の中に立ったフラグを回収するべく「いただきます」と気合を入れて呟いて、さっそくベーコンを口に含む。

 焼いた時についたのだろう肉汁の旨味がする。燻してつけた香ばしさが鼻に抜ける。軽くあぶったことで香りがより強くなっているのだ。

 噛んでみると今度はおにく本体から肉汁が出た。おにくそのものの旨味と、適度な塩気が相まってたまらない。おいしい。もはやエロい。

 切れ端だけあって固めだけれど、もともと貧乏嗜好の私には高級で柔らかいのより口に合う。ある程度歯ごたえがないとおにくを食べている実感が湧かないのだ。

 そんなに量があったわけでもないのですぐに食べ終わってしまう。満足だけれど、ぜいたくを言うなら御飯が欲しかった。絶対合う。次こそはちゃんと買って、すぐに家に帰って御飯のおかずにしてやる。


 おっちゃんからもらったパック(空)を近くにあったゴミ箱に捨てて、屋台に戻る。


「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです。それとこれ、気持ちばかりなんですけど……」


 きちんと手を合わせてお礼を言って、三百円ほど献上する。

 おっちゃんはそれを笑って固辞した。


「いんや、いらねえよ。あれは売り物にならない部分だしな」

「でも、ごちそうになったんですから」

「いらねえって。御代はもういただいてらあ。あんだけ旨そうに食ってくれて、ごちそうさままで言ってもらったんだ。十分すぎる御代だよ」


 ……どうしましょう。おっちゃんがイケメン過ぎる。

 これ以上お金を払うというのは無粋だ。私はお金を財布に戻す。


「それじゃあ、来年もまた来ます。その時にまたお世話になりますね」

「おう、楽しみにしてる」


 最後に会釈して、私は屋台をあとにした。



 神社のすぐそばを通ると、見覚えがある、けれどここにあるのはおかしいのぼりを見つけた。

 『伊勢名物』と書かれれたのぼりだ。屋台……というかテントで営業しているそこではお茶屋さんと並んでお伊勢名物を販売していた。

 何故。昔はこんなのなかったはずだ。ここはお伊勢じゃないのに。出張販売にしても遠くまで来すぎじゃないだろうか。

 文句はないけど。むしろ買うけど。変わらぬ伝統の味だ。

 十個入りの箱は千八十円と手が出なかったので、二個入りの箱を買う。こちらは二百三十円と手が出る範囲内だ。


 大判焼きの袋に一緒に入れて、私は親戚の家に戻った。

 お土産を買うのをすっかり忘れていたのは着いてからのことであった。


―――


「……これ、お土産です。よかったらどうぞ」


 結局、断腸の思いで大判焼きをおすそ分けすることにした。

 やっぱり未練たらたらなのが顔に出ていたのか、


「気を使わなくてもいいのよ。お祭りなんてすぐに行けるし」


 と笑って遠慮された。


 ちなみに今いるのも玄関先だ。風邪を引いた子がいるのに上がり込むのも悪いだろう。

 おねえちゃんも居間から玄関に来たので、社交辞令としてお伊勢名物を出すと、


「わ、ありがとー。ってなんで? こんなの売ってたんだ」

「……はい、神社の前で」


 普通に受け取られてしまった。私のあか○く……。


 そのあと、自宅に帰る前にすこしだけ雑談をした。

 おねえちゃんは専業主婦じゃない。自分も働きながら子育てをしている。だからこそちょくちょく実家に帰ってきて娘の世話を頼んでいるのだけれど。

 そのためか、やっぱりお祭りには行けていない。私が変わったと思ったところを話すとほへー、とかそんなにかー、と(おねえちゃんにしては)興味深そうな返事をしてくれた。


 ……そういえば、と。ちょっと気になっていたことを尋ねる。


「おねえちゃん、昔は結婚なんていいやって言ってたよね。仕事楽しいし、子どもできたら面倒だしって。どうして考え方が変わったの?」


 ずっと疑問だった。

 おねえちゃんは昔から結婚願望みたいなのを持っていないように見えた。結婚するという話を聞いた時には驚いたものだ。おねえちゃんは結婚から縁遠いところにいると思っていたから。


「んー、べつに変わってないよ?」

「え?」


 きっと私はすごく間抜けな顔をした。おねえちゃんは私の顔を見ておかしげに笑う。


「仕事は楽しいし、子育ては大変だ。今でもそう思ってる」

「じゃあ、なんで」

「仕事も楽しいし子育てが大変でも、結婚したいと思ったから。娘も可愛いし」


 今は幸せだよ。おねえちゃんは居間の方を見て、さっきとは少しだけ違う笑顔を見せた。

 それは、私が知っているのとは違った笑顔だった。

 けれど、私が知っているのと同じようにも見える笑顔だった。


 今度は玄関に腰を下ろして、落ち着いて話をした。お互いに愚痴を言い合ったり、他愛のない雑談をしたり。

 すると、庭に車が入ってきた。

 おねえちゃんの旦那さんだった。


「こんにちは。お久しぶりです」

「……ああ! ひさしぶりだねえ」


 優しそうなおじさん、という容貌の人だ。白いシャツと黒いスラックスがよくなじんでいる。


「ぱぱーーーーーー!!」

「娘よ、具合はどうだ――あっ!?」


 挨拶もそこそこに居間に入った旦那さんは、娘にタックルされて転びそうになっていた。

 少し覗いていると、娘さんは寝転がった旦那さんの上を歩いたり、乗っかったりしている。おねえちゃんはそれを見て「パパいじめちゃ駄目でしょー」などと言いながらも止めようとはしない。


 そんな光景を見て、二個入りの1パックしか買ってこなかったのは失敗だったな、と思った。


―――


 翌朝。私は目を覚ます。

 気だるさは相変わらず。

 久しぶりに自転車を回したせいで両足が筋肉痛だ。動きたくない度で言えばいつも以上。


 一日中寝転がっていたい気分だけれど今日は休みじゃない。予定が入っている。

 気合いというか習慣の力で立ち上がり、顔を洗い歯を磨く。


 台所のテーブルには昨日買った大判焼きが乗っている。昨日も帰ってきてからお茶を淹れて食べたけれど、五つは食べきれなかった。

 もはや焼き立てのころのやわらかさはない。ずいぶんと硬くなってしまっている。


 でも、大丈夫。私には頼もしい味方がいる。

 かたくなった大判焼きを電子レンジに入れてあたためること三十秒。


 皮のふちはまだかたいまま。

 けれど中のあんこは熱いほどだった。


 いつも通りの格好に着替えて家を出る。

 今日もいつもと変わらない一日が始まるのだろうか。


 いや、そんなことはない。

 いつもの一日というのなら、朝食がむらさきいもの大判焼きのはずがないのだから。


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― 新着の感想 ―
[良い点] とても良かったです。 読んでいて、寂しいような愛しいような、判別できない感情が湧き上がってきました。 たぶん、主人公への共鳴みたいな物だと思う。現実に存在しそうな主人公のリアルな感情を疑似…
[一言] 泣いた
[一言] なんと言うか、何なんでしょうね。人生なんてこんなもんかって、思ってしまう事が多いんですけど、こんなもんの人生に一喜一憂を繰り返して、高々十八年しか生きてないガキが何言ってるんだろうと思われそ…
2014/05/12 17:34 退会済み
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