第82曲 待ち伏せ
軽井沢の旅行から帰ってから、またわたしは忙しい生活に戻っていた。
夏休み後半ともなれば生徒会長として学校へ行く機会は減ったけど、運動部の試合や文化部の催しには参加していた。
そこに加えて配信の方もレイラさんや雪乃さん、紡さんとも再度コラボしたりして活発に活動していた上に、姉妹たちとの時間もしっかり取っていたのだから正直休んでいる暇なんてなかった。
そして夏休み終盤になって今度はきらりさんとコラボしようという話になり、また東京へ出張にいくこととなった。
さすがに高校生にもなって反対する理由が見つからなかったのか、渋い顔をしながらも姉妹たちは文句を言うこともなく送り出してくれた。
きらりさんの半径5メートル以内には近づくなとか言われたけど。
それじゃコラボできないし。
そしてきらりさんと再会。
「ゆきさーん!相変わらずキレイだね。というか成長してさらにキレイになってない?」
なんかナンパ師みたいなセリフだよ、きらりさん。
「胸も大きくなったんじゃない?」
どこ見てんの!? てゆーかマジ? また大きくなってるの?
「いや、別にブラがきつくなってるとかないんで。ってか公衆の面前でなんちゅー話題振ってくるの」
「今何カップ?」
だから街中でする会話じゃないってば!
「しー!声が大きいって」
「Cかぁ。けっこうあるね」
そういう意味じゃねー! ベタすぎる! 2重の意味で恥ずかしいわ!
「もうこの話題はいいから……。きらりさんわたしの前だとキャラ変わりすぎ」
「そりゃ、ゆきさんはわたしにとって特別だしね」
この人はまたそういうことをさらりと……。
やっぱりわたしなんかよりずっと大人だ。この辺の余裕はまだまだ敵わないなぁ。
「でもライバル多い上に、一番やっかいなのは姉弟だからなぁ」
ライバルって誰のことだろう? しかもやっかいで強大な相手って?
首をひねっていると、頭にポンと手を乗せられた。
むー。もうちょっと身長があればこんな子ども扱いされることもないのに。やっと159㎝になったけど。
「相変わらずのニブチンさんだね。そこがかわいいところでもあるんだけどねー」
ぐりぐりと撫でまわされる。悔しいけど言い返せない。
きらりさんの身長は161㎝あるのも悔しい。すぐに追い越してやるんだからね!
「それじゃ、スタジオに向かおうか」
悔しがるわたしをよそに、やっぱり余裕の態度で促してくるきらりさん。
ホントにわたしが子供みたいじゃんか……。
きらりさんとのコラボは予想通りというかそれ以上に盛り上がった。
きらりさんの登録者数は370万人で所属する企業内でも押しも押されもせぬトップクラス。
対するわたしは個人勢の中では群を抜いた460万人。
同接はお互いに300万を軽く超えて、相変わらずわたしときらりさんの相乗効果は抜群。
すっかり息の合ったトークは丁々発止と渡り合い、途切れることなく進行していく。
まるで長年連れ添った夫婦漫才のようで、相変わらず凄まじい勢いで流れていくコメントをわたしが拾い、きらりさんがそれを受けて広げていくスタイルはもはや2人のコラボの名物だ。
そしてわたしがいる以上必ずついてくる「歌とダンス」については言わずもがな。
きらりさんもわたしの影響をうけてか、その歌唱力はめきめき上達しており今では企業勢の中でも指折りの実力を誇るようになった。
わたし自身もいろんな実力派Vtuberや配信者とのコラボを経てさらにパフォーマンスに磨きがかかり、世間ではその歌唱力に対抗できるのはもはやプロの歌手の中でも岸川琴音くらいしかいないんじゃないかと言われているそうだ。
実際に国内だけでなく、アメリカの世界的に有名なランキングでもわたしと岸川琴音が上位の常連。
今ではネット配信もすっかりメジャーになったとはいえやはりオールドメディアの力は強く、その中でもトップに君臨し続けている岸川琴音と同列に並んでいるのはとてつもない名誉だ。
彼女との縁を考えると少し複雑な気分だけど。
そんなことは関係なくコラボで初披露した新曲は大絶賛を受け、きらりさんにもべた褒めされながら今日の配信は幕を閉じた。
スタジオの控室で少し談笑をした後、わたしたちは予約してもらっていたホテルに向かうためスタジオから外に出た。
さすがというか、大都会東京の夜は昼間にしっかりと熱を蓄えたアスファルトから放たれる熱放射によって日中と変わらないんじゃないかというほどの蒸し暑さ。
蒸し暑さに混じって東京に多い河川の匂いが周囲に漂い、湿度をさらに上げているため不快指数は相当に高い。
だけどスタジオ内はエアコンが効きすぎていたこともあって、冷え切ってしまっていた体にはその蒸し暑さが今だけ少しありがたく感じる。
2人並んでキャリーバッグを引きながらタクシー乗り場の方へ移動。
呼び出したタクシーが来るまでには少し時間があったので、またきらりさんとタクシー乗り場の前で立ち話をしながら冷えた体が温まっていくのを感じていると、前方から視線を感じて意識をそちらに持っていかれた。
思わず会話を中断してしまったくらい強い視線。
その視線の主は斜め向かいのベンチに座っていた。黒のベレー帽を目深にかぶり、このクソ暑い中マスクをしたいかにもな怪しい人物。
さりげなくきらりさんを背後にかばう位置へ移動し、警戒心を高める。
するとその人物が立ち上がり、こちらに向かって走り出した。
体つきからして女性なのはすぐに分かったけど、凶器などを所持していたら危険だ。
咄嗟にキャリーバッグをきらりさんの前に置き、わたし自身が前に出ることで2重の防壁を築き構えをとる。
少し怯えているきらりさんに「大丈夫」と声をかけて少しでも安心してもらえるよう気遣いながらも相手をしっかりと観察する。
女性にしては足が速い。走り方にも無駄がなく普段から運動を欠かしていないことが分かる。
これで凶器を出されたら意外と手ごわいかもしれない。わたしはきらりさんを守る必要もあるので油断することなく走り寄る相手から目を離さない。
そうして警戒心を最大限に高めていたが、その人物から思ってもいない言葉が飛び出した。
「ゆきちゃん!」
突然わたしの名前を呼ばれてしまい、完全に意表をつかれてしまったわたしは相手が飛びついてきたことに対して反応が遅れてしまった。
たとえわたしが刺されてもきらりさんを守らないといけない!
遅れをとったものの咄嗟にそう判断したわたしは覚悟を決めてその人物をがっしりと受け止めた。
たとえ刺されても捕まえて離しはしない、きらりさんには危害を加えさせない!
だけどもともと筋力が大したことないわたしは完全に受け止めきることができず、そのまま後方に倒れこんでしまった。
咄嗟に体だけを使って受け身を取ったものの、両手がふさがっていたので衝撃を完全に逃がすことができず背中に痛みが走る。
……だけど覚悟していた腹部などへの痛みはない。
ただ飛びついてきただけ?
しかし事態を把握しようとする間もなくその女性はわたしをがっちりとホールドしたまま、言葉を続けた。
「ゆきちゃんゆきちゃんゆきちゃーん! 会いたかったよ!」
「え? 誰?」
完全に拍子抜けしてしまったわたしは間抜けな声でそう聴き返すのが精いっぱい。
「誰ってひどい! わたしのこと忘れちゃったの!?」
いや、そのセリフは自分の格好を見直してから言ってほしいな。
「マスクしてるから誰だか分からないんですけど……」
そう言われてようやく自分の姿に思い至ったようで、片手でマスクと帽子を取る女性。もう片方の手は決して離さないとばかりに強く絡みついたまま。
マスクの下から現れた姿を見て言葉を失ったのはわたしだけでなくきらりさんも同じだったようだ。
「「えええぇぇぇ!?」」
2人同時に上げた衝撃の声。そりゃそうだ。わたしの目の前にいたのは。
「き、岸川琴音!?」




