第5曲 前哨戦
わたしの朝は早い。
まだみんなが眠っている時間に目を覚まして朝ごはんの支度。
それに両親と姉たちのお弁当も一緒に作る。中学は給食があるからいいけど、より姉とかの姉、それに両親は放っておくとコンビニ弁当やパンなんかで済まそうとする。それだと栄養が偏ってしまうのでわたしがお弁当を作ってしっかりと栄養管理をしてあげないといけないのだ。
家族の健康を守るのもわたしの務め。
まず最初に両親が起きてくる。少しでも安くて広い土地を手に入れるため郊外に家を建ててしまったので、通勤に時間がかかるようになってしまった両親は、姉妹たちに比べるとどうしても早くから支度しないと間に合わない。
先に用意してあった2人分の朝食をすませると、お母さんが毎朝欠かさないわたしとのハグをしてゆっくりする間もなく出かけていってしまう。
両親を見送ったあとは姉たちを起こす時間。
うちの姉妹たちは誰も自分から起きてきてくれない。
目覚ましをかければ起きられるだろうにひとりとして目覚ましをセットして眠る人がいない。
彼女たちいわく、けたたましい音で不快に起こされるよりわたしに起こしてもらえる方が至福の目覚めを味わえるのだとか。なんだそりゃ。
以前試しにこっそり小鳥のさえずりの目覚ましをより姉の部屋にセットしてあげたら、翌日の朝には破壊されていた。
爽やかな目覚めを迎えられるだろうと思ったのに、ちゅんちゅんというかわいらしい小鳥の鳴き声でさえ不快だったらしい。
なんてこった。自立できるのか、この人たち。
さぁ、まずは長女から起きてもらおうとより姉の部屋へ。
「おはよう、より姉。朝だよ~。起きて」
至福の目覚めとまで言われればかける声も優しくなる。愛情を込めて、極力柔らかい声を意識して、耳元でささやくように起こしてあげる。
「むー」
「朝だよ。起きてってば~」
至福の声で起こしてあげてるんだからすんなり起きてほしいもんだ。肩をゆさゆさしていると、より姉の目がうっすらと開いた。
やっと起きたか。と思ったらおもむろにより姉の手が伸びてきた。
何?と思う間もなく首の後ろにまで回った腕に捕獲され、布団の中に引きずり込もうとしてくる。力強いな! 起きてるだろこれ!
「あとちょっとー。ゆきも一緒に寝よー」
「はーなーせー! バカなこと言ってないで早く起きなさいー!」
体をちゃんと起こしてあげながら、なんとか目覚めてもらう。バリバリと音がしそうなくらいしがみついているのをようやく引っぺがすと不満そうな声。
「ゆきのケチー。ついこないだまでお姉ちゃんにしがみついて寝てたくせにー」
「何年前の話してんの。いいから早く起きて。ごはん冷めちゃうよ」
もそもそと布団から起き上がってくるさまはさながらゾンビのよう。それでもちゃんと起きてくれるのでご褒美に優しくおはようのハグをして、次はかの姉の部屋に向かう。
かの姉にも同じように、優しい声でそっと体をゆする。
「かの姉~。おはよう、朝ですよ~」
「あ~ゆきちゃん。ウフフ、朝からゆきちゃんのかわいい声で起きることができてお姉ちゃんは幸せです。おはようございます~」
かの姉は目覚めがいい。楽ちんだ。
「おはようのちゅ~して~」
これさえなければ。
「なに言ってんの。はやく起きて」
「やだやだ~。ちゅ~してくれないと起きられない~」
それだけ話せるならもう起きてるでしょ。もうほんとに仕方のない。
普通の姉弟ならちゅーの代わりにデコピンでもお見舞いしそうなものだけど、わたしも姉妹にはたいがい甘々だ。
そっとおでこにかかった髪をかきわけてちゅっとする。
ほんとに甘いなと思うけど、かの姉のこの駄々っ子モードは言うとおりにするまで終わらないと経験で知っているから仕方ない。ということにしておこう。
「今日もかわいいゆきちゃんの愛情たっぷりのキスで目覚めました~」
「愛情はたっぷりあるけど、かの姉の場合は半分脅迫みたいなもんじゃない。おはよう。ご飯できてるしお弁当も置いてあるからね」
かの姉にもおはようのハグをして、次に向かうはあか姉の部屋。
これで半分済んだことになるんだけど、残る二人は強敵だ。
「あか姉~! 朝~! 起きなさ~い!」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
優しく起こしてあげたいけど声が小さいと全く起きてくれない。音量が大きくなってしまうのは不可抗力ってやつだ。いやマジでぴくりともしない。生きてる?
「あか姉~! 起きてってば!」
呼吸はしてるから生きてはいるけど、かなり強めにゆさぶっても全く起きる気配がない。あか姉の場合ちょっと力技に出ないと本当に起きてくれないのだ。
大地震が来て家が崩れても寝ていそうだから割とマジで心配になる。
背中に手を回し、抱きかかえるようにして上半身を起こす。起きてもいないのに先にハグをすることになってるけど、そのままベッドの上に座らせてガクガク揺らす。
首がカックンカックンなるからむち打ちになるんじゃないかと心配になるけど、ここまでやってやっと目が開くんだからしょうがない。
「なに?」
「なにじゃないよ。朝だっての。おはよう」
「おはよう。ん、起きた」
起きたなら自分の力で座ってください。いい加減腕が疲れてきたよ。
いまだに力が入らないのはハグを堪能してるんだろうなとは思うけど、突き放してベッドに逆戻りさせるわけにもいかないのでわたしもしばらく抱いたまま。
「ほら、しゃきっとして」
ようやく自力で起き上がるのを確認して、次はいよいよラスボス。
「ひより~朝だよ。起きなさ~い」
「うにゅ~……。あ、ゆきちゃんだ~。えへへ」
まぁなんてだらしのない顔だこと。年頃の女の子がそんな顔しちゃいけません。
「ほら、朝ごはんもできてるし早く起きて」
「だっこ~」
いつものこととはいえ朝から全開で甘えてくるな、この妹は。抱きかかえて上半身を起こしてあげる。コラコラ、しがみつくんじゃありません。
「ほら、これで起きられるでしょ」
「これじゃない~。ちゃんとだっこして布団から出して~」
こやつ手加減なしだな。でもかわいい妹の頼みを断れないわたしもたいがいダメな兄だ。膝の下に腕を差し込んで背中に手を回しそっと持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこ。
「ヌフフ~ゆきちゃん今日も優しい。大好き~」
「これでよろしいですか、お姫様」
「満足~。おはよ」
ようやく目覚めたお姫様に朝の挨拶を返し、そっとおろしてちゃんと自分の足で立たせたまではいいのだけど、腕は相変わらず首元にしがみついたまま。
「はなしなさ~い。これじゃ動けないよ」
「もうちょっとだけ~。ゆきちゃん成分補給中。今日もゆきちゃんいいにおい~」
においをかぐな。
「よっし充電完了!陽愛は今日も元気です!」
ようやく解放。気が済んだようで元気よく離れると着替えのためにクローゼットへと向かうひより。
「おはよう。じゃ先に下行ってるからね」
「うんおはよう!わたしもすぐ行くね」
これにてミッションコンプリート。毎朝こんなことを繰り返してるってのもたいがいブラコンシスコン全開だなぁと思うけど、こんな日常も幸せだからいいんです。
やがてめいめいが朝の支度を終え、食卓へ。朝もみんなそろってから「いただきます」
朝食が済むと、中学より学校が遠いため先に出かけてしまうより姉とかの姉にお弁当を渡してお見送り。それから洗い物を片付けてるあいだ、あか姉とひよりはテレビで朝の占いチェック。
今日はひよりの順位が良くなかったらしく、テレビに向かってぶーぶー言っていた。
「それじゃそろそろ行こっか」
今日は3人揃って登校。昨日はわたしが待ちきれなくて先に行っちゃったけど、基本的には揃って登校する。
「それじゃいってきます」
もう家には誰もいないけど、あいさつは大事。あか姉とひよりもちゃんといってきますを言って、並んで歩きだす。
家を出て少し歩くとそこはもう通学路だから同じ制服を着た他の生徒もいるし、けっこう広めのバス道なので通勤中の人もたくさん歩いてる。
わたしひとりでも視線を集めてしまうのに、今日はさらに両横に美少女が2人いるんだからいつも以上に視線が集中してしまう。
今日は電柱にぶつかる人を2人見かけた。みんな前見て歩いてね?
「そういえばゆきちゃん、今日からVtuberの配信始めるんでしょ?チャンネル名は何にするか決まってるの?」
ひよりの言う通り今日からVtuber活動がいよいよスタートするけれど、チャンネル名は両親姉妹誰にも教えていない。
今日までに何度か質問されているけど、毎回拒否しているのは単純に恥ずかしいから。
姉妹たちからは当然のごとく批難ゴウゴウだけど、台本も用意していない生配信だけにテンションが上がった時に何を口走ってしまうかわかったものではない。
だから身内には見てほしくないのだ。
よって今朝も当然のごとく拒否権行使。
「そんなのひどい! 妹として兄の行動を監視する権利を要求する~!」
「姉としても権利を要求」
そんな権利の保証は憲法には載っていないです。両サイドからなおもしつこく教えろと言われるけれど、頑なに黙秘。
「恥ずかしいから聞かれても絶対教えない~。あと学校でもわたしが配信始めること誰にも言っちゃだめだよ」
自分の歌がどれだけ通用するかも見てみたいし、身内や友人のひいき目なしに挑戦してみたいってのもある。
いきなりバズるなんて甘い期待は持ってないし、わたしの歌を聞いて心動かされた人が広めていってくれるのが一番望ましい。
教えろコールをスルーしてるうちに15分ほどで学校に到着。
ざんねん、タイムアウト。
1年生は1階、2年生は2階、3年生は3階と分かれているので階段のところでそれぞれ別れ、ブーイングを背中に浴びながら自分の教室へと向かう。
1日の始まりはあいさつから。教室の扉を開けて元気よく声を出す。
「おはようございま~す!」
「……あ、おはよ……」
……あれぇ?
ちゃんとみんなおはようってあいさつを返してくれたけど、なんだか元気がないというか声が小さい。
昨日はみんな歓迎してくれたと思ってたんだけど、うって変わってなんだか様子を伺われているような感じ? わたし何もしてないよね?
隣の席ということもあって仲良くなった文香ちゃんが恐る恐るとでもいうか、少し気を使ったような感じで私に近づき、尋ねてきた。
「あのね、ゆきちゃん。もし間違ってたらごめんなさいなんだけどさ……ゆきちゃんて小さいころ芸能界にいたりした?」
げ! まさかそのことに気づく人がいるなんて! 昨日はバレなかったから油断してた。
一瞬誤魔化そうかとも思ったけど、嘘をつくのもイヤだなぁ。
事実は変えられないし、いずれバレることかもしれないな。
仕方ない、観念しよう。
「あちゃー気づかれたかぁ。成長して顔も変わってるからバレることはないと思ってたのに……」
「やっぱり! 朝の子供向け番組に出てたピーノちゃんだよね!」
昨日に引き続き教室内は大騒ぎ。
どうやらクラス委員長の杏奈ちゃんがなんか似てない? って気づいてみんなに確認。よく見れば確かに面影があるということで、クラス全員の意見が一致したところにわたしが登場したのであんな空気になっていたらしい。
「そういえば性別不詳って設定だったけど、本当は男の子だったんだね! 髪も伸ばしてたし、あんまりにもかわいかったからてっきり女の子だと思ってたよ」
昔から初対面でわたしを男の子だと思った人はひとりもいない。
かわいい女の子ですね、いえ男の子なんです、あんまりかわいいから女の子だと思いました、までが初対面の人に対する挨拶のテンプレートになっていた。
「そりゃこんな小さいころからこれだけきれいな顔してたらそうだろうねぇ。スカウトだってそりゃされるよ。すごいなぁ。あれってわたしらが幼稚園くらいの時だよね」
当時の写真をスマホで見ながら穂香が聞いてきたが、子役としての活動期間は幼稚園から小学校1年生にかけての実質2年足らずでしかない。みんなよく覚えてたな。しかもそれがわたしだと見抜いたのもすごい。
「めちゃくちゃ流行ったもん。私今でもあのダンス覚えてるよ」
「ふわふわダンスかぁ。小さいころに考えたダンスと歌だから思い出すとちょっと恥ずかしいね」
「今でも踊れたりするの?」
「恥ずかしながら完全に覚えておりまする」
わたしが一度覚えた歌とダンスを忘れることはない。
するとひさしぶりにピーノちゃんの踊り見たい! という声があがり、他の生徒も乗っかって教室中からの見たいコールに発展してしまう。
いやいや、幼児向けの踊りをこんな歳になってクラスメイトの面前で踊れとかどんな公開処刑? そんなのムリムリムリムリかたつむり。
当然ここも拒否権の行使。
「なんで~! 生ピーノちゃん見たいのに」
「いやいや、幼児向けの踊りだし恥ずかしすぎるってば。アメリカで出した曲のダンスくらいなら踊ってもいいけど」
しまった。余計な事言った。
「それ見たい! アメリカに行っても芸能界にいたんだね! 知らなかったよ」
「でも歌詞は英語だよ?」
ヒットしたわけでもないし、日本での露出なんて皆無に等しかったから知らなくて当然と言っていいだろう。実力不足を痛感してすぐにメディアに出なくなったし。
だけど余計な情報を与えてしまったばかりに、今度もクラス全員から『英語でもいいからダンスみせろ』の大合唱。いや、ステージやスタジオならともかく教室で?
「一応スマホに音源は入ってるけど、踊るとなったら机なんかもあるし狭くて無理でしょ。授業でもないのに体育館使うわけにもいかないし、時間もないし」
「それなりの広さがあればいいんでしょ? じゃあ机を片付ければ大丈夫だよね!」
え?
止める間もなく全員が一斉に動き出し、あっという間に机といすが教室の後方にまとめられた。なにその連携力。事前に打ち合わせでもしてたの? 手際が良すぎて怖いんだけど。
「準備おっけー! それじゃゆきちゃん、よろしく!」
まったく熱量が高いというか欲望に忠実というか。その熱量を少しは勉強にも向けようね?
でもわたしも元とはいえプロだし、Vtuberとしてデビューする予定の身。
人前で披露することに対してためらいはないので口では仕方ないなと言いつつ、これも一種の前哨戦だと思えばいいかと開き直った。
スマホの音量を最大にして自分の曲をセット。
まさか日本に戻って初のお披露目が学校の教室になるとは思ってなかったけどね。
少しの静寂。期待に満ちた面々。やがて前奏が始まり、脳内に記憶されている歌とダンスはわざわざ思い出すまでもなく、声が出て、体が動き出す。
テンポのいい曲に合わせてのダンスは足の動きに重点を置いたストリート系。歌の曲調に合わせて踊ることを重視するわたしにとって口パクなんか論外。
脳内のイメージ通りに体を動かすだけなので余計な力も入っておらず、激しい動きにもぶれることなく正確に歌い上げる。
神様がくれた才能に加え、子役時代から毎日欠かさずやってきたボイストレーニングで鍛えられた声量は校内に広く響き渡り、離れたクラスや違う階の教室にも届いていたようだ。
わたしの歌声に釣られて他のクラスや違う学年の人も見に来ている。
驚きと興奮に包まれたたくさんの表情が視界に入り、手が痛くなるんじゃないかと思うほどの熱狂でリズムに合わせて手拍子をしてくれている。
子役時代に神童と言われていたのは伊達じゃない。
研鑽を重ね、さらに成長を続けるパフォーマンスは以前より研ぎ澄まされ、詳しくない人が見聞きしてもレベルの高さがわかってしまうほど。
アメリカで早々に活動休止して、ひたすら自己研鑽をしていた成果は着実に実を結んでいる。
4分足らずの時間はあっという間に過ぎ去った。だけど見ていた人たちの熱狂はまだ冷めやらない。
曲が終わったとたんに轟いた割れんばかりの拍手は、何も知らない他の生徒や教師がびっくりするほどの大音量になって校舎内に響き渡った。中には涙を流しながら拍手をしている人もいる。
「いや~やっぱ教室で踊るってのは少し恥ずかしいものがあるね」
思ったよりも大きな反響だったのがとても嬉しくはあるけど、同時に少し恥ずかしくなってきたのでそんなことを言いながら照れ笑い。
歌の余韻が残る中、ダンスの邪魔にならないよう距離を取って見ていたクラスメイト達が、歓声とともに一斉に集まってくる。
すごい、鳥肌が立ったなど口々に賞賛の言葉をかけてくれる。
「感動じだ~!」
文香、号泣!? 鼻水出てるって!
ハンカチで拭いてあげながら頭をなでなで。うらやましそうな顔すんな、男子。
「いやホント、ダンスもキレッキレですごかったけど歌がマジでやばかったよ」
「英語だから意味はわかんねーけど、すごい迫力で体震えたな」
だからあんまりべた褒めされると照れるってば。
「ほら、先生来る前に教室を元に戻さないと!」
話題を逸らし熱を冷ます意味も込めてクラスメートに呼びかけ、教室の復旧を急がせる。
そうこうしているうちに始業のチャイムが鳴り、各自自分の席に着いたはいいものの、先ほどの興奮は冷めきっておらず恍惚の表情を浮かべている人ばかり。
ホームルームのため教室に入ってきた瑞穂先生も生徒の様子がいつもと違うことには気付いたようで、何があったのか杏奈ちゃんに尋ねた。
「みんなぼーっとしちゃってるけど何があったの? なんかすごい拍手が職員室まで聞こえてきてたけど」
聞かれた当人である杏奈ちゃん自身もまだ夢見心地で、普段のしっかりした姿は影もない。
「ゆきちゃんのダンスと歌がすごくて……すごかったんです」
いやいや、語彙力。
「言葉にできないほどすごかったのね……。杏奈ちゃんがこんなになるなんて……。先生も聴きたかったわ」
「音楽の時間が楽しみになりました」
音楽の時間のたびに歌わせるつもりですか?
人前で歌うのが久しぶりだから少し張り切りすぎたかな……。もはや苦笑するしかない。
噂は他のクラスから見に来ていた人などの口コミであっという間に広まり、昼休みにはひよりやあか姉まで知っていた。さすがに広まるの早すぎやしないか。
給食を手早く済ませ、教室の喧騒から逃れて中庭でぼんやりしていると、ひよりが目ざとく発見して嬉しそうな顔をしながら走ってきた。
「ゆきちゃ~ん! 話は聞いたよ! 今日は朝からゆきちゃんオンステージだったらしいじゃん?」
「そーなんだよ。子役時代のことがバレちゃって、クラスのみんなにせがまれたから仕方なく」
「プロの歌声だったって噂になってたよ」
まるで自分が褒められたかのように誇らしげな様子。元とはいえ一応プロだったんですが。
子役を引退した当時から、いずれはまた世間にわたしの歌声とダンスを届けたいという気持ちはあったから、今でも毎日ボイトレと喉のケアをしているし、体力づくりのためのジョギングも欠かさない。
その気持ちと行動、タイミングが結実して、今回まずはVtuberとして歌手活動を再開することに決めたのだ。
ちなみにメディアへの復帰を誰よりも喜んで応援してくれているのはひより。
「ゆきちゃんかわいいから顔出ししても大丈夫だと思うし、芸能界に復帰したらまた人気出ると思うんだけどなぁ」
ひよりはわたしが子役をやっていたころ、スタジオに撮影を見に来ては目をキラキラさせて「ゆきちゃんすごーい!」とはしゃいでいたので、人気絶頂にもかかわらず突然引退したことを今でも残念に思っている。
「芸能界にいたころは嫌なこともいろいろあったからねぇ。せっかくの学生生活も楽しみたいし。それに顔出しすると安全面とか心配でしょ。ちゃんと準備するまでは素性を隠しておきたいの。だから外では配信の話はあんまりしないでね」
「準備って黒帯のことでしょ? でもゆきちゃんてばどの道場でも黒帯の人より強いじゃない。アメリカでも続けてたしなんか軍隊のなんとかっていうのにも手を出してたよね」
特に自慢することでもないと思っているのでまだ公言してないけど、わたしは合気道からはじまって柔道と古流柔術、アメリカでマーシャルアーツを習っていた。
「勝てるとしても白帯と黒帯とでは相手に与える威圧感が全然違うからね。抑止力として最初から暴力沙汰にならないようするには、黒帯っていう目に見える分かりやすいものを持っていた方がいいの」
柔道、合気道ともに昇段資格は14歳からなので、誕生日が1月なためまだ13歳のわたしには昇段試験を受けることもできないんだよね。
「そんなに強くなって師範でも目指すの?」
「まさか。目指さないよ。黒帯にさえなれれば十分。それ以上を目指そうと思ったら稽古日数が規定日数以上必要だったり、大会成績とか貢献度が必要だったりするからね。そこまでやりこむつもりはないよ」
わたしは見た目がこんなんだし、歌手としての活動を優先したいという理由でどの武道の大会にも出場したことがない。合気道には試合がないが、柔道の師範や兄弟子は優勝を目指せる実力があるからと言って出場を勧めてくる。
だけど基本的に争いごとが嫌いな性格だし、別に最強を目指しているわけでもないので断っている。乱暴や弱い者いじめはもっと嫌い。わたしはわたしの大切な人を守れるだけの力があれば十分。
「わたしはひよりのお兄ちゃんとして頼りにされるだけの強さがあればそれでいいんだよ」
笑顔でそういうとなぜか腕にしがみつかれた。
(今でも十分頼りになってるよ……)
わたしの腕に顔をうずめて小さな声でぼそぼそ言っているので何を言っているのか聞き取れなかったけど、目の前にあるその小さな頭を優しくなでてあげた。かわいいなぁ。
なんか周囲からため息と一緒に尊いとかいう声が聞こえてきたけど、かわいい妹と仲がいいのはわたしの自慢なので胸を張っておこう。
周囲から見たらどう見てもイチャイチャしてるようにしか見えないスキンシップをしているうちに、昼休みが終わってしまった。
午後の授業もつつがなく終わり、放課後にカラオケへ行かないかと誘われたけど、今日は稽古もあるし、何より初配信という大切な日なのでまた誘ってねと言いつつ断った。
今朝の様子からするとわたしばっかり歌わされそうな気もするし。独演会ならリスナーさんの前でやりたい!
帰宅してすぐに夕食を作り、その後久々に日本の柔道場へと向かう。
アメリカでも通っていたけど、小さな道場だったから人数も少なく、わたしに勝てる人はいなかったので、日本ではどこまで通用するようになっているか楽しみだ。
道場に到着してまずは師範に帰国の挨拶。
「お久しぶりです、師範。今日からまたこちらでよろしくお願いします」
「ゆきちゃん、おかえり。アメリカでも道場に通って敵知らずだったそうだね。みんな君がどこまで強くなっているか楽しみにしているよ」
受講費を支払いに来たお母さんから聞いたのだろう。周囲を見ると先輩たちが笑顔ながらも挑戦的な目でわたしの方を見ていた。
「この4年間で腕を上げたつもりではありますけど、今日は皆さんの胸を借りるつもりで自分の力を試したいと思います」
暴力が嫌いとはいえ、試合は別。こう見えてもわたしはけっこう負けず嫌いだ。ここまで挑戦的な視線を向けられたら否が応でも燃えてくる。やるからには絶対に勝ちたい。
まずは準備運動をしっかりやって体を温めておく。今日は約束稽古の後に乱取り。約束稽古は技の反復練習なので、基本動作の出来や技の習熟度などを図ることができる。
乱取りはだいたいレベルが同程度の人同士で稽古を行うのだけど、今日はわたしがひさびさに帰ってきたから今の力量を測るという意図もある。
約束稽古の出来から見て、初段相手でも問題ないだろうということで高校2年生の兄弟子と組み合うことになった。
向かい合い、一礼をして構える。合図とともに組み合った瞬間、兄弟子の体のバランスが偏っていることに気が付いたので、そこを狙い崩して投げた。あっさりと一本。驚いた。
兄弟子も簡単に負けたことに驚いたようで再戦。結果5戦やったけど全戦瞬殺。
試合を見ていた2段の兄弟子とも同じく5戦試合をしたけど、その人ですら1分と持たずわたしに投げられてしまった。
道場がざわつく。そりゃそうだ。まだ昇段資格の年齢にすら達していない少年が有段者をいともたやすく投げ飛ばしているのだから。
己の運動神経の異常さは理解しているけど、武道の有段者相手にも通用するとは驚きだ。
最終的にちょうど非番で顔を出していたうちの道場の最高段位3段保持者、現役警察官の松田さんが手合わせをしたいと名乗り出たことで、捨て稽古みたいになってしまった。
捨て稽古は勝敗にこだわらず、自分より実力のある相手に胸を借りて技のキレを磨く稽古のこと。
形式は捨て稽古だけど、わたしにはそんな気は毛頭ない。やるからには勝ちに行く。
さすがに3段ともなると実力がまるで違う。普通なら勝てない。だけどわたしは諦めるつもりなんて欠片もなかった。わたしは普通じゃない。
どれくらい時間がたったのか、一進一退の攻防の中わずかなスキをついてわたしが技ありを1回とったが、その後なかなか勝負はつかない。お互いの気迫で肌がチリチリする。
わたしは体力がある方ではないのでこれ以上長引くと不利になってしまうが、松田さんは隙がない上、果敢に技を仕掛けてくるのでいなすだけでも大変だ。
だけどこのまま体力切れで負けるなんてまっぴら。
格上相手とはいえ一切ひるむことなく、それまで以上の闘気を全身に張り巡らせ相手の動きに意識を集中させる。周囲は静まり返り、この勝負の行く末を息をのんで見守っている。
しばらくにらみ合いのような状況が続いていたが、一瞬のチャンスが巡ってきた。
並の人間なら見落としてしまうようなわずかな重心移動。ほんのわずかだけ松田さんの重心が上がった。その瞬間を逃さず今の自分が発揮できる最大の速さで技を仕掛ける。
さすがは現役警察官と言うべきか、簡単に投げさせてはくれなかったがなんとか技ありをもぎとることができた。さきほどの技ありとあわせて合わせ一本。どうにか勝った。
肩で息をしながら一礼。あぁこれ明日絶対筋肉痛になるやつだ。そんなことを考えていると松田さんが握手を求めてきた。
「本当に強いな。驚いたよ。オリンピックに出れば史上最年少メダリストも狙えるんじゃないか」
握手に応えながらわたしは疲れた顔で笑う。
「いや、ほんとギリギリですよ。もう体が限界です。それに大会にも出たことありませんし、メダルにもあんまり興味がないです」
「それだけの実力があるのにもったいないな。こんなに可愛い子が強いともなれば話題性も十分だろうに。人気者になれるぞ」
悪戯っぽい笑顔でそんなことを言ってくるが、興味がないものは仕方がないというもの。
「武道はわたしの本業じゃないので。どうせならわたしのやりたいことで人気者になりたいです」
「やりたいこと?」
「歌とダンスが好きで。聞くだけで幸せになれる、元気をもらえる、そんな歌を世間に届けたいんです」
「そうか。それじゃ仕方がないな。それだけの身体能力があればダンスもキレがありそうだ。デビューしたら是非俺にも教えてくれないか、応援するよ」
笑顔の優しい人だ。きっと地域の人にも慕われているんだろうなと思う。
「ありがとうございます。がんばります」
長時間にわたる攻防で体力は使い果たしてしまったので、今日の稽古はこれでおしまいということにしてもらった。
出入り口で中に向かって一礼、他の道場生からの盛大な拍手に見送られながら道場を後にした。




