七話
全体としては真っ暗な森の一部、不自然なほどに明るいそこには既に絶命している毛深い人型――獣人の死体が五体分積み上げられていた。その周りに芽吹いている芝には赤がこびり付いて。そして、それを冷静に見る人影が二つ、男女。その後ろにはテントと呼ぶにはお粗末だが最低限の役割をしているモノが。
「近くに寄るといっそうきついなぁ……」
「そ、そうですねぇ」
二人の男女――ヘスソスとカルンは円滑とはいいがたい雰囲気で。
「やっぱ聞こえてた?」
「――ま、まぁ」
「それなら尚更、俺を怖がらなくてもいいと思うんだけどなぁ」
そう口では言うものの、取らないという言葉だけでも怖いものだ、ということは察している。何も言われない方がまだ、カルンとしては安心できたのだ。
(だけどなぁ……言わねーとトマナが)
二者択一で古くからのパーティーメンバーを選ぶことは当然とも言えたが、この雰囲気に耐えるのはヘスソスでも難しい。
そもそも、彼は魔法学院の中ではかなり微妙な立ち位置だったのだ。こういう空気を経験する前に、罵倒で迎えられることの方が多かった。一部ではビダーヤ教を熱心に信じすぎていて、魔法とビダーヤ教の関係を否定しているヘスソスに対して熱心にビダーヤ教の素晴らしさを説く人もいたが、大半は無視だ。流石に同じ考えを持っている人が居ないことは無かったが、数が少なすぎた。尤も、基本からビダーヤ教の神様――たとえば、火の魔法は火の神フォーゴありきで論ぜられていることとか。魔字は彼らに願いを届けるための手段と考えるのが多くの魔法使いの中で普通なのだ。
だが、実際は違うと考えるのがヘスソスも加入しているサビオ派である。魔法教会の重鎮であったサビオは『魔字は空気中に存在する魔素と人間が持っている魔力を結ぶためのものだ』と研究から断じた。しかし、その意見は教会のお偉いさん方から大いに反発を受け、今では隠居して一部の学院生に指導を行うのみである。そして、その教え子で結成されているのがサビオ派だ。
だが教会からも学院の上層部からも受けがいい主流派と、それに真っ向から反した主張をしているサビオはが相容れるはずもなく、サビオ派は身内で固まっているか、孤立していることが多い。
ヘスソスは比較的孤立が多く――社交的スキルよりも、クラスの編成が悪かった――友人を介した他人との話など、あまりなかったのだ。精々サビオ派の集会くらいか。
「いや、別に怖がってるわけじゃないんですけど」
「そうなのか、じゃぁ雑談でもするか」
そうでもしないと、空気に耐えられない。獣人の遺骸は既に使えるものとつかえないものに分けられている。皮くらいしか実生活に使い道はないが、肉は案外亜人用の罠として使える。そのため、レベルが比較的に低い亜人狩りに売ることができるし、自分で使うこともできる。
ここで、少しヘスソスに迷いが出た。
トマナに関する話題である。そもそもの話、この少女の正体はなんだ――? ザーグに目を醒まされて、状況の説明もなしに戦わされていたのだ。そこで鬼神のごとき戦闘ぶりを魅せた少女の正体など、知っているはずがない。トマナがカルンと呼んでいたことから、今回の依頼の捜索人物だということはわかるが、それならばただの修道女のはずである。脱走している時点でただの、という形容は不適切かもしれないが。
だが、例えただの修道女ではなかったとしても、これほどまでに戦闘能力が高い修道女だったならば冒険者の間で噂がたってもおかしくないだろう。戦闘能力は訓練に直結するわけだし、修道院で訓練をすれば嫌でも目立つはずだ。
「どうだ、トマナは?」
正直、トマナとの関連を一番聞きたい。これほどまでに戦闘力が強い修道女となると、このパーティーでは薬より毒の面が強いとしか思えない。宗教色が皆無というのが一つの売りであるこのパーティーにとっては修道女が加入するとなると非常に痛い。そもそも、亜人の討伐はまだしも食べるとなると修道女が許すはずがないだろう。上は拝金主義で、下は菜食主義が多いということくらいサルでも知っている。
「良い人ですね。血を吸うことをあんな簡単にきょよ――」
はっと驚いた顔をしているヘスソス。血を吸う、伸縮自在の爪。気づいていなかったのは自分だけか。ザーグもトマナも、ヘスソスが気付いていると思っていたのか。
彼女が、吸血鬼だということに。
「吸血鬼が……修道女っ!?」
ビダーヤ教を憎む――といっても、ヘスソスはほか二人と比べるとそこにはあまりこだわっていないが――三人組としては、出来るだけ詳細なビダーヤ教の教義を知る必要があった。敵を知り己を知れば百戦危うからずという言葉はどの冒険者が言ったか忘れたが、相手のことを調べ、自分の限界を知らなければ勝てる相手にも勝てなくなる、として情報と言うものを非常に大事にする言葉だ。冒険者は特にその傾向が顕著で、たとえばオークには変態が居て、時折拳に毒が含まれている個体が現れることがある、ということを知っているのと知らないのは雲泥の差なのだ。その情報を知っているからこそ、相手の序盤の動きを見極めよう、という気概が生まれる。拳に毒があると自覚しているオークは、動きが多少変わるものなのだから。
「気づいていなかったんですか」
少々呆れ気味と微妙な後悔。知るものを少数で押さえておきたいということも、情報の大事さを重視する考え方だ。知らない人の分だけ、吸血鬼は人を襲える。ただし、受け入れたり取引をしたりしている場合は別だが。
「いや、悪いね。不勉強で」
「注意力の問題じゃ……」
「確かにな……」
最後までは言わせなかった。結局、ヘスソスにも魔法使い特有の高圧的な側面は抜け切れていないのであろうか。出来るだけ、それを抑えて生活しようという意志は無意味だったのか。
「というか、吸血鬼って吸血するんだよな――」
話題を変えることで自己批判から抜け出す。それに、純粋な恐怖心もあった。寝ている間に血を抜かれていた、なんてことが可能性として存在してしまうとしたら、落ち着いて寝ることもできないではないか。血とは魔法でいう魔力の源泉であり、魔術師にとっては剣の鋭さにも直結するものなのだ。
それを吸われる可能性がある恐怖。甘んじて受け取れるものではない。
「いや、ヘスソスさんの血を吸うことは無いよ――吸おうとはしたけど」
後半の言葉はヘスソスに聞こえない程小さなものだった。事実、彼は聞こえていない。
彼はその言葉に驚く。吸血鬼が血を吸わないということは、生きることを放棄することそのものではないか。
「じゃぁ、どうやって生きるんだ――?」
「トマナが血を吸わせてくれることになった……本人の許可は貰っているんだけど、何か問題はあるかな?」
「いや、無いと思う。あいつは魔術師じゃないからな。吸われすぎちゃぁ困るが――どのくらい吸うんだ?」
「トマナは血が多かったから、大丈夫。まぁ、血が増加した分しか吸わないことは確約する。足りなかったら――どうしようか」
「俺からは吸わないでくれ――許可を取れば、ザーグから吸ってもいいとは思うが。あいつは、色々と無頓着だからな。まぁ、義肢の四肢だから血液量自体が常人と比べて少ないと思うが」
ヘスソスは寝ている二人を見る。それはもう見事な寝っぷりだった。いびきをかいていないのが奇跡的だと思えるほどだ。閉じられた目と軽く開かれた口。トマナの腕はだらんと広げられていて、足はまるでコンパスのようだ。
ザーグの手足が動くはずもないが、何時もは地面と真反対を向いている身体が少しだけ傾いていて、気は少し緩んでいるな、と察することは簡単だった。
思った以上に、監視に気合いを入れないといけないかもしれない。いつでもザーグが先ほどのように敵の接近を察知できるわけではないのだから。
「ん。嫌がっているやつから無理矢理吸う気はないさ。それこそ世間で忌避される吸血鬼像そのものになっちまうしな……」
吸わないから安全、というわけではなくとも、吸わないほうが良いに決まっている。
人間と言う弱者から見ても、吸う可能性があるだけで忌避したくなるのだ。それに無理矢理襲った前科までついたとしたら排他しないわけがあるだろうか。
「それが利口だな……もし、魔法使いと敵対したなら全力で吸っていい」
「魔法使いにとって血は重要なのか?」
「剣士でいう剣だ……魔法を使うために必要な魔力の源泉が体内を循環する血液だからな。少しでも無くなると大分魔術を発動しづらくなる」
「ふぅん――意外と繊細なんだな。魔術はなんか格好いいイメージがあったが」
「そんなの理想さ。そのイメージを持って魔法学院に入学する坊ちゃんの大半は一年以内に止める。覚えるまでの辛さと、覚えてからの地味さでな」
「痒い所に手は届いていると思うけどね。安定した光源を確保できるってかなり便利だと思うし」
カルンの目線が野営地の真ん中であたりをゆらりと照らす光に注がれる。
「そう言われると嬉しいけどな――魔法学院で卒業するころには大半のヤツが効果じゃなくて、使用することに意味を見出しちまうんだよ。魔法が発展しない理由さ」
だから、ビダーヤ教は嫌いなんだよ。とは続けなかった。曲がりなりにも、目の前に居るカルンは修道院育ちである。下手にビダーヤ教を批判して、彼女の不興を買う必要はないだろう。
「へぇ――でも、魔法って地味なんだろう? それを使うことに意味を見いだせるのか」
「あぁ、魔法を知らない奴だとそうなるのか……」
魔法を使うものが常識だと思っていることでも、一般の人は聞いたことも無いことは数多くある。サビオが口を酸っぱくして言っていた言葉だ。魔法使いの自分が簡単にザーグやトマナに受け入れられたのは、魔法とビダーヤ教の関連が一般の人にはあまり知られていなかったからじゃないのか、ということにようやく気付く。
そして、ビダーヤ教の修道院に居た彼女でさえも知らなかったのだ。
くすす、と、笑みが自然とこぼれた。
「え――? どうしたっ?」
いきなり笑い出す姿は珍妙に見えたのだろう。もしかしたら、胸中では変な悪癖でも持っているのかと勘ぐっているのかもしれない。怪訝な顔は、少しの不安もあらわしていた。
「いや。ちょっと恩師の言葉を思い出してね――魔法とビダーヤ教の神とを関連付けする人たちが多いってことさ。宗教儀礼で派手なモノって、意外と少ないだろ?」
「あぁ、確かに。毎朝、両手を合わせて目を瞑るのが派手だとは思えないしな」
「そうそう。魔法もおんなじことさ。使うことで、神への敬虔な心があるって言われてる――というか、思い込んでいるのさ」
「全く、面倒な儀式ばっかり増やすな、何処も」
「まぁ、おかげかは知らないけど、魔法使いは教会とか修道院への就職が楽だったりするのよ。修道騎士団なんてものの大半が魔法学院出身だったりするしな――俺には関係が無い話だけど。」
「なるほど。確かに、騎士は魔法使える奴が多いって聞いたことはあるしな。エレなんかには、なかなか来ないが」
「エレは冒険者が多い街だからな。わざわざ騎士を呼ぶメリットが無いのよ。修道院から悪いうわさは聞かないしな、コストの安い冒険者に頼むのが殆どなんでだろ」
「清貧を是とする修道院って、意外と少ないからな。理念を失くしてどうするんだって言いたくなる――尤も、私は神に祈るために清貧になるなんて、まっぴらごめんだけどね」
「まったくだ――神のお怒りだからって一日の魔法発動にセーブかけちゃぁ、生きるところで死んじまうからな」
「いやぁ、面倒な規則ばっかりあるねぇ――金や権力を追い求めるより、日々の自由を取った方が楽だと思うんだけどさぁ」
カルンは上を向く。鬱蒼と生い茂った葉の陰からぼんやりと月が灯る。もう、天辺からはとうに落ちて、そろそろ沈みかけるほどだった。
「やっぱ、お前はウチの団が合ってるかもしれんな――修道院育ちなのにそこまで嫌うなんて、中々にレアケースだぞ。それに、冒険者ってのは自由な職業の代名詞だしな。立派な街を歩いていれば、後ろ指差されるくらいにはな」
「嫌いと言うより、信じていないってほうが正確だけどな」
残りの数時間、彼らはたわいもない雑談で時間を過ごした。目の隈はついたが、それ以上にお互いの認識をすり合わせることができたのは有意義だっただろう。