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三話

 ビダーヤ教の教義は厳格だ。一種の人間中心主義を基としてつくられるその世界観は、ほかの生物を卑下し、汚らわしいものとして扱う。人間を数匹のコンビネーションで混乱させ捕獲し、その上捕食してしまうという獣人は当然のこと、肉は美味であり、皮膚にも用途が多い亜人ですら汚らわしいと断じているのだ。故に、一部の特異なビダーヤ教徒を除けば亜人の頬が落ちると形容されるほど至上の肉を食べたことが無いのだ。実は、信仰するものが数種類あり、その種類によって微妙に教会などの装飾が異なるのだが、ここではそれはそこまで重要ではない。


 早朝、太陽が地平線から出てきて何とか円として見えるかという時刻。ヘスソスはエレの街の北東にある市場から丁度出るところであった。後ろには活気のある競りをしている商人の数々に、商品を提供しているであろう屈強な男、一部鎧に身を纏った女などが見える。彼らは全員が大きな声を張り上げ、交渉相手と値段の言い合いをやっている。それを眺めている者も多くいるが、一人残らず緊張の糸を断ち切るようなことはせずに、ピン、と張りつめた空気をすべての人が演じていた。


 市場の店は一つ一つ、細かい所を見れば微妙な汚れが見えるかもしれないが、多くの店がきちんと掃除を行っていて、清潔感はそこまで損なわれているというわけでもない。さらに、流石に首都であるシヴルーの朝市に敵うほどではないものの、地方都市では最上の数であろう数十を超えるテントが張られており、人参などの野菜は当然のこと、冒険者が魔力を込める場合もある銀で作られたアクセサリー類が少し安めの値段で販売されている。かなりの盛況ぶりで、人は数百人を数えるだろう。


 ヘスソスはここで、オークの肉を販売してきた直後であった。ほかの街ではこうもいかない。宗教者が必ずと言っていいほど目を光らせていて、亜人の肉を販売しようものならざっ、と数人の仲間が出てきて取り囲まれるからだ。いくら出品しても、戦闘能力のない商人が危険の付きまとう商品をわざわざ買うことは無いだろう。命と亜人の肉で得られる金。どちらが大切かを理解しなかったものは既に市場では見かけなくなっている。それでも、亜人の肉とは紛れもない美味であるので、こういう宗教色の少ない街では活発に取引されるのである。小さい市場なら、宗教者の目が行き届いていないこともある。


「全く、あいつらはこういうことは苦手だからなぁ……」


 ヘスソスは共同生活の家でいびきをかいているであろう二人のことを思う。ザーグはとにかくしゃべらない。市場に売るだけは何とか出来るとしても、交渉をし、こちらの有利な条件にするといったことは苦手だ。トマナは、交渉相手が女性だった場合、値段交渉どころか喜んで自分の損を選びそうだ。そんな二人に交渉を任せるような愚をすることは避けたいというのがヘスソスの考えであった。いくら体力が少ないと言っても、魔導学院で学んだ知識は相当量があるし、そこでの微妙な立場は意外と世渡りをうまくさせた。

 ヘスソスはモヤシのような体力ではあるが、それを補って余りある長所を持っているのである。


「さて、戻るか」

 ぐっ、と伸びを一つする。ポキポキとほぐれる音がして、少し駆け足で走り出した。

 少しくらい、体力をつけなければ。





 さて、そのまま家の前である。その家は豪華とは決して言えないが、農民の平均的な家よりは少しばかり金がかかっていそうだった。と、言っても周りの商人や衛視などの家と比べれば貧相なので、街の景観から見ると裕福とは言えそうもない。それはこのトマナ、ザーグ、ヘスソスの三人で住んでいる家だけではなく、ほとんどすべての冒険者が購入する家に言えることだった。彼らが家を購入した理由に、宿賃を浮かすためと物の保管に便利だから以外の理由はあまりないのだから。


 そんな家の前にヘスソスが返ってきたとき、彼は濁流のように汗をかいていた。ローブもかなりの面積が汗の水で染まっている。ランニングしながら帰ってきたのだから当然と言えば当然だ。ふぅ、ふぅ、と深呼吸をすることで息を整えている。


「ヘスソスさん、で合ってますかね?」

 彼は右斜め後ろから声がかけられた。運動後で苦しそうな顔を何とか平静に戻してから、振り向く。

 そこにいたのは布の服を着た、自分たちより少しだけ年を食っていそうな男だった。男は取ってつけた様な笑顔をしながら、こちらをじっと見ている。痩せ目で、筋肉がそこまでついていそうに見えないその姿から冒険者ではないし、農民であれば話しかけるようなことはないだろう。鍛冶屋などの職人気質のような雰囲気は持ち歩いていないので、多分商人か領主などに仕える人だろうとヘスソスは結論付けた。それを考えていたためか、少しだけヘスソスが黙っていると、

「あ、すみません。こちらの名乗りがまだでした――エレの領主の近侍、コニザと申します」


 男――コニザが名乗った。ヘスソスの予想は大正解だった。

「あ、はい。僕がヘスソス本人で合ってますが……」

 ヘスソスは多少下手に出る。すると、少し意外そうにコニザが目を見開く。それはすぐに直され、見られていたことを感じると、張り付けた笑いに声をつけた。


「珍しいですね。私の見識が狭いだけかもしれませんが、魔術師の方は多少高圧的なことが多いので」

 話さないよりは話したほうが得策と考えたのだろう。変に勘ぐられるよりはよっぽどましだ、とコニザは気分を害する可能性のある言葉を放つ。ここら辺の思い切りの良さは初対面にヘスソスに多少良い印象を与えたらしい。と言っても、その印象の源泉が本当に思い切りの良さなのか内容についてなのかはわからないが。


「わかりますよ。ビダーヤ教徒の中でも選民意識が多い集団だと、僕自身で思いますから」

 少し間を置いて。

「僕はビダーヤ教徒じゃないんですけどね。魔術師の中では、かなり珍しいと思いますよ」

 そのヘスソスの言葉に、コニザは完全に驚いた。目を開いただけでなく、口までも思わずあんぐりと開けてしまっている。それを直すことも忘れたらしい。

 彼――いや、大体のフェーデ王国民は魔術師が須らく敬虔なるビダーヤ教徒だと思っている。魔術師までもが、だ。敬虔なるという言葉だけで収めようともせず、盲信的な、と言われることも多いビダーヤ教徒の魔術師である。彼らは神の導きによって魔術を行使すると信じている。一部――そう、ヘスソスその他数人を除いて。


 魔術師は全員がビダーヤ教徒だと思っていたコニザはそれはもう驚いただろう。彼もビダーヤ教徒ではないので、魔術師も普通の人間も問わず熱心を超えて粘着的とまで言える勧誘の言葉は聞いている。その中でも魔術師は性質が悪かったのだ。魔術師は高圧的で粘着的なビダーヤ教徒というイメージが彼の中に定着していた。それゆえ、魔術師を含んだ冒険者三人組がビダーヤ教嫌いだと聞いたときは耳を疑うのではなく言葉そのものを疑っていた。どうせ、魔術師はビダーヤ教徒で、何か利益を求めて境遇を偽っているのだろう、と。彼らの実物を見ずに噂だけを聞くものの半数を超える人数はそう思っているに違いない。


 だが、実際はどうだ?

 敬虔なるビダーヤ教どころか批判的なことまで言っていて、尚且つ態度は低い。宗教観で人間性を決めようと思うわけではないが、それでも雲泥の差、と脳内が自然とインプットしそうなほどである。

 数秒の硬直の後、思い出したように口が閉じられ、真顔で一秒過ぎてから口の端が上がった。領主の近侍とは領主の顔を決める大事な役割である。言わば、領主が本体で近侍や侍女がその手足を担当しているようなものだ。主君に忠誠を誓っている彼である。できる限り立場を下げないように取り繕う必要があるのだ。


「いや……初めて見ましたよ。ビダーヤ教徒でない魔術師。いやはや、聞いていた通りだ」

「聞いていた?」

「あぁ、私はチェーニ様――領主様ですね――の命を受けて貴方たち三人組の冒険者に依頼の話をする為に来たのですが」

 チェーニは新任領主である。領民から名前を憶えられていない確率も大いにあると考え、不本意ながらも言い直した。

「貴方がたに頼む理由が、ビダーヤ教を良く思っていない、ということなのですよ。こんなもの、計りようがないので、必然的に色々な発言を基にした伝聞頼りになってしまいまして」


「ふむ」と、納得するようにヘスソスは頷く。履歴書――冒険者にそんなものはないが――にビダーヤ教が嫌いです。などと態々書く必要はない。もし雇い主がビダーヤ教徒だった場合は要らぬ軋轢を生むからだ。そんなこと、小学生でも考えればわかる。だが、それを裏を返して考えてみると、マイナス方向に考えていることは必然的に噂頼りになる、ということになる。

「ビダーヤ教絡みですか。依頼の為に嫌っているわけではないんですけどね。どちらかというと、心の拠り所というか、大きな主軸といった方が合っている気がしていたので。まぁ、そのために依頼が増えるので、結果的には生活の為になっているのでいいのかもしれませんけど」


 利益の為に嫌ビダーヤ教になるなど馬鹿げている――そうヘスソスは思っているし、ザーグ、トマナも思っていることだろう。親ビダーヤ教の方がどう考えても得るものは多い。だが、利益の為に親ビダーヤ教になる気がさらさらないから、三人組は嫌ビダーヤ教なのだ。その根底にあるのは、海よりも深い憎しみか。


「心の拠り所、ですか」

 噛みしめるようにその言葉を聞いたコニザ。演技は無く、自分の中でそれはきっとチェーニ様のことだと思っていた。彼が居なければ、きっと自分は惨めな生活をしていたことだろう。今この時まで生きていたかすらわからない。


「まぁ、そこら辺はいいでしょう。世間話はいつでもできますし。ところで、依頼とは?」

 冒険者たる者、生活の基軸は依頼なのだ。それなくして生活が成り立っている冒険者など国おかかえの者くらいで、彼らはどちらかというと騎士とか、兵士とかにカテゴライズされる場合が多い。ヘスソスが逸れに食いつくのは当然とも言えた。


「――修道院の一人娘、カルンのことはご存じで?」

 どこかで聞いた覚えがあるような気がした。記憶から呼び起こそうと、自分の近い所から人脈を少しずつ辿ろうと――

「あぁ、あの方ですか。仲間とその友人が話題で出していましたね。内気で、あまり喋らないと言っていた気がします」

「多分その方かと。活発ではないとは、噂で私も聞いていますので」

「で、そのカルンという娘がどうしました?」

「脱走したらしいんですよね。修道院の方が噂しておりまして」

「へぇ――探すのが、依頼ですか」意地悪そうな笑みを、浮かべた。

「はい。頼めますかね。報酬の方は、弾みますよ」それを見ながら、平静を保った。

「一つ、良いですかね?」ヘスソスは。右手を大き目の服から出して、勿体ぶりながら人差し指を空に向けて立てた。

「はい――?」

「なんで、酒場や直接ではなく、領主様の近侍からその依頼が出るんですかね? そうそう、僕たちは三人で合意しないと依頼は受けないことにしていますので。僕は、この依頼を受けてもいいと思うんですけれどね。何より、領主様の依頼を達成したという箔がつきますし」


 意地悪そうな笑みに、二ヒヒとでも声が上がりそうな顔だ。魔術師としての性か、知りたい、という好奇心的な欲求は大きいようで。依頼を有利にしたいから、という名目があり、尚且つ脅しも交えているその言葉には何とも狡猾な雰囲気すら漂う。


 コニザは悩んだ。それを一瞬で終わらせ、顔には出さないことは頭の回転の速さか。近侍として数年間従軍時ですら主君に仕えることで、こういう考えることの必要性は嫌というほど知っている彼である。考えぬ者から脱落し、死ぬのだ。


「ビダーヤ教に対しての、一手が欲しいんですよ。修道院とは直接の関係は無いのですが、司教――クレーエからの布施の催促が中々に煩いので。ここらで一手、牽制する必要があったんですよね。修道女を助けた家となると、強くは言えないでしょうから」

「そこら辺の内情をしゃべっても問題なく、さらにカルンという娘を修道院に直接返してしまうことのない、信仰心がある人間が一人も居ないこのパーティーが最適だ、という考えですか」

「大方、あたりです」


 面目なさげに右手で額を叩くその動作も演技か。どちらにしろ、本心ではそこまで強く思っていないだろう、とヘスソスは考える。

「――まぁ、僕たちも昔からこの街に住んでいますから。クレーエの横暴は身に感じていますし、心を痛めているのも事実です。一応仲間と相談しますけど、多分依頼を受けさせていただくと思います」

 言外に内情を教えてくれたからには便宜を図るとの意図は入っていただろう。そうでなければ、聞いた意味も、答えた意味も無くなるのだから。

「ありがとうございます」

「少し、寒いでしょうがお待ちいただいてもよろしいでしょうか――中でもよいのですが、冒険者という家業柄か、部屋はもう人に見せられない有様ですし」


「いえ、私はここでいいですよ。ここら辺の雑多な家並みが、案外気に入りましてね」

 それは、本心だった。何処か懐かしむように微妙にはがれた塗装を見ているその目は確かな哀愁を感じさせたのだ。少なくとも、ヘスソスはそう見た。

「では。急ぎますので」

 金貨と依頼を手と頭に握りしめながら、まだ眠っているであろう二人のところへ向かって歩き始めた。

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