29
馬車に戻った。馭者に王都の女神大聖堂へ戻るよう告げたユリは、ポケットから試験管のような筒を取り出す。握りつぶした。
全身が光に包まれ収束すると、そこは馬車の室内ではない。ユリは円堂の真ん中に立っていた。
ここはエリンギン王国王都――女神大聖堂本部。
円堂を出ると屋外に面した廊下に出た。中庭が見える。どこにも人の姿はない。そよ風の音が聞こえた。
奇妙だと思いながら廊下を抜けた。
大聖堂の正面門から市街地に出ると、辺りは普段の王都の景色が広がっていた。まだここは病魔人の襲撃を受けていないと思った。
「――戻ったのですか」
声が聞こえた。振り返り、辺りを確かめたが誰の姿もない。
視界が突然に歪む。眩暈がした。目を閉じ頭を抱え、そして開く。
彼女はまだ円堂の真ん中に立っていた。
目の前には白い修道着を着た女性の姿があった。ユリは焦るように片膝をついた。
「大聖女様」
ユリは目の前の女をそう呼んだ。
「戸惑っていることでしょう。聖堂の魔力を使い、王都全域に催眠魔法を施したのです」
「王都は一体……」
「すでに病魔人の手により侵されています。今はどうにか食い止めていますが……王都にいる者はすべて行動を停止しました。あとから壁内に踏み入った者も同様です」
「……女神様を失いました」
「知っています」
「大聖女様は……病魔人の存在をご存知なのですか?」
「あなたの方こそ、すでに知っているようですね」
大聖女の言葉は淡々としていた。まるで危機感がない。
ユリは立ち上がった。憤りを表情に浮かべ言った。
「どうして教えてくださらなかったのですか」
「禁則事項というものがあるのです。病魔人とギドラの真実はごく限られた者しか知りません。12年前、彼らと戦った者の多くは処分されました。今では大聖女や国王くらいのものです」
これまで隠していたはずの話を大聖女が淡々と語ることに恐怖を感じた。
ユリは、自分に盗聴器のようなものが仕掛けられており、カミキリが馬車の中で話した内容を大聖女に聞かれていたのではないかと疑った。
だが確かめている余裕はない。
禁じられていた話を知った自分はこれからどうなるのか。それが気がかかりだった。
「病魔人も、彼らが従える腐乱者も、人間も王城の王も、すべて停止しています。聖堂の魔力が尽きるまで動きません」
「……その後は、どうなるのですか?」
「その後とは?」
「ここでじっとされているおつもりですか?」
「言葉を慎みなさい。もはや人間にできることはありません。相手は病魔人です。かつて彼らと戦ったギドラ人はいません。ギドラ人とは――」
大聖女がギドラについて説明を始めたことでユリは気付く。
彼女にそこまでの力はなかった。カミキリの話や、自分がこれまで誰といたのかということを大聖女は知らない。
「これは宿命であり天罰なのです。かつて人間は錯乱しました。しかしギドラ王は人間の暴虐を咎めなかった。おそらく見えていたのでしょう、こうなることが……ならば滅ぶべきなのかもしれません」
大聖女が裾の長い衣服を翻し円堂を去っていく。
「一歩でも聖堂の外に出れば停止します」
「なぜ女神を召喚されたのですか! なぜ私に人々を救えと仰ったのですか!」
ユリは問い質した。
「それ以外にできることがないからです」
「あります!……あったはずです」
「病魔人の恐ろしさを知らぬからです……彼らの駒となれば死んでも死ねませんよ」
大聖女は姿を消した。
ユリは円堂にしゃがみ込む。
〇
通りから町の外に向かって人が流れ出てくる。
入り口から見通せる範囲でいくつもの炎上する建物が確認できた。人を喰らうゾンビの姿も見える。ケイデンス全域がこの惨状なのだろうか。
だとしたらここはもうダメだろう。
ロードリーさんは付近のゾンビを処理しながら人々を外へ誘導していた。パールさんも手伝っているが、この調子では二人とも魔力がもたないだろう。
特にパールさんなんかは魔術を覚えたてということもありガンガン使っている。思わずロードリーさんが注意していた。
カミキリさんが女王の場所をしつこく聞いている。グリムは「近くにいるはずだ」の一点張りだ。
「シンク、町を抜けるぞ!」
カミキリさんが手招きしている。
「はい?」
「町の先の森に拠点があるそうじゃ」
おそらく俺がよくハムラビットを狩っていた森だろう。懐かしい。
あの森に赤狼の女王と人喰いという上位捕食者が拠点を置いてるっていうのか。弱小モンスターしかいないあの森に……。
町民の誘導をほどほどにし、俺たちは町の中へ入った。
通りにちらほら逃げ遅れた人の姿が見える。
ゾンビをなぎ倒し「逃げろ」と避難させているモルザフの姿が見えた。
「お、シンク、帰ってたのか!」
相当な数を相手にしているのか、モルザフは余所見をしながら大剣でゾンビを薙ぎ払い駆け付けた。
「驚いただろ、このありさまさ」
「多分王都も直にこうなる。数日前、エリンギン王国にあるスバラっていう町が滅びた」
「マジか。結構デカい町だったろ、あそこ」
ケイデンスを発ち王都に入り、依頼をいくつか受け、その中で色々な人に会ってきた。
人喰いや赤狼の女王、Sランク冒険者やギルドの職員。
だからなのか分かる。モルザフからSランク冒険者にも劣らない気配を感じる。以前はただの飲んだくれに見えていたが、今では大きく感じる。不思議だ。
「急に死人が歩き始めてな」
「ゾンビだ」
「ゾンビ?」
「詳しくは腐乱者という」とカミキリさん。「お主、なかなかの手練れじゃな」
カミキリさんが一目でモルザフを認めた。
「なんだこの小っちゃい爺さんは? 知り合いかシンク?」
「だから一緒にいんだろ」
「あのへなちょこシンクが、よくこんなおっかねえ爺さんと知り合えたもんだな」
「カミキリさんを知ってるのか?」
「知る訳ねえだろ。だがただ者じゃねえことは見りゃ分かる」
モルザフとカミキリさんは互いに名乗った。
「そうだ、向こうで食堂のおばちゃんが戦ってんだ。加勢しにいくぞ」
それは森の方角だった。
この開けた路地を進めば冒険者ギルドがあり、あらに進めば町の外――森へとつながる。
「おばちゃんって、フランベーヌさん?」
「ああ」
カミキリさんが落ち着いた様子で「フランベーヌと申したか?」と訊ねてきた。
「それは【太陽の戦姫】のことか?」
「爺さん、フランベーヌを知ってんのか?」
「それを足しかめとるんじゃ。昔セロリンの王都で一躍名をはせたSランク冒険者がおった」
「確かおばちゃんは昔Sランク冒険者だったって話だ」
「そん後に腕を買われ、ある公爵家の料理長兼護衛を任された。彼女はメリットで両手に太陽のごとき高熱を宿すの」
「おばちゃんのメリットは【太陽の手】ってヤツだぞ」
カミキリさんが目を見開いた。
考えにふけるように「まさかのう」と呟いた。
路地を走り抜けると、ギルドの前にフランベーヌさんの姿があった。
辺りには焼死体が多数転がっていた。おそらくおばちゃんがやったんだろう。ということはこれらはゾンビか。
「おばちゃん!」
モルザフが大声をかけるとおばちゃんは振り返らずに「来るんじゃないよ」と大声を返した。
目がタールのように真っ黒な色白の者と対峙していた。
――オクムラだった。
「歳は取りたくないものだな、そう思わんか太陽の戦姫よ。貴様、昔はもう少しスタイリッシュだっただろう? それが今ではそんなに肥えてしまって……」
「ただの中年太りさ」
「中年という歳には見えないな。もう余生を送るほどの歳だ、違うか?」
おばちゃんの両手が激しく燃え上がった。
距離をとっているのに熱気を感じる。
「お喋りはここまでだよオクムラ」
「貴様はかつて我らに後れを取った。12年でその差が埋められたとは思えん。むしろその様子では開いていると見た。やめておけ、相手にならん」
おばちゃん越しに、オクムラが俺を見た。笑った。
「あそこにいるギドラ人の生き残りを殺して終わりだ。ついに世は我らの者となる」
おばちゃんがゆっくりと振り向いた。
俺と目が合い驚愕するように「シンク……」と呟いた。
その瞬間、おばちゃんの体が微かに揺れ動く。口からどばっと血が溢れ出た。
詰まっていたように血が吐き出される。おばちゃんの背後に陰気な笑みを浮かべたオクムラの姿あった。
おばちゃんの腹から奴の血濡れた腕が突き出していた。
「フランベーヌ、お主……」カミキリさんが呟く。
おばちゃんはカミキリさんへも視線を向けた。薄っすらと微笑んだ。
腕が強く抜き取られると体は弱々しく崩れ落ちた。
モルザフが激昂した。牽制するように大声を出し、大剣を掲げ走っていく。
襲い掛かる剣先。オクムラは見下したように立ち止まり動かない。笑みすら浮かべた。
ただ次の一瞬に自分の片腕が跳ね上がると、オクムラは驚いたように表情を変えた。モルザフの剣は通用した。
「奇妙な太刀筋だ」
オクムラは痛みを感じていないかのように言った。
「俺には正解が分かるんだよ」
「……なるほど。何か特殊なメリットを持っているようだな」
オクムラとモルザフと一騎打ちが始まった。
俺たちはおばちゃんに駆け寄った。すぐに【焚火のぬくもり】で癒すと、おばちゃんは回復する。上体を起こすも、おばちゃんは起き上がろうしない。俺を見た。
「お主、ここにおったのか」
カミキリさんが言った。
「カミキリさん、シンクを見つけたんだね」
「……見つけられたようなもんじゃ。今にして思えばのお」
「ギドラ王のお導きだよ。私たちは繋がっているのさ」
「何があった。ラニアスはどうした」
傷は癒したはずだ。だがフランベーヌさんはまるで余力を振り絞るように、過去に何があったのかを説明した。
それはカミキリさんが予想した通りだった。
12年前、人間によるギドラ人の虐殺が行われ、公爵に仕えていた父――ラニアスと俺も殺されそうになった。
渦中に俺の母親は殺された。
オルギエルドさんとおばちゃんが手引きし、ラニアスと俺を王都から逃がす。オルギエルドさんは追跡者を食い止めるため王都に残り、俺たちは三人でケイデンスに逃げてきたのだという。
「なぜケイデンスへ逃げたのじゃ」
「ラニアスが言ったんだよ……理由は分からずじまいさ。おそらくギドラ王の自決に何か理由があるんだろう」
「最後、ギドラ王を補助したのは儂じゃ」
フランベーヌさんが一瞬怖い顔をした。
だがすぐに穏やかに戻る。
「命じられたのじゃ。じゃが王は何も理由は言わなんだ」
「ギドラ人だけが知っていることさ、おそらくね」
二人は俺を見た。だが俺には何のことだが心当たりがない。
「気の毒な話さ。病魔さえ目覚めなけりゃ、ただの人として生きられたはずだよ」
同情しているように感じたが、俺には理解できない。
俺にはギドラ人として感覚がない。俺は人間だ。
ラニアスは俺を孤児院に捨てる形で預けたのだという。
そしておばちゃんに陰から見守るように告げ、訳も何も話さずに姿を消した。
それ以来、見ていないという。
「カミキリさ、頼むよ」
カミキリさんが刀を抜いた。おばちゃんの首筋に刃先を添えた。
「カミキリさん!?」
「いいんだよシンク。こうするしかないんだ」
「……なんで」
「あの戦いに関わったかつての人間たちは、みんな病魔人の因子を埋め込まれちまったのさ。だから二国の王は、結局皆殺しにせざるを得なかった」
「そんな……」
「直に私は病魔人になる」
「何か方法があるはずだ!」
「ないのじゃ」カミキリさんは俯いていた。「覚醒すれば全身に病魔人の歴史が宿る。ギドラの覚醒経験と同じじゃ。その膨大な歴史は元の人間の記憶を侵し、意思さえも奪う」
「誰でもなくなっちまうんだよ。シンク、こうするしかないのさ」
「これを否定し生かした結果、かつて悲惨な事態を招いた。人間の半分ほどが全滅した。言うたじゃろう、治療はできぬと。ただでさえ今の人の中には病魔人の遺伝子が紛れコンドル。殺す以外に方法はないんじゃ」
人を厳選し、安全な者を生かしそれ以外を殺すという計画もあったそうだ。
だがただでさえ人の数が減少したこともあり、その話はなくなった。
そこで、一度でも病魔に傷を受けた者は「殺す」という単純な決まりだけが残ったという。
「俺が治すよ。俺の目は万物の急所を見抜くんだ」
「ギドラ人にもできないことはあるんだ。ギドラの万能は、唯一病魔人に通用しない。いいんだよシンク……あの戦いに関わった者の宿命さ。私は生きた……さあ、やっとくれ。カミキリ――」
刀を握りしめる音がした。
気が付くと俺の足はおばちゃんから距離を取っていた。頭は真っ白なのに体は動いた。
振り下ろされる刃。飛び散る血。おばちゃんの首がころっと地面に落ちる。
カミキリさんはおばちゃんの頭に、刀を突き刺した。
なんだかそれは、凄く呆気なかった。




