八話
「頃合いかな」
日差しは地平線の下から顔を出し、膨張しかできない木々へ光を献身的に与えている。小鳥のさえずりが鳴り始め、梟の鳴き声は何処へやら。それでもヘスソスの周囲はピリッとした緊迫感が漂っていて、朝になったからと言って見張りの気を緩めたわけではないことがよくわかる。カルンは一夜――と言っても、獣人の襲撃は夜半ごろだったので、丸ごとではないが――起きていることが厳しくなったのかうつらうつらと船をこぎ始めている。それでも、ある程度は起きていたのか目元の隈は目立っている。
流石に、何時間も雑談は続かなかったようだ。
「寝てる――か?」
俯いて、気配の察知に全神経を傾けていたヘスソスは顔を上げ、カルンを見た。
「――ん! あ、寝てない! 寝てない!」
顔を真っ直ぐにしたまままどろむことなどありえなく、カルンは傾いた顔をばっ、と日差しが昇る方角
へ向け、あわあわと首を振る。
「慣れてないからな……まぁ、別にいいだろ」
「うっ……ごめん」
「数か月もすればなれるさ――ある程度気を張りながら、休息を取る。勿論、こいつらみたいにぐっすり眠ったほうが疲労は取れるけどな。付け焼刃みたいなもんだが、使えた方が良いに決まってる」
「そうだな――だから、隈も無いのか」
目元に妙な違和感を感じるカルン。それは隈の所為だと当然わかっている。
「あぁ、そうだな――慣れりゃぁ、中々つかなくなる。目に違和感があったら、魔法の射程もつけづらいしな」
「便利だね」
「いや、必要だからさ――俺らからすると、一般人の日和見の方がよほど便利に見えるもんさ。街の中を、あんな悠長に歩けるか、ってね」
「ふん、そういうものなのね」
「あぁ。そうだ。さて、二人を起こそうか。依頼は、終わったしね」
「依頼――?」
そういえば、とヘスソスは思い出す。カルンをパーティーに入れるとして、領主――チェーニに引き渡す必要性が生ずるのではないか。昨日そのことに頭が回らなかったのがおかしい。依頼の捜索とは、基本的に引き渡しまで行われるものだ。
「そういや、俺らはお前の捜索を領主に依頼されてんだった」
「そうだったのか!? 修道院の差し金――?」
「それはない。領主はビダーヤ教寄りじゃないらしいからな。寧ろ、逆だった。大方、対教会のカードにでもする腹だろう」
ふむ、とヘスソスは思案する。それならば、自分たちに同行していても問題はないのではないか、と考えようと思うも、それは領主次第だ。考えても仕方がない。
「へぇ――前の領主は、よく修道院に来たけどな。熱心に祈っている風では無かったが」
「貴族と修道院長。それに大司教は密接につながっているからなぁ……」
「大変なんだねぇ――ウチの院長は、良い人なんだが」
「そりゃぁ、こんな辺鄙な冒険者ばっかの街の修道院に居るくらいだからな。大方、左遷でもさせられたんじゃねーのか」
「そうみたいだね。ビダーヤ教は心から信奉しているみたいだから、熱心すぎる――というより、正義漢が入っているのがアレだったんでしょ」
「大方そんなところだろうなぁ――ただ単に無能だったって線を除けばだけど」
「いやいや、普通に仕事はできる人だよー。まぁ、特段出来すぎるってわけでもないけどさ」
「ふぅん――腐敗した教会や修道会には合わない人物だったってだけか」
「良い人過ぎたんですよ。きっと」
「そうだな――っと、そろそろ起こすか」
「あぁ、そうですね」
ヘスソスはカルンから目をそらし、未だ寝床――地面の硬さがダイレクトに伝わりそうな寝袋にその身を縮こまらせているトマナとザーグに目を遣る。ぐがぁ――と寝ている様には笑いしか出て来ない。
「起きろー。朝だぞー」
本当に起こすつもりがあるのか疑わしい、平坦な調子で声をかける。カルンがそれを見て怪訝気な表情になりながら、
「起きるのか、それで?」
と聞くほどだった。
が、パッ、と二人――トマナとザーグの目が覚めた。直前まで鼾をかいていたとは全く思えない程の素早い目覚めだ。
「朝か――眠いな、まだ」
ザーグが大きく欠伸を一つ。口に手を当てることは――出来ない。それに違和感は覚えない。最早慣れたと言っても過言ではないだろう。だが、微妙に口に手を遣りたい気持ちはある。ヘスソスほどは無いものの、体の中にある魔力を集中し、義肢への接続に充てる。
「おぉ! カルン。おはよ。こいつに変なことやられなかったかっ?」
トマナはすぐさまカルンに目を向けた。
「するわけねーだろ。阿呆」
ヘスソスは苦笑する。それとなく聞かれる程度は予想していたが、ここまで露骨とは思っていなかったようで、驚きと言うより呆れを隠しきれない。
「割と話はしたけどな。意外と冒険者も面白そうだ」
「それならよかった。ヘスソスもきっと見た目に寄らないところがあるに違いないからな」
「どんな目で見てんだ。俺を。俺は見た目通りの根暗な研究屋ですよ。まったく」
確かに、ヘスソスの見た目は根暗な研究屋と言ってもなんら問題は無いが、大きく被ったフードの下に除く陰があって少しとがり気味の目は女冒険者のみならずビダーヤ教に入信している魔法使いにまでいるとかいないとか。トマナが邪知をするのも不思議なことではない。
かといって素直に顔を褒めるのもなんとなくはばかられたトマナであった。
「そんな活動的な研究屋が居るかよ」
と、軽くつつくにとどまる。
「いやいや、研究の基本はフィールドワークですよー。ったく」
「見た目はひきこもりの陰鬱な研究者そのもの」
ヘスソスを弄る絶好の機会をザーグが逃すはずはなく、入ってくる。義肢の接続は終わったらしく、軽く腕を振って動かし、調子を確かめていた。これをやるとやらないのとでは一日の動きが変わるとは数か月前の本人談である。
「そこまでひどくはねーだろ。精々、まぁ、森の中の魔女とタメを張れるレベルかなぁ……」
「いや、十分ひでーぞ、それ」
「足りないね。うん。魔女なんて一部の愛好家からは絶大な人気があるからな」
と、毒舌を交えた三人の談笑にカルンは思わず笑いがこぼれる。
「そんなひどくはないと思うよ。まぁ、私の好みじゃねーけど」
笑いながら言う。それを聞いてトマナが口の端を吊り上げたのにカルンは気づかなかったが、ザーグとヘスソスは見逃さなかった。態々口に出すことは無かったが。
「根暗野郎の容姿の話してても仕方ない。片付けるぞ」
ヘスソスもトマナも続きを話しそうになかったので、ザーグは寝袋を片付け始める。さて、獣人の死体はどこかへと消えてなくなっているが、これは誰のおかげか。
「あぁ、確かにそうだな。談笑していたらいつの間にか太陽が天辺まで昇っていたなんて、笑い話にしかなりやしない」
トマナもそれに続き、そそくさと動き始めた。
カルンとヘスソスは手持無沙汰になってしまったが、少しの辛抱だ――
太陽は当然天辺まで昇るはずも無く、その鈍足ともいえる上昇速度ではまだ顔を傾けなくても視界に全体像が入るくらいだった。
「ふぅ」と、ヘスソスは大きく息を吐く。既に足の動きはかなりぎこちなかった。昨夜の睡眠時間が少ないのが悪かったのか、はたまたただ単に脚力が成人男性の平均を大きく下回っているだけか。
既に彼ら三人――いや、四人は既に森を超え、街道に差し掛かってから数十分が経っていた。
「お、見えてきたな」
真っ先に声を上げたのはトマナ。自分の荷物に多人数で使う用途の物の大半、それにカルンの荷物――逃げ出すように何の準備も無く着の身着のままで街を出たため量自体は大分少ないが――をすべて持っているため大分大きな荷袋を背負っている。どう見ても、ヘスソスより疲れているようには見えないが。
「え、本当――? いや、どう頑張っても見えなくないか?」
少々申し訳なさそうに手ぶらで歩いているカルンは目を凝らした。手を眉のあたりに当て、身を乗り出しながら。
「ん――無理だ。私には見えないや」
数秒その体勢を続けていたが、無理だと悟って諦めた。
「吸血鬼って視力は強化されないのか?」
聞いたのはトマナ。いくら人間の中では視力が良いとは言え、吸血鬼に劣ると考えるのは当然だろう。
「夜目は利くんだけどなー。というか、強化は夜ばっかで、昼は普通の人間と変わらないぞ」
「え!? 本当で(まじで)?!」
驚いたのもトマナ。遠くまで見える眼を見開いている。
「いや、ちょっと待て。それは結構重要な情報だぞ。昨日の獣人と殺り合った時みたいな戦闘力を常時発揮することはできないのか?」
「うん。まぁ、爪を伸ばしたり縮めたりはできるけど、固くしたり鋭くしたりは無理かな。走ったら息切れそうだし。多分、幼いころから農業を必死にやってなきゃ、ヘスソス並に疲れていると思うよ」
そう言いながらカルンは爪を伸ばし、縮めた。正直、見ていてあまり気持ちのいいものではない。自分が――いや、人間ができないことへの生理的嫌悪感、というのだろうか。吸血鬼が人間の見た目をしているだけであって、実際は人間ではないということを存分に二人――ヘスソスとトマナは知らしめられた気がしたのだ。戦闘中は、集中していたのかあまり気にならなかったが。
「昼間の戦闘、使い物にならない、と?」
その中で、ザーグはなんでもなさそうな表情をしながら宙をじっと見つめていた。彼の爪は、人間としての範囲でさえ伸びることがなく、切ることもできない。当然だ、義肢なのだから。そもそも、爪自体存在しない。
「まぁ――そうなっちまうかな。クワ持って突撃することくらいはできるけどさ」
「それは使い物、言わない」
「んー、そうか」
「夜だけとは――面倒だな。日帰りでやる依頼ができないじゃないか」
「街でクワ、振るっていれば良い」
ヘスソスは少し悩んだようだが、ザーグは全くそんなそぶりを見せない。
「それしかないかねぇ。訓練でなんとならないか?」
「なんとかなるんじゃないか? 俺の視力だって元来のものってわけじゃないし。狩猟の才能はあったらしいから、妹より覚えは早かったがな」
トマナは簡単に答えるが、それに異論を挟んだのがヘスソスだった。
「それなら俺に脚力がついてもおかしくないだろ!? 何年歩きっぱなんだよ!?」
「――流石モヤシ」
「大丈夫だ! きっと!」
罵倒と、意味のあるか分からない励まし。
「くっそ、ザーグの毒舌はなんとかなんねーのか。馬鹿は直せないけど毒舌ならなんとか――」
「元来。無理」
「開き直ってやがるっ!?」
毒舌の応酬とは少し違うが、何時ものような二人の会話になりつつあった。トマナは馬鹿と言われたのも気にせず、くすくすと笑っている。
カルンは少しあきれた様な表情を浮かべて。
「結局、才能が重要ってことか?」
「ん、そうとも言えるかも。でも、才能を超える努力をすることも不可能じゃないと思う。ヘスソスは――きっと小食が悪いんだ」
才能を持っている方に分類されるであろうトマナに答えられても微妙に納得しがたい所があるのだが、とカルンは思う。そして、その思考に自分で苦笑する。吸血鬼という天賦の才とも言って過言でもない自分が、何を思っているのか。
「昼は、荷物持ちでもやることにするかね。まぁ、短剣くらいは持つさ」
「そんくらいが無難じゃないかな。流石にナイフとフォーク以上の重さが持てないってことはないでしょ?」
トマナは笑い続けている。
「修道院育ち舐めてもらっちゃぁ困るね。初期の設営方針の名残か、農業くらいは自分たちでやるのさ。クワやらは意外と重いんだぜ? 水の樽を運んだりもするしな」
「ふぅむ――そんなもんか。となると、割と筋肉はあるのか?」
「教会育ちよりはね。まぁ、普通の農家とはどっこいどっこいだし、平均ちょい上ってとこじゃないのかな」
「そんなもんか。じゃぁ、やっぱ訓練を結構積まないと厳しいかな――? ウチのやつらが師事するのは難しいけど」
トマナがそういうと、カルンは少しだけ驚いた様な表情になった。
「え――? トマナとかザーグさんじゃだめなの? 流石にヘスソスさんに教えてもらうのは厳しいと思うけどさ」
「いや、俺は狩人としての経験が主だから、戦闘より冒険者として、みたいなことになるしな。クロスボウ使いが二人いるのも、戦略的に微妙だし。ザーグは義肢だから、足運びとかにかなり無理があるんだよ。あいつ。覚えなくても戦闘は普通にこなせちゃうしな」
「なるほど――私も吸血鬼だから戦闘の知恵を学ばなくても無双できるってことか」
神妙に頷く。
「義肢にしよう。便利」
「いくらかかるんだよ。精製された鉄を数百から数千イリコも買う金はウチには無いぞ」
ザーグの提案も、ヘスソスが一蹴。
「採掘――」
「それこそ何年がかりだ。ボケ」
「残念だ」
と、短い言葉の応酬。
「あれ――、おかしいっ!」
「どうした?」
応酬に水を差された気分のザーグ。他人に見えるよりも、本人はこの言葉のやり取りを楽しんでいるのかもしれない。
「衛視が――見張りが居ないっ!?」
叫ばれたトマナの言葉は、何か不穏な響きを感じさせられた。