第40話 亡霊王はあの日の誰かの夢を見る
シアンはクロムの能力値を把握していないが、爵位のある貴族と同じように、王族も能力値を公開することはできない。個人間であれば、という例外を認めてしまえば、その後の例外も認めなければならなくなる。これから、シアンはクロムの戦力を自分の目で見ることになる。クロムの能力値を充分に測ることができるだろう。
目指す「海底の迷宮」までは馬車で三十分ほどかかる。作戦会議をするにはちょうどいい時間だ。馬車が出発すると、クロムは折り畳まれた地図を広げた。
「冒険者ギルドの情報によると、海底の迷宮はつい先日、別の冒険者が入ったようだ。だから一地点ごとに出現する魔獣は少ないだろうな」
「危険が少なくて済みそうですね」
「ああ。一地点にはそんなに長く滞在しないつもりだが、どうだ?」
「進行については殿下にお任せします。僕はサポート役としてお供しますので」
「わかった。無鉄砲な行動だと思ったら止めてくれ」
「かしこまりました。殿下はこれまで、どれくらい迷宮に入られたんですか?」
「数回程度だな。中級以上には行ったことがない」
「わかりました」
迷宮攻略に行ったことのない者は無鉄砲な進行をしがちだ。初心者が集まった集団で攻略する際、熟練者を伴って攻略するのが最適だが、そうでないなら「冒険者の迷宮」のような初級迷宮から始めるのが好ましい。経験値は低いところから上げていくべきなのだ。
「数が少ないとなればとにかく見つけた魔獣をすべて倒すつもりで行く。お前はお前で好きなように戦ってくれ」
「はい」
「俺に気を遣う必要はない。結果的にお前のほうが戦績が高くても文句は言わないから安心してくれ」
「かしこまりました」
宮廷騎士や魔法使いの同行では、クロムに戦績を譲るため遠慮がちに戦うことだろう。それもクロムの腕試しには効果的だろうが、ひとりで功績を上げても味気ない。それは賢者もよく知っていた。
海底の迷宮は、煉瓦造りの塀に囲まれている。かつて海に沈んだ国の城のようだった。水底に沈んだ城がこうして再び地上に現れたことは不思議に思えた。
城に入るまでのアプローチが第一地点になっている。攻略直後でなければ、第一地点だけでも充分に腕試しができるだろう。今回は腕試しができれば充分なのだ。
クロムが先陣を切り、シアンが続き、スマルトはしんがりを務めた。例え戦闘の最中に陣形が崩れたとしても、スマルトなら補うことができるはずだ。
足を踏み入れた第一地点、さっそくアンデッド三体が出迎えた。こちらに気付いたアンデッドは、ふらふらとした足取りで向かって来る。剣を構え駆け出したクロムがアンデッド三体を下すのはあっという間だった。シアンの出る幕はなく、腕試しと思えないほど洗練された身のこなしだ。剣術や体術に関しての能力はかなり高い。対魔法戦でも戦術を把握できれば前線で戦えるはずだ。最終地点に向かったとしても充分な能力と言える。
「個体ごとの能力はあまり高くないようだな」
剣についたアンデッドの体液を払いつつクロムが言う。
「低いというわけでもありませんが……」
賢者にはわかるが、いまのアンデッドは低級というわけではない。それを「高くない」と断言できるのは、クロムが積んで来た厳しい鍛錬の賜物だろう。
さらに進んだ先、スケルトンが二体、現れた。クロムが囮役の動きを始めるので、スケルトンがそちらに気を引かれた隙にシアンは光の槍を叩き込む。骸骨は一瞬にして砕け散った。容赦がないのはシアンも同じだ。
クロムはなんの指示を待つこともなく、シアンと自然に連携を取れるようだ。勘の鈍い者なら咄嗟にそれを察知することができないかもしれないが。
この戦闘は、シアンの能力値のすべてを放出する必要のない戦いだった。個体ごとの能力は決して低くはないが、四割程度の力で済む難しくない攻略だ。
辺りを見回し、次の襲撃がないことを確認すると、クロムが口を開いた。
「お前も全力ではなかったな。迷宮自体のランクが低いから、苦戦はしなさそうだ」
「そうですね。腕試しとしては物足りない結果となるかもしれませんが、安全に越したことはありませんからね」
「そうだな。役に立ちそうな素材もないみたいだな」
戦いの最中、辺りに生息する素材の確認もできるのは能力値が高いと言える。シアンは、クロムの能力を活かす戦い方は、と無意識に考え始めていた。斥候役になるわけにはいかないが、前線に立って戦うことも可能だろう。宮廷騎士よりも前に立てるかもしれない。
「どうした?」クロムが首を傾げる。「もう疲れたのか?」
「あ、いえ。なんでもありません」
「そうか。先に進んでも構わないか?」
「はい」
クロムは地図と方位磁石を手に歩き出す。アプローチから正門を潜って行くのが正解に思えるが、どの迷宮もその通りとは限らない。方向を見失わないようにしながら攻略を進めるのが賢明だ。それは熟練の冒険者となっても変えるべきではない。賢者はそれをよく知っている。
第二地点のエントランスはところどころから魔獣の唸り声が聞こえ、第一地点より数が多いようだ。
クロムは行く手を阻むように現れた二体のグールに向かって駆け出しつつ、別方向から攻めて来るスケルトンにも視線を遣る。それもシアンの索敵範囲内であり、クロムが気にする必要もないほど素早く光の槍で下した。骨が崩れる頃には、二体のグールもクロムの切っ先の餌食となった。迷いのない太刀筋は美しいものだった。
瞬時にクロムは方向転換し、こちらに気付いたばかりのアンデッドに向かって行く。シアンはそれを確認しつつ、新しく姿を現したスケルトンに同じ魔法を叩き込んだ。彼らでは腕試しにすらならないようだ。
「攻略であれば楽に越したことはないだろうが」と、クロム。「腕試しに入るには早すぎたみたいだな」
「そうですね。けど、ふたりだしちょうどよかったのではありませんか?」
「まあ、それはそうだな。あいつの出る幕はなさそうだ」
クロムが後方のスマルトを見遣る。彼は剣の柄に手を添えることもなく、腕を組んで彼らを見守っていた。
次に、シアンとクロムは素材がないかと辺りを見回す。そのあいだも魔獣が出現したが、彼らの敵ではなかった。
「マールム晶石があるな。採取してみたらどうだ?」
クロムが指差す先に、赤い結晶が地面から突出している。純度の高いマナの鉱石「マールム晶石」だ。魔道具の製作に重宝する素材で、いくらあっても困らないと言われる汎用性の高い素材である。
「俺が周囲の警戒をしておく。アイテムボックスを使えばいくらでも持って帰れるだろ」
「はい。では採って来ます」
マールム晶石を採取するのは簡単だ。地上に突出している部分を引っ張れば綺麗に抜くことができる。その感覚が小気味良く、癖になると言われていた。
(うーむ……良い感触じゃ)
賢者もこの心地良さに夢中になって、いつもアイテムボックスがいっぱいになるくらいに採りすぎてしまう。それでもマールム晶石の成長は早く、次に冒険者が入って来たときに足りなくなるということもない。いくら採っても使い道があるため、予定より多く採ったとしても咎められることはないだろう。
出現した魔獣はアンデッドとグールのみで、クロムだけでも充分に戦える。シアンは安心してマールム晶石を採取し、アイテムボックスの容量は順調に埋まっていく。
キッ、と短い悲鳴が聞こえるので顔を上げると、ポケットラットがダガーナイフに貫かれて息絶えている。スマルトは澄ましているが、シアンが接近に気付かなかったためについ手を出してしまったようだ。
(危なかったのう……。夢中になりすぎたわい)
雑魚魔獣の殺気は弱い。こうして採取に夢中になっていると、接近に気付くのが遅くなってしまう。とは言え雑魚であるため、攻撃を食らったとしても擦り傷程度で済むだろう。それでもスマルトにはシアンとクロムを守る使命がある。傷ひとつ負わせるわけにいかないのだ。
そのとき不意に、ピリと肌が痺れた。重い足音が辺りに響く。シアンは採取の手を止め、顔を上げた。
「クロム殿下」
「ああ」
剣を構え直すクロムの後ろにつき、シアンもその気配を探った。スマルトも剣の柄に手を添えるほどの殺気だ。
影の中から静かにと姿を現したのは、馬の亡霊コシュタ・バワーにまたがる亡霊王――デュラハンだった。
「第二地点に現れるなんてな」クロムが呟く。「完全にこちらを認識している。逃がしてはくれないようだな」
能力値を鑑定すると、物理攻撃耐性も魔法攻撃耐性も高めの数値だ。装甲は硬いと思われる。
「殿下はコシュタ・バワーの機動力を奪ってください。僕が本体を狙います」
「わかった」
クロムはコシュタ・バワーの気を引くように近付いてから、翻弄するように地を蹴った。目の悪いコシュタ・バワーは、主人の手綱を無視してクロムに気を取られる。
(あれの出番のようじゃな)
シアンはアイテムボックスからマールム晶石を取り出し、頭上にぽんと放った。落下するマールム晶石に杖を当てると、粉々になった鉱石は槍となってデュラハンに向かって行く。物理魔法攻撃と名付けた賢者の自己流の魔法「流星弾」だ。物理攻撃耐性と魔法攻撃耐性を同時に削ることができる。弟子に真似できた者はいない。
『久々に賢者様の〝流星弾〟きたー!』
自分の内側でスカーレットが沸き立つのを感じながら、シアンは次々と流星弾を撃ち込んで行く。コシュタ・バワーの意識がこちらに向くと、クロムがその喉元に切っ先を叩き込んだ。コシュタ・バワーは暴れ、デュラハンの意識も馬に引っ張られた。
何度目かの流星弾がデュラハンの鎧に当たって砕けたとき、ないはずの首が口を開いた。
『エリ……ア……ネ……』
喘ぐようなその声に、シアンの背筋が凍る。その声が耳に既視感を与えるような感覚に陥り、手が止まった。
「……ライル……」
ぽそりと呟く。胸中に広がる重苦しいもの。デュラハンもその隙を見逃すような愚か者ではなかったようだ。
「シアン!」
声を上げたクロムが地を蹴るより一瞬だけ早く、デュラハンの研ぎ澄まされた剣先がシアンを狙う。それが届く前に、シアンの体をスマルトが掻っ攫った。
「知り合いか」
「……いえ、赤の他人です」
シアンは戦いに意識を戻し杖を構える。魔力のすべてを杖に注ぎ込むように指先に力を込め、クロムがコシュタ・バワーの視線を奪った瞬間に杖を振り上げた。
(……ライル。あなたに安息を)
聖なる稲妻を鎧の隙間に叩き込む。辺りに広がる眩い光に飲み込まれ、瞬きの間にデュラハンは消滅していた。
――ライル。あの日のあなたを夢に見ていたのは、私だけではなかったのね。
心の中で誰かが呟いた。
「こんなところにデュラハンが出るとはな」
剣についた埃を払いながらクロムが言う。この迷宮の主として存在しているはずのデュラハンが、入り口のすぐそばである第二地点に出現するのはこれまでの情報との差異が激しい。実力が伴わない冒険者であれば、全滅してもおかしくなかっただろう。
「サルビア家の名で冒険者ギルドの情報更新をさせてもらいます」
スマルトが言うと、クロムは重々しく頷いた。
「そうしてくれ。今日はここで引き返そう。情報との差異は危険だ」
「はい」シアンは頷く。「賢明なご判断です。戦果としては充分すぎるほどです」
マールム晶石とデュラハン討伐は、腕試しに来た功績として上出来と言える。この先に進む必要はないだろう。
* * *
スマルトが情報更新のためのメモを作っているあいだ、シアンとクロムは今日の戦闘について振り返りをした。デュラハン戦でのふたりの立ち回りは上出来と言える。
サルビア邸の前に到着すると、報せ鳥によって呼び戻した王宮の馬車はすでに門の前で待っていた。
「また腕試しに付き合ってくれ」クロムが言う。「次は対魔法戦を想定したい」
「はい。僕でよろしければ」
馬車が去って行くのを見送っているあいだ、誰かが心の中で呟いた。
――ライル。
――あなたは誰だったかしら。
* * *
シアンが仄かに明るい場所で目を開くと、髪の長い女性が膝を折り、手で顔を覆って泣いていた。
『ああ……思い出せない……』
震える声で女性が言う。
『どうして……彼を忘れたくなかったのに……』
シアンが歩み寄っても女性は顔を上げない。手の隙間から落ちる雫が、ドレスのスカートにしみを作る。
「いいんだよ」
シアンは言い聞かせるように優しく語りかけた。だが、女性は拒絶するようにかぶりを振る。
「もう忘れていいんだよ」
シアンは女性を抱き締めた。力無く震える細い体は、氷の中で沈んでいたかのように冷たい。
「だって、もうどこにもいない」
『ああ……愛していたわ……』
掠れた声とともにその姿は消え、辺りを静寂が包んだ。
「もういいんだよ。手放したものを取り戻そうとしなくたって」
誰にでもなく呟く。あの日の誰かに。
「だっていま、僕がここにいるんだから」
その声は、きっと誰に届くこともなく、霧となって消える。どこに行き着くこともなく。




