第89曲 カーミラとローラ
設定は1800年代半ばのオーストリア。その一地方の名士の娘、わたし扮する19歳のローラが主人公。
幼いころに母を亡くし、父と使用人、家庭教師とたまにくる客人以外は誰とも接することのない寂しい生活。
ある夏の日、父の知人であるスピエルドルフ将軍の姪、ベルタが亡くなるというシーンから物語は動き出す。
文香、もう出番終わりだね……。
そんな時、住んでいる城の前で起きた馬車の事故をきっかけにあか姉扮するカーミラという美少女を3か月間城で預かることに。
2人は12年前にお互いが夢で逢った人物と同一人物であると確かめ合い、ローラはすっかりカーミラに魅了されてしまう。
そしていよいよカーミラがローラに愛を語るシーンが回ってくる。
「あなたはわたしのものよ。きっとわたしのものにしてよ。あなたとわたしは永遠にひとつになるの」
ローラの頬をなでながら愛をささやくカーミラ。
「そんなことを言ってあなたはわたしだけを見ていない」
そんなカーミラに強烈に魅かれてはいるもののどこか恐ろしさも感じており、素直になれないローラ。
そんなローラの心などお見通しとばかりに怪しく微笑むカーミラ。
「あなたはわたしを愛しているのね」
そう言ってローラの首筋に唇を触れさせてくるカーミラ。ってあか姉!? そんなこと台本に載ってない!
「だめ、カーミラ……」
それでも舞台を止めるわけにはいかない。なんとか演技を続けるものの、あか姉のキスは止まらない。
「奇妙な愛だと思われるでしょうね。でも、これは真実の愛なのよ」
ダメ。体に力が入らない……。
まるでカーミラに魅入られてしまったローラのように脱力してしまい、なすがままにされてしまう。
「あなたはわたしのものよ、ローラ」
耳元でささやかれさらに体を震わせていると、首に強い刺激が伝わってきた。
暖かくて心地いいような、少し痛みを伴うそれは吸血鬼よろしくカーミラがわたしの首に吸い付いている証。
これも台本にないよぉ……。あか姉、役に入り込みすぎぃ。
そして腰のあたりをまさぐっていたあか姉の手がわたしの胸に移動してこようとした。
さすがに高校の文化祭でそれはマズい!
「でもカーミラ、あなたはわたしのものではない」
台本通りのセリフでカーミラを突き放すローラ。危なかった……。
そして場面転換。周辺の村で何人もの女性が幽霊を見たと言い残すと体調を崩してそのまま死亡する事件が多発。その状況から熱病と噂されていたが、その時期がカーミラの現れた時期に重なるという事実を知る人はまだいない。
そして徐々にローラも衰弱していく。病床に伏していたローラに再びカーミラが愛をささやく。
「ローラ、もうすぐあなたはわたしのものになる」
横たわったままのローラはカーミラの言葉を受けてその手を握る。
「あなたはいつもわたしに永遠を語る。でもその永遠はあなたのものであってわたしのものではない」
そう言ってかぶりを振るローラの頬を妖しい手つきで撫でながら隣に寄り添うカーミラ。
「わたしの愛は永遠よ、ローラ。あなたとわたしは永遠にひとつ。それはとても甘美なことなのよ」
頬に置かれた手はやがて腕を伝い、そのまま腰にまで滑り落ちていく。
耽美で妖艶な雰囲気に吞まれてしまいそう。あか姉ってこんな才能あったんだ……。
その手に撫でられるたび体に電流が走るかのようで、すっかり抵抗する力も失ってしまったわたし。
「あなたは私のものになる。死の中でも、墓場の中でも、永遠に」
カーミラの言葉に弱々しく手を伸ばすローラ。その頬、髪を愛おしいものを愛でるかのように優しく触れていく。
やがてカーミラが体を倒す。近づいてくる顔。
着替えの時のことがふと頭に浮かんだ。あの時の続き……。
またしても目を閉じるわたし。
「あぁ! カーミラ! わたしを永遠にあなたのものに!」
思わずそう叫んでいた。こんなの台本にない。ただ思ったことを口にしただけ。
そして間近にカーミラの吐息を感じた時、唇の横に温かい感触。
ステージの外から見ればキスをしているようにしか見えなかったのだろう。
会場が嬌声で埋め尽くされる。
わたしにはその声もまるで遠くで鳴り響いているかのように聞こえる。今いるのはカーミラとローラの世界。
「わたしの命は愛よ、ローラ」
熱く抱擁する2人。
そこで舞台は暗転。物語は終焉に向けて加速していく。
ローラは、母方の一族の一人で1世紀以上前の人物であるカルンスタイン伯爵夫人マーカラがカーミラと同一人物であることを知る。
やがて体力を取り戻したローラは、復讐に燃えるスピエルドルフ将軍と父に連れられカルンスタインの城跡にたどり着くが、かつてそこで起きた吸血鬼騒動の顛末で侯爵夫人マーカラの墓が別の場所に移されたという情報を得た。
そこにカーミラが現れ、礼拝堂に入っていくのを見た。将軍が追いかけて斧で切りつけるが彼女の怪力により手首を捻られ失敗。カーミラは姿を消す。
その直後に男爵と呼ばれる老人ヴォルデンベルグが礼拝堂に入ってくる。
男爵が持ってきた地図を頼りにマーカラの墓を暴くとそこにはカーミラとも呼ばれた美しい女性の姿が。
古式に則った吸血鬼討伐の儀式を行い、遺体を焼いてその灰を川に流すところで物語は終わる。
幕がおりると会場は拍手の嵐に包まれた。再度幕があがり、主要出演者と脚本の人、そして監督の高坂先輩が並んで挨拶。
観客席に向けて深々と頭を下げるとたくさんの声援が飛び交う。
「迫真の演技がすごかったよー」「葛藤するローラの姿がかわいかったー」「本当にその世界にいるようだった」
など、講堂は賞賛の言葉で埋め尽くされた。これは成功と思っていいのかな?
挨拶も終わり、控室に戻ると高坂先輩が飛びつかんばかりの勢いでわたしとあか姉の元に駆け寄ってきた。
「ほんとよかったよ2人とも! 鬼気迫る演技で本物のカーミラとローラがそこにいるみたいだった! 2人とも演劇の才能あるよ!」
わたし達の手をとって飛び上がりながら喜ぶ先輩。いつもの演技を忘れてすっかり素の状態だ。
こんなに喜んでもらえるなら引き受けた甲斐もあったかな。観客のみんなも喜んでくれたみたいだし。
「ところでさ、あのキスシーン。会場沸きまくってたけど本当にキスしたの?」
やっぱりそう見えてたか! でもキスはしてない!
「し、してないよ? あくまでフリだけだよ。ね、あか姉」
「さぁ、知らない」
おーい。誤解を招くからやめなさいってば。そっぽ向いちゃってるし。なんか拗ねてる?
「なんだ、やっぱりフリだよね。……ん?でもゆき会長、その首……」
首?首がどうしたの?
言われて手を当てて見ても特におかしなところはない。
何を言っているのか分からずにいると、高坂先輩が近づいてきてじっと首を観察された。
「やっぱりこれキスマークだよね。本当に吸い付いてたの!?」
驚く先輩に対して当のあか姉はしれっとしたもの。
「吸血鬼だから。血を吸っただけ」
それにしてもキスマークができるほど強く吸うなんて……。どおりで少し痛いくらいだったわけだ。
「アドリブは入れてくるし、2人ともトランス状態に入ってたんじゃないの?」
呆れ顔で先輩がそんなことを言うけど、実際そうだったのかもしれない。
カーミラとローラに憑依されたかのようで勝手にセリフも出てきたもんね。だとしたらあか姉もわたしも今まで知らなかった意外な才能を発掘してもらったことになるのかな。
女優を目指してるわけじゃないから活用できる場面が見当たらないけど、演技経験はわたしの歌にさらなる厚みをもたらしてくれるかもしれない。
なんにしろ、舞台が成功してよかった。
公演はまだ明日もあるけど、今日で自信もついたしきっと大丈夫!




