第6曲 配信前のひととき
帰宅してすぐに夕食を作り、その後久々に日本の柔道場へと向かう。
アメリカでも通っていたけど、小さな道場だったから人数も少なく、わたしに勝てる人はいなかったので、日本ではどこまで通用するようになっているか楽しみだ。
道場に到着してまずは師範に帰国の挨拶。
「お久しぶりです、師範。今日からまたこちらでよろしくお願いします」
「ゆきちゃん、おかえり。アメリカでも道場に通って敵知らずだったそうだね。みんな君がどこまで強くなっているか楽しみにしているよ」
受講費を支払いに来たお母さんから聞いたのだろう。
周囲を見ると先輩たちが笑顔ながらも挑戦的な目でわたしの方を見ていた。
「この四年間で腕を上げたつもりではありますけど、今日は皆さんの胸を借りるつもりで自分の力を試したいと思います」
暴力が嫌いとはいえ、試合は別。こう見えてもわたしはけっこう負けず嫌いだ。
ここまで挑戦的な視線を向けられたら否が応でも燃えてくる。やるからには絶対に勝ちたい。
まずは準備運動をしっかりやって体を温めておく。
今日は約束稽古の後に乱取り。
約束稽古は技の反復練習なので、基本動作の出来や技の習熟度などを図ることができる。
乱取りはだいたいレベルが同程度の人同士で稽古を行うのだけど、今日はわたしがひさびさに帰ってきたから今の力量を測るという意図もある。
約束稽古の出来から見て、初段相手でも問題ないだろうということで高校二年生の兄弟子と組み合うことになった。
「よろしくお願いします」
向かい合い、一礼をして構える。
合図とともに組み合った瞬間、兄弟子の体のバランスが偏っていることに気が付いたので、そこを狙い崩して投げた。
あっさりと一本。驚いた。
「も、もう一本!」
兄弟子も簡単に負けたことに驚いたようで再戦。結果五戦やって全戦瞬殺。
試合を見ていた二段の兄弟子とも五戦組み合ったけど、その人ですら一分と持たずわたしに投げられてしまった。
「おいおい、マジか」
道場がざわつく。そりゃそうだ。
まだ昇段資格の年齢にすら達していない少年が有段者をいともたやすく投げ飛ばしているのだから。
己の運動神経の異常さは理解しているけど、武道の有段者相手にも通用するとは驚きだ。
最終的に、ちょうど非番で顔を出していたうちの道場の最高段位三段保持者、現役警察官の松田さんが手合わせをしたいと名乗り出たことで、捨て稽古みたいになってしまった。
捨て稽古は勝敗にこだわらず、自分より実力のある相手に胸を借りて技のキレを磨く稽古のこと。
形式は捨て稽古だけど、わたしにはそんな気は毛頭ない。やるからには勝ちに行く。
さすがに三段ともなると実力がまるで違う。普通なら勝てない。
だけど諦めるつもりなんて欠片もなかった。わたしは普通じゃない。
どれくらい時間がたったのか、一進一退の攻防の中わずかなスキをついてわたしが技ありを一回とったきり、なかなか勝負がつかない。
お互いの気迫で肌がチリチリする。
わたしは体力がある方ではないので、これ以上長引くと不利になってしまうんだけど、松田さんは隙がない上、果敢に技を仕掛けてくるのでいなすだけでも大変だ。
だけどこのまま体力切れで負けるなんてまっぴら。
格上相手とはいえ一切ひるむことなく、それまで以上の闘気を全身に張り巡らせ相手の動きに意識を集中させる。
周囲は静まり返り、この勝負の行く末を息をのんで見守っている。
しばらくにらみ合いのような状況が続いていたが、一瞬のチャンスが巡ってきた。
並の人間なら見落としてしまうようなわずかな重心移動。
ほんのわずかだけ松田さんの重心が上がった。その瞬間を逃さず今の自分が発揮できる最大の速さで技を仕掛ける。
さすがは現役警察官と言うべきか、腰を落として踏ん張ろうとしたが、そうはさせじと速さを活かした力技でなんとか技ありをもぎとることができた。
さきほどの技ありとあわせて合わせ一本。どうにか勝った。
肩で息をしながら一礼。
あぁこれ明日絶対筋肉痛になるやつだ。
そんなことを考えていると松田さんが握手を求めてきた。
「本当に強いな。驚いたよ。オリンピックに出れば史上最年少メダリストも狙えるんじゃないか」
握手に応えながらわたしは疲れた顔で笑う。
「いや、ほんとギリギリですよ。もう体が限界です。それに大会にも出たことありませんし、メダルにもあんまり興味がないです」
「それだけの実力があるのにもったいないな。こんなに可愛い子が強いともなれば話題性も十分だろうに。人気者になれるぞ」
悪戯っぽい笑顔でそんなことを言ってくるが、興味がないものは仕方がないというもの。
「武道はわたしの本業じゃないので。どうせならわたしのやりたいことで人気者になりたいです」
「やりたいこと?」
「歌とダンスが好きで。聞くだけで幸せになれる、元気をもらえる、そんな歌を世間に届けたいんです」
「そうか。それじゃ仕方がないな。それだけの身体能力があればダンスもキレがありそうだ。デビューしたら是非俺にも教えてくれないか、応援するよ」
笑顔の優しい人だ。きっと地域の人にも慕われているんだろうなと思う。
「ありがとうございます。がんばります」
長時間にわたる攻防で体力は使い果たしてしまったので、今日の稽古はこれでおしまいということにしてもらった。
出入り口で中に向かって一礼、他の道場生からの盛大な拍手に見送られながら道場を後にした。
疲れた体を引きずるようにして家に帰ると、みんなまだご飯を食べずに待ってくれていた。
温めれば食べられるようにしてあったのに、誰も文句など言わず思い思いにソファーでくつろいでいる。
「先に食べてくれてよかったのに」
「いつも道場行ってもそんなに遅くなるわけじゃねーだろ。ご飯は1人で食べるよりみんなで食べた方がおいしいんだから気なんてつかわなくていーんだよ」
ソファーに寝転がっていたより姉がそう言ってくれる。そんな思いやりが身に染みるほど嬉しくて、さっきまで感じていた疲れもどこかへ行ってしまった。
「ありがとね。じゃあすぐ温めるからみんなで食べよ」
わたしの一番大切な人たちに感謝の気持ちを込めた笑顔を向けて、食事の支度にとりかかった。
* * *
「くっ、あの笑顔は反則だろ……」
台所に立つゆきには届かない声でつぶやく。
「なんかドキドキしてるよぉ」
ひよりもダメージを受けてるみてーだ。
「なんであんなに愛らしい笑顔ができるのかしらね~」
「正に規格外」
いや、全員やられたらしい。
「みんなどうしたの~? ご飯すぐできるよ?」
ほんと、弟が可愛すぎるんだがどうしたらいいんだ……。
そんなかわいい弟にご飯の用意をすべて押し付けるわけがなく、それぞれが何も言われなくてもやることを見つけて手伝う。
ひよりがそれぞれのお米を茶碗によそい、楓乃子が食器類をテーブルに並べ、わたしは茜と一緒に配膳を手伝う。
準備が整ったところでいつもどおりわたしのよびかけにあわせてみんなで『いただきます』
今日の食卓での会話、もちろん主役はゆきだ。
「今日からいよいよ配信開始だな」
「うん、今日は自己紹介と活動内容の告知くらいだけどね」
「第一印象は大事だよ、ゆきちゃん! がんばってね!」
ひよりは激励してるつもりなんだろうが、さりげにプレッシャーかけてねーか?
「人前に立つのは慣れてるし平気だよ。それにとってもかわいいイラスト仕上げてもらったしね!」
経験も舞台度胸にも問題はないのに、いざ生配信を見せてくれと言うと真っ赤な顔でイヤだと拒絶するのが謎だ。
他人の前では堂々と披露できるのにどうして身内にはそんなにシャイなんだ?
恥ずかしがる顔もいちいちかわいいんだけどな。
「どうしてわたし達には見せてくれないの~? 歌うことは別に恥ずかしくないんでしょ?」
思ったことはすぐに言うひよりが疑問を口にした。
まったくだ。どうして隠す必要があるんだか。
「生配信の時は歌だけじゃなくてリスナーさんといろいろお話したりもするからね……テンション上がったら余計なことまで言っちゃうかもだし……」
テンション上がったら何を口走ってしまうってんだ? 余計気になるじゃねーか。
「で? どんなイラストを描いてもらったんだ?」
ゆきがスマホをいじって画面をみんなに見えるように掲げる。
「確かにかわいい……でも」
「でも?」
「なんでもない」
ゆきは不思議そうな顔をしてるが何を言いたいかわかるぞ、茜。
中の人の方が断然かわいいとか、それでいいのかって言いたいよな。絵師さんに失礼だから言わないけど。
「そういえば打ち合わせの時に、絵師さんがこの依頼は自分史上最大の力を振り絞ってやりとげる! って言ってたからかなり気合入れて描いてくれたんだと思うんだよね。ほんとかわいいもん」
史上最大の力ねぇ。それってやっぱり……。
「打ち合わせの時に顔は見せたのか?」
「うん、イメージを知りたいからってビデオ通話したよ」
「「「「あー……」」」」
全員声を揃えて納得。
この弟の分身になるかわいい絵を描いてとかどんな無理難題だよ。
そりゃ最大の力を振り絞らないと描くことなんてできないわな。ゆきは別の意味にとってるみたいだけど。
でもゆきがこんなに生き生きとした顔をしてるのは、見ているこっちも嬉しくなってくる。
いつも人の世話ばかりで自分の事は後回しにしてしまう弟が楽しんでいるんだ。精いっぱい応援してやりたい。
いつもどおりゆきの作った美味しい料理に舌鼓を打ち、満足して食後のお茶をすすっていたらけっこういい時間になっていた。
「時間は大丈夫なのか?」
「あ! もうこんな時間になってたんだ! そろそろ準備するから行くね!」
声を揃えて発破をかける。
「頑張ってな!」「いっぱい楽しんできてね!」「応援してますから~」「トチるな」
一部煽ってるような気もするけど各々が激励の言葉をかけてゆきを見送る。
ゆきなら大丈夫。見た目どころか性格まで良いところばっかりの自慢の弟だ。
きっとみんなの人気者となるに違いない。
いつか、日本どころか世界中で愛されるようになる日がやってくるんじゃないか、あたしにはそんな気がしていた。




