四話
門の先には砂埃が舞っていて、それが風に乗るとざぁ――と街へ押し入り、境界に立つ衛視や偶然居合わせた人の目を襲う。そんな砂の先には、陽光が燦々と煌めいていた。三人組はある程度の準備をして、その場所に居た。前回、オークを討伐しに行った時よりも荷物は幾分か増えていて、ヘスソスは既に足をがたがたと震えさせている。
依頼が来るとは知らず、朝からジョギングをしたのが祟ったのだろう。
そう、三人組は電撃とも言うべき速さで依頼を受けることを決定した。それは捜索という時間が命である依頼柄ゆえと、領主からきているという信頼――新任ともあって、そこまで高いウェイトを占めているわけではないが――と、ビダーヤ教への微かな仕返しができること、などからであった。
「お前らも、忙しいものだな」
オークという大仕事の後である。数日はゆっくりと遊んですごしても問題ないはずなのに、翌日は新たな依頼の為街の外へ出ようとしているのだ。労りの言葉が衛視のファナルの口から出てもおかしくはあるまい。
彼女は隈が下にできている目で三人――特にヘスソス――を見ながら言っていた。
「稼げ――」
「僕としてもオークの肉をまったりと食べる時間が欲しかったんですけどねぇ。こればっかりは。依頼が来ないよりは幾分もましですし、自分で広報活動をしてまでゴブリン退治を引き受けている若手のことを思うと、忙しいうちが本当に華だなぁ、という気がしますね」
ザーグの言葉に思いきりかぶせるトマナであった。ねぎらう気持ちは何処へやら、ファナルはもう口に苦笑を浮かべていて、
「毎日ここに立っているだけの私と比べて、大変そうだよ。本当に」
「でも、ファナルさんもすごく疲れてますよね?」
唐突。トマナにとっては当然かもしれないが、少なくともファナルにとってはその言葉は唐突であった。
「え?」思わず聞き返してしまっても無理はない。彼女は自分が疲れていないと思っていたからだ。
「だって、目の下に隈がついてますし、髪の毛もいつもより少しやつれ気味、姿勢もいつもは直立不動ですけど、今日は――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、そこまで今日の私は疲れているか?」
目を見開き、口をあんぐりと開け、驚いた様に聞くファナル。その必死さは何処か滑稽だ。
「はい。さっき言った通りです」
「そうか……」
と、黙る。その会話の時間で少しは体力が回復したのか、ヘスソスは呼吸を整え終わっていた。
「ファナルさん。そろそろ行ってもいいかな?」
「あ、大丈夫ですよ。外出目的は、依頼の薬草を積んでくるため、でしたね。最近は色々と物騒になってますので、お気をつけて。先ほどこちらにこられた商人の方の首に、何か傷痕のようなものが自然とできていたらしくて。吸血鬼の線もあるとかで、領主に相談する、と」
疲れても衛視としての仕事を忘れない辺り流石か。いや、それは当然だろう。仕事に出ている以上は賃金分だけの責任を果たさねばならぬ。ファナル本人も重々承知な事実だ。
「依頼は合ってますけど、物騒なのは昔からです。オークも散歩するようなところで吸血鬼の一人や二人。大して変わりませんよ」
と少しだけ笑い、そそくさと歩き出していくヘスソス。ザーグは無言で、トマナは後ろ髪を引かれる思いでそれについて行った。
何も考えず、ぼんやりとしながらファナルは後ろ姿を見ていた。
それが豆粒くらいのおき差になった後、ファナルは一人でつぶやいた。
「カルン、何処に行ったんだろうなあ……」と。
「というか、北側の森の方向でいいのか?」
少し急ぎ目に歩く三人組。ヘスソスは口を開いた。
「まず、エレの街はフェーデ王国の最南端でしょ? 南は少し行くと亜人の集落に出るじゃないか。頓狂で行く人もいないことは無いけど、カルンちゃんは戦闘能力が無いからね。無理だ。で、東も西も山か谷に囲まれていて過酷だし、行ったところで町は遠いからね。一番安全なのは街道だけど、次善策をとるなら森だよ。遊び場としても、よく知られる場所だから」
答えたのはトマナだった。澄ましたような顔で、ただ前を見つめている。
太陽は少し傾いて、斜めに日差しを当てている。馬車どころか人の姿すら見えない。冒険者によって少しは発展しているエレの街とはいえ、最北端の僻地であることは変わらないので、四六時中人を近くの街道で見ることはできない、できるのは、首都の周辺くらいだろう。
「なるほど。こういう時にトマナは良い見解を示すよね。フィールドワークは苦手だからさぁ」
「机上の空論」
トマナと談笑していたヘスソスだが、ザーグの言葉を聞くと一瞬でひきつったような顔になる。
「なんも見解を示していない奴に言われたくねーよ。学も無く、さらに実質的な経験もあまりない元ひきこもりが」
苛立ったのを抑える気はさらさら無いようで、荒い語気でぞんざいな言葉尻になっている。挑発的な、見下すような目線がフードからザーグに注がれた。
「適材適所。俺だって機械の知識では負けない」
「そんなコアな知識、何処で使うんだよ……」
少しあきれ顔になる。それを堂々と勝ち誇ったような顔で言われたのだからなおさらだ。
「いやいや、ザーグの知識は便利だぞ」
「え、本当?」
「だってクロスボウの矢は基本的にザーグの伝手で作ってもらっているしな。武器屋とか、便利アイテムとかはザーグが良く知っている。雑貨屋巡りとか趣味じゃねぇっけか?」
トマナは上を向いて空を見、右手の人差し指をくるくると回しながら何かを思い出すように言った。隣ではザーグが歩いている。ぶかぶかのフードに隠れて見えない顔は、満足げで誇らしげなことは容易に想像がついた。
ヘスソスは少し悔しげな表情になったが。
「そうだったのか……意外と役に立つんだな」と、称賛を惜しまない。いけ好かないという評価と、有能だという評価が頭の中で相反している。
「といっても、ヘスソスの魔法もかなり役に立つけどなー」
トマナは右手人差し指を動かすのを止め、それでも空は未だじっと見ながら言う。
「え――へへ。ありがとさん」
その言葉にヘスソスは照れ、杖を左手に持ち替え、肌色の右手をフードの中に突っ込んでぼりぼりと頭を掻いた。
空はまるで手が届きそうなほど近い。トマナはすっと手を伸ばす。右手を握って、広げる。一度、二度、三度――
「他人の不幸が飯の種、か」
「どうした? 急に」
自嘲するようなトマナの言葉。それに反応したのは意外にもザーグだった。
「困っていること――即ち不幸が、俺たちが食い扶持としている依頼の発端なわけだろ? 不幸に依存して生きているようで、いやだなぁ、みたいに思ったんだよ。幸福に女の肢体へ依存しながら生きたいと常日頃から思っているのに、現実は真逆だなぁ、とも」
「仕方ない。王様は怨嗟を受けるし、農民は過酷だ。そんな安楽にも苦痛にもならない考え、無意味」
「結構ドライだねぇ」
そのままトマナは黙ってしまい、また上を向きながら口笛でも吹いている。悩んだ風な顔は崩そうともしないが。それを見てこれ以上言葉を重ねるのは無意味と感じたのか、ザーグも機械の腕を無為に動かし始め、喋ることは無くなった。
エレの街へ入る門は既に米粒ほどの大きさに縮こまっている。そろそろ森かなぁ、と考えながら、トマナは口を閉じた。
フクロウがホォーと鳴きながら目を光らせる。カラスですら寝静まり、すぐ目の前ですらはっきりとは見渡せない夜半。人ですら当然寝静まる時間なのだから、当然のように三人組も就寝準備をしていた。
といっても、そこは森の中である。森を主に探索していた影響か、街道沿いにあるキャンプ地までたどり着けなかったのだ。だが、明かりの確保は問題ない。ヘスソスは光の理を使役するのに長けた魔法使いであるからして、松明が切れるか切れないかに神経をとがらす必要が無いのである。光魔法を使える魔法使いが優遇される一つの理由だ。
「ゆっくり寝ろよー」
そんな魔法での灯りの横には、張りぼてのような天井に垂らされた網。テントと言ってよいか微妙な代物であるが、野営の天敵の一つである虫の対策には十分なっている。そして、もう一つ。夜行型モンスターをいち早く接近し、就寝している仲間を起こすための見張りが居る。当然交代制だが、初め、その役割はトマナが負うことになったので、網の前にどっしりと構えながら、寝ようとしている二人の様子も気遣っていた。
「ちっ、負けた」
舌打ちしながらもそそくさと寝ようとしているのはザーグである。機械の腕へ注いでいた神経を少しずつ抜いていき、だらんと垂れさせるという独特の過程が必要なので、まだ横になってはおらず座っていた。だが、その目から緊迫感も抜けていて、寝ようとしていることは明白だ。
舌打ちした理由はというと、じゃんけんで負けたからに他ならない。二番目の見張りは睡眠を半分に分ける必要があり、進んでやろうというのは英雄願望がある青二才くらいだ。この三人の中にその傾向があるのはトマナのみだが、彼は狩猟の経験も多く、野営の経験は並の冒険者を優に超えるだろう。それ故、当然ながら進んでやろうという酔狂な人はいなく、壮絶な罵り合いの末じゃんけんに落ち着いたのである。
そして、ザーグが負けた。
そんな不満顔なザーグの横で、勢いよくベッドに飛び込めないという残念感を感じながらもほっとしているような顔をしているのがヘスソスだ。寝袋に細く筋肉があまりついていない体を入れながら、疲れたように伸びをし、無い筋肉をほぐす。
「ふぅ、疲れたぁ」
大きく言葉を伸ばした。
「貧弱なモヤシ。灯りが不安」
ザーグは非難するような目でヘスソスを見ていた。じゃんけんに負けた腹いせが大きく含まれていることは言うまでもない。やっと機械と神経の接続が切れたのか、だらんと腕を垂れ流している。
「今まで消えたことがあったなら非難も甘んじて受けるがな」
ヘスソスは何処吹く風という有様で寝転んでいる。休息を休息にできない冒険者は早死にする、というのは誰の発言であったか忘れたが、俺を知ってか知らずかで体現している彼であった。
それには流石に悪口を重ねることもできないのか、ザーグもおとなしく寝ることにしたらしい。少しだ
けは動くらしい腕を器用に使いながら何とか寝袋に侵入していた。
ふわぁ、と欠伸をするトマナはそんな様子を見ていなかった。
――うとうとと、思わずトマナは寝ていたことに気づく。何分経った、いや、何十分?流石に一時間を超えていたとは思えないが。だが、トマナは見張りとしての確かな自信を持っていた。眠っていたとしても、気配を感じ取ることはできるという自信を。それは長年の狩猟村落に住んでいた経験から成るもので、決して過信ではない。
たとえば獣なら特有の臭い。魔物なら空気が一瞬で変わる。人間の盗賊なら、金属音を鳴らさずにはいられないだろう。それを聞きのがすはずもない。
だが、それらは全て知覚の外だった。
微かな違和感。例え経験によるテンプレート化した痕跡を感じられなかったとしても、経験によって研ぎ澄まされた神経に於ける確かな感覚は信頼に値するものなのだ。
それによると、確かに気配は増えている。
後ろのテントの中の人数が一人増えているのだ。
考えても見ろ。おかしいことじゃないか。そもそも一人で危険な魔物や獣がうろつく森の中を移動する馬鹿が居るか? それが偶然にテントにたどり着く確率は? 目的……等々、様々な思考が糸のようにトマナの頭の中で回る。
見ないことには、始まらない。
振り向いた。
森は完全に闇夜に沈んでいて、葉の緑でさえも黒色に染まる。テントの天井、ヘスソスとザーグが入る寝袋、自分の右手、それらも例外ではない。空高く煌々と輝いているはずの月でさえも、幾重にも重ねられた黒く染まる新緑に遮られ、幾ばくかの星がその隙間から覗くか覗かないか。星屑ほど、とはとてもではないが言えそうもない。
そんな視界のど真ん中。
明かりは灯っていないはずなのに。
それは確かに赤く染まっていた。流血と言うほど大事ではない。それならトマナは叫びだしている。悠長に呆然と眺めているのは、そんな月並みの出来事では無かったからと言えよう。テンプレートも感覚も超えるそれが目の前で起こっているのだから。
たらぁ――と血がしたたり落ちるのはヘスソスのやせ細った首。そして、流血の上をひらりと舞うのは燃えるような赤い髪。その綺麗な髪の持ち主はあどけなさが多く残る少女の顔をしていて。見えるか見えないかのそばかすは、過去に会った記憶からかはっきり確認できる。
彼女と、目があった。
「カルン……?」
目を大きく開けるトマナ。赤い髪の主であるカルンも同じように大きく目を開けていて、その姿が少しばかり滑稽だったとしても、驚いたトマナの眼中に認識できるはずも無く。
ただ、まるで吸血鬼のように人間の血を吸う少女の姿を見ながら呆けていたのだ。