第42話 クレイジーグランパ
ピアノホールで待機するシアンとブルーとともに、祖父ナイルと祖母ヴェニーも講師の到着を待った。そのあいだ、ナイルは賑やかにシアンとブルーに話しかける。孫の話はいくら聞いても飽きないようだ。
そうしているうちに、カツカツ、と高らかな足音が聞こえて来た。幸せな時間が訪れる合図だ。
「シアンちゃん! ブルーちゃ〜ん! 今日もハッピーレッスン始めるわよ〜! あら?」
ご機嫌でピアノホールのドアを開けたカージナルが、ナイルとヴェニーに気付いて挙げていた両手を下ろした。
「お爺様にお婆様じゃない。ごきげんよう。ご健在で何よりよ」
「お前は相変わらずうるさいな」ナイルが笑う。「それで物を教えているのだから驚きだ」
「お爺様も大概よ〜。よくそれで領地経営ができたもんだわ」
ふたりは朗らかに笑っているが、ともすれば喧嘩に発展しそうな挨拶だ、とシアンは思った。互いのことをよく知り、信用し合っているからこその軽口なのだろう。
「おやめなさいな」と、ヴェニー。「シアンとブルーのレッスンが始まるのだから静かになさい」
「なに、ただの挨拶だ。さっさと始めなさい」
「お爺様、ちゃんと大人しくしてるのよ〜」
「子どもでもあるまいし」
ナイルが肩をすくめると、カージナルはアイテムボックスから何冊かの教本を取り出した。今日もいつも通りシアンが先にレッスンを受ける。ナイルとヴェニーがいることでブルーはやりづらそうな表情をしているが、シアンは特に気にしていなかった。
「教本を少し難しい物を選んでみたわ。難しいほうがきっとシアンちゃんには楽しいわよ」
「ありがとうございます。楽しみです」
厳かながらも賑やかにレッスンは始まる。新しい教本は確かに少し難しかったが、賢者は難易度が高いほうが燃える。完璧にこなすことができるようになった瞬間は爽快だからだ。そしてすべてのものは学べば習得できることも知っている。だからこそ頑張れるのだ。
シアンがピアノを弾いているあいだ、ナイルはうずうずしていたかと思うと、カージナルの掛け声に合わせて小さく踊り始めた。ヴェニーは静かに聴き入っている。シアンは特に気にしなかったが、ブルーは落ち着かない様子だ。カージナルのレッスンはいつも通りだったが、ブルーはいつもより調子が悪いように見えた。
「お爺様がいると気が散るわ」
「発表会にはこんなやつがわんさか居るぞ。それでも集中できるようにする訓練だよ」
ブルーは不満げに唇を尖らせる。確かに一理あるとシアンは思ったが、ピアノを習い始めたばかりのブルーは気になるだろう。まだ想像もつかないはずだ。
「お爺様は若い頃はピアニストだったのよ」
カージナルが懐かしむようにつくづくと言うので、シアンとブルーは感心して祖父を見遣った。
「王室主催の社交パーティでダンスの演奏をしていたほどよ。いまは引退して久しいけれどね」
(王室お墨付きの実力ということじゃの……)
そうであれば国内でも屈指の実力者のはずだ。シアンは好奇心に駆られて言った。
「よければ演奏を聴かせていただけませんか?」
「おっ、じゃあ一曲だけな」
ナイルはパッと表情を輝かせ、ピアノの前に腰を下ろす。楽しげな表情で鍵盤に指を置くと、その様子とは裏腹なバラードを奏で始めた。その演奏は危なげなく、シアンがいままで鑑賞したどの演奏よりも熟練度が高かった。どの踊り手でも舞いやすいように思う。そうしているうちに、指先の運びが変わりジャズ風に転調を遂げた。一曲の中で曲調がふたつ存在していると、ダンスの足取りも変わるはずだ。特別な練習が必要になるだろう。
「お爺様の演奏は転調があるから、お爺様の演奏でダンスをするのは難しかったのよ」
カージナルがおかしそうに言う。これだけ顕著な転調があると、ダンスの難易度が上がる。多くの紳士淑女が悲鳴を上げたことが容易に想像できた。
「専用の練習をしなければならないほどだったの。お爺様がパーティに出席されることは各家に通達されたのよ」
「踊りきることができれば楽しそうですが、練習がハードになりそうですね」
「バラードとポルカを組み合わせたときは、挫折した人も少なくなかったわ。二種類どころか三種類を織り交ぜて演奏することもあったから、陰で『クレイジー・サルビア』と呼ばれていたわ」
「有名人だったんですね」
「ま、それなりにね。人気はあったかもね」
ナイルの演奏が行われる社交パーティは、一種の盛り上がりを見せたことだろう。その狂った演奏を踊りきってこそ一人前の紳士淑女と言われていた、という想像すらできた。きっと厳しい時代だったのだろう。
またバラードに変貌した演奏は、軽やかな指運びで終結した。シアンとブルーが拍手で賞賛を贈ると、ナイルは得意げな笑みを浮かべる。
「シアンとブルーも私の演奏でダンスレッスンをしてみないか?」
「やーね」カージナルは目を細める。「シアンちゃんとブルーちゃんは社交界には出ないから、ダンスのレッスンは不要よ」
「勿体無いなあ。楽器をやっていると、ダンスの上達も早いし熟練度も上がりやすいんだがなあ」
「そうなんですか?」
シアンが興味を惹かれて訊くと、ナイルは明るく笑う。
「音感が鍛えられるし、拍子も取りやすくなる。自然と上達するんだ。ダンスはできるようになっても損はないと思うがなあ」
「興味はありますが、披露する機会はなさそうですね」
「良い運動になるぞ。仕事と勉強は運動不足になりがちだからな」
「時間があったらね」と、カージナル。「シアンちゃんは忙しいのよ」
社交界と無縁でいるなら社交パーティに行く必要はない。社交パーティに出席することがなければ社交ダンスの練習の重要性もあまり高くない。シアンとブルーがダンスを習うなら、趣味と言っても差し支えないだろう。
「ダンスならヴェニーが国内屈指の実力だぞ」
「昔の話ですよ」
祖母ヴェニーはとても姿勢が良く、身のこなしも優雅だ。ダンスによって体が鍛えられて来たのだろう。いつか祖母のダンスを見てみたい、とシアンは思った。
夕食前、シアンとブルーがひと足、先にリビングで祖父母と話していると、仕事を終えた兄姉も集まって来る。それぞれ順調に仕事をこなして来たようだ。
「シアン」アズールが言う。「お爺様に何か変なことはされなかったか?」
「なんという物言いだ」と、ナイル。「お爺様が孫を可愛がることになんの問題があるんだ」
「お爺様は溺愛しすぎよ」ネイビーが呆れる。「あまり可愛がりすぎると情操教育によくないわ」
「そっくりそのまま返すぞ。どうせお前たちも今時の若者だから、ろくに叱ることもしないんだろう?」
「ブルーはともかくシアンは叱るようなことをしないわ」
「どういう意味よ!」
ネイビーにブルーが怒ることでさえ、ナイルは愉快そうに笑っている。賑やかな彼女たちには確かにナイルの血が流れているとシアンに感じさせた。
そこにセレストも加わって歓談しているうちに、父ゼニスが仕事を終えて帰って来た。祖父母が屋敷を訪れたことは先に報されていたようだ。
「急に何をしに来たんだ」
「孫に会いたかっただけだ。お爺様が可愛い孫たちに会いに来ることになんの問題があるんだ」
「もうすぐ夏の休暇だ。そのときに会えるだろう」
「私も年だ。いつ死ぬかわからんのだから、会えるときに会わなければ。何より、シアンに誕生日プレゼントを渡したかったしな」
「そんなに元気ならまだまだ死なない」
「何があるかわからんだろう?」
ナイルはからからと笑う。のんべんだらりとしたナイルを見ていると、シアンには、父は淑やかなヴェニーに似たらしいと思えてくる。朗らかな笑みはよく似ているが、性格面はさほど受け継がれなかったらしい。
アガットが夕食の支度ができたと呼びに来て、彼らはダイニングに移動する。祖父母を交えた夕食会は和やかであり、いつにも増して賑やかであった。
夕食後のお茶はリビングに運ばれた。ナイルがシアンに誕生日プレゼントを渡すためだ。
「シアン、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
小さな箱は青色のリボンで可愛らしく装飾が施されている。箱の中には、紅玉と模様が組み込まれたプレートのペンダントが入っていた。手に取ってみると、温かな魔力を感じる。護符のようだ。
「ヴェニーの手製だ」ナイルが言う。「魔法力と耐性を強化してくれるお守りだよ」
「身を守る物は多いに越したことはありませんからね」
「ありがとうございます。大事にします」
シアンが朗らかに微笑むと、ヴェニーは満足げに優しい笑みを浮かべる。ナイルほどの溺愛ではないが、粛々としたヴェニーも孫たちを可愛く思っていることがよくわかる。その瞳は深い慈愛に満ちていた。
ブルー付きの侍女ピアニーが、湯浴みの支度ができたとブルーを呼ぶ。ブルーはこの和やかな歓談を名残惜しそうにしていたが、そろそろ寝る準備をしなければ、ブルーは寝落ちしてしまう。それを自分でもわかっているため、おやすみの挨拶をしてリビングをあとにした。
「それにしても」ヴェニーが静かに言う。「緋色の騎士を顕現させたのは驚いたわ」
シアンに色彩の騎士のひとりである緋色の騎士スカーレット・マソーが宿ったことは、祖父母にも伝えられたようだ。ブルーがいなくなってから話したのは、ブルーには打ち明けていないことも把握しているらしい。
「どういう繋がりがあるのかはわからないけれど」と、ヴェニー。だからサルビア家には〝赤の血統〟が引き寄せられるのかもしれないわね」
「赤の血統……ですか?」
「赤の名を持つ一族のことよ。わたくしやオペラモーヴ家、あなたのお付きのマゼンタやアガットがそうよ。かなり遠縁ではあるけど、一応、親戚ではあるの」
それを初めて知ったシアンは感心していた。マゼンタやアガットが祖母の遠縁であれば、シアンはもっと遠縁になるが親戚に当たる。この屋敷には、そうして信用のある者が集まっているのかもしれない。
「緋色の騎士を祖先とする血筋が〝赤の血統〟と呼ばれている」ヴェニーが続ける。「緋色の騎士がこの家の縁者だったとすれば、青の血筋と赤の血統が引き合うのは運命だったのかもしれないわね」
はて、とシアンは首を傾げる。スカーレット・マソーは賢者がいた世界の人間だったはずで、賢者が生きていたのはシアンの世界ではない。
そう考えていると、心の中でスカーレットが語り掛け来た。スカーレットは必要なときに呼び掛けるのだ。
『賢者様とともに魂の世界渡航をしたことで、こちらのサルビア家に近しい血筋が私の血統に変貌したんです。血統は過去に遡って、血筋の遺伝子を変化させました』
(なるほどのう。それが巡り巡ってシアンに辿り着いたのなら面白いことじゃ)
血筋は歴史によって強化されると言われている。もしスカーレットの魂がこちらの世界に来た時点で赤の血統が生まれたのなら、賢者の魂が存在していた百年前からの血筋となる。百年程度では血筋は弱々しいものだ。賢者の魂の世界渡航に伴う魔力によって遺伝子が組み替えられ、歴史ある血筋に変貌したのだろう。
「色彩の騎士に認められたからには」ヴェニーが優しも厳しく言う。「半端者で終わらないよう鍛錬するのよ。それに相応しいだけの実力をお付けなさい」
「はい。精進します」
「色彩の騎士を味方につけたなんて羨ましいことだ」ナイルが笑う。「色彩の騎士は、すべての世界を探しても七人しかいないんだぞ」
スカーレットのような称号を冠した色彩の騎士は、世界王国にその名を認められている。世界王国はすべての世界を繋がっており、すべての世界の中から厳選された七人ということだ。スカーレットの努力に感心するシアンに、スカーレットは心の中で得意げに笑った。
「同じ世界に色彩の騎士はふたりいない。そもそもいない世界だってある。この世界の色彩の騎士は緋色の騎士ひとりだけだ」
そう言われると格段に特別なことに感じられるが、シアンにはスカーレットが自分に宿ったことを不自然には思わない。スカーレットがその称号を冠したのなら自分の元へ来る。それが自然のように感じられた。
「さすが私の孫だな。間違いなくサルビア家の中でも優秀な人間になるはずだ。クレイジー・サルビアの名を受け継ぐ気はないか?」
「うーん……常人は保っていたいですね」
「ははは、言うようになったな!」
クレイジー・サルビアは乱暴にシアンの頭を撫でる。その笑みは嬉しそうであり、楽しそうであった。
「将来が楽しみでならない。長生きせねばな」
賢者と比べるとだいぶ若い彼は、シアンの成長を見届けるだけまだまだ充分に生きるだろう。せめて彼らをがっかりさせないようにしなくてはならない、とシアンは思った。シアンには、その期待に応えるだけの能力を持っているはずだ。自分の成長過程で彼らが長生きするのなら、精進することにもまたひとつ意義ができた。そう考えると、シアンの能力はまだまだ伸び続けることだろう。それも、研磨された魂を存分に利用すればいい。幸いなことに、賢者はそれだけの知識を持ち合わせていた。狂人とまではいかないだろうが、常人離れした実力は身につくかもしれない。シアンの将来が楽しみなのは、シアンも同じことだった。




