第30曲 初めての体育祭
長かった夏休みも終わり、2学期が始まる。
厳しい残暑がしばらく続くが、ジリジリと照り付ける太陽も日陰にいればその攻勢をしのげるくらいの強さにまで落ち着いたころに我が校の体育祭は行われる。
この運動会や体育祭と言う行事も日本ならではのものだということをアメリカに行って初めて知った。何事も外側からでないと分からないものというのはある。
足の速さには結構自信があったので、クラス対抗リレーの選手に選ばれた。
生徒はそういった他薦で決まる競技の他に自分で好きな競技を選んで参加する権利がある。
最初は飴食い競争を選んだのだけど、わたしが顔を突っ込んだ箱が争奪戦になって血を見るという意見が出て却下されてしまった。
楽しそうだから参加したかったのに。
そして妥協して選んだのがパン食い競争。
なんか食べ物関連の競技ばかりで食いしん坊みたいだけど、楽しそうって思ってしまったんだから仕方がない。
「ゆきちゃんがパンに飛びついてる姿を想像したらかわいい~」
文香がそんなことを言ってるけど、かわいいか?どうもイメージに齟齬があるような気もするけどまぁいいか。
どうせ参加するんだから楽しませてもらおう。
もうひとつクラスメート全員から懇願されて引き受けた役割がある。
応援団長だ。
なかなか男らしくていいじゃないかと快く承諾した。
それが罠ともしらずに……。
運動することは大好きだけれど、体育祭の練習と言うのは正直言ってつまらない。
プログラムの順番とか待機する時間とか行進の練習なんて一度やれば十分じゃない?
他の生徒を見ると不満をこぼすこともなく黙々と指示に従っている。こういった日本の非合理性への理解に苦しむのはアメリカに染まってしまっている証拠だろうか?
授業の合間に挟まれる煩わしい予行演習もようやく終わって体育祭本番を迎えた。
中学の体育祭は初めての経験なのでワクワクしている。
それはあか姉やひよりも同じのようで、1年生の席と3年生の席にそれぞれ目をやると早く始まらないかとそわそわしているのが見える。
みんな楽しみにしていたもんね。
ちなみに平日の金曜日のため、かの姉は泣く泣く登校していたがより姉は専門学生の特権で受講調整をしてちゃっかり見に来ている。
ビデオカメラに三脚、脚立まで用意してかなり本格的な装い。
お父さんか。
開会式で校長先生の退屈な話を聞いた後、いよいよ各学年の競技がスタート。最初は1年生の玉入れからだ。
「ひよりがんばれー!」2年生の席から声援を送るとこちらに気が付いたようで、嬉しそうな顔で手を振り返してきた。
そして競技がスタート。
ひよりが球を抱えてぴょこぴょこ跳ねている。あぁかわいいなぁ……。
妹の健気な姿を見てすっかり骨抜きにされてしまう兄バカ。
より姉、ちゃんと撮ってくれてるかな。あとで何度でも見返したい。
ひよりの組は残念ながら1位になることはできなかったけど、ゆきの中ではひよりが文句なしの一等賞。
今日の晩御飯はひよりの好物を作ってあげよう。
次の競技は2年生による綱引き。
自慢じゃないがわたしはとても非力だ。
綱引きなんてただ綱を握っているだけで完全に戦力外。
だけど幸いうちのクラスには各部活のエース級の人材が揃っていてみんなよく鍛えてある。
わたしが足を引っ張っているにも関わらず、じわじわと綱がこちら側に引き寄せられていく。
ただぶら下がっているだけのわたしが何ら関与することなくうちのクラスが見事勝利。
さすがに申し訳ないけど次のパン食い競争は頑張るから許してね?
その前に3年生の100m走がある。
あか姉は無表情、無口、無反応で普段動いているところを見ること自体が稀なんだけど、実は運動神経めちゃくちゃいい。
かの姉はあのおっとりした空気のとおり運動は苦手なほうなので、何かにつけて正反対なこの2人、本当に面白い。
4人横並びでスタート地点に立ち、他の生徒がクラウチングスタートの姿勢を取る中で棒立ちのままなあか姉。
やる気を微塵も感じないいつもの無表情。
何も知らない人はあの一見無気力にも見える姿を見てこれはダメだなとあきらめてしまうだろう。
でもこの中でわたしとひよりだけが知っている。
スタートの合図のピストル音が鳴り響いたとき、弾丸のように先頭へと飛び出していったのは予想通りあか姉だった。
その後も後続とは距離が開く一方で、そのまま圧倒的な差をつけてゴールテープを切った。
あか姉もたいがいスレンダーな体をしてるのにいったいどういう脚力してんだ。
わたしも運動には全般的に自信があるけど、こと走ることに関してだけは全く勝てる気がしない。
1位の旗を持って指定の位置に立ってこちらを見ているあか姉の顔はあいかわらずやる気なさそうだけど、わたしにはわかる。
あれはドヤ顔だ。
これはあか姉の好物も今晩のレシピに加えておかないとね。
そして次はひよりが再登場。でも競争とかじゃなくて学年全員が揃ってのダンス。
担当の先生がミーハーなのか、今巷で流行っている楽曲に合わせて1年生全員が息を揃えて踊っている。
その中でもひよりのダンスはなかなかに見事なものだった。いつもわたしのダンスを見ているからなのかもしれないけど、ひょっとしたらひよりにもダンスの才能が隠されているのかもしれない。
いつか教えてあげたいな。
それにしても一生懸命踊っているひよりはやっぱりかわいい。
出てくる感想はかわいいしかないのか、わたしは。
そう思うんだけどトニカクカワイイんだから仕方がない。
保護者席の方を見ると脚立に乗ったより姉が真剣にカメラを構えていたので末妹がかわいいのはわたしだけではないようだし。
あとでわたしのノートパソコンにもデータをコピーしてもらおっと。
次はいよいよパン食い競争、わたしの出番だ。
わたしの出番は3番目。
準備として両手を後ろに回してリボンでくくってもらう必要がある。
体育委員の男子生徒がやってきて後ろに回したわたしの両手を縛りあげる。
鼻息荒いんだけど、なんか興奮してない?
怖い怖い怖い、勘弁して!
世の中いろんな趣味の人がいるもんだ。
気を取り直してスタート地点につき、わたしの順番が回ってきた。
パン食い競争なんて初めての経験だからとてもワクワクしている。
位置について、よーい。
パーンと言う音が鳴りわたしは全速力で駆け出す。
後ろ手に縛られているので少し走りにくいけど前傾姿勢をとればそれもどうってことはない。
前方を見ると空中にぶら下げられたパンが近づいてきた。
パンは袋に入れたまま洗濯ピンで留められており、不安定にゆらゆらと揺れている。
全速力で走っているのであっという間にパンは近づいてきて、目測で約3メートルほどに迫った時点でわたしが取った行動に見ている観客全員が度肝を抜かれた。
走り幅跳びの要領でパンに向かって思いっきりジャンプ、顔を傾けてパンの横へと近づき不安定に回っている袋の端をタイミングを見て素早く口でキャッチ。
そのまま勢いよく顔を振って洗濯ピンから袋を引きちぎるようにもぎとり、着地して走り続ける。
ジャンプ前の勢いを殺すことなくそのまま走り続けてゴールイン!
やったー1位だ!
呆気にとられた顔の体育委員に縛られていた両手をほどいてもらいながら後方を見てみると、わたし以外の走者たちはまだパンの真下でぴょんぴょんとジャンプしている。
あれ?
ひょっとしてわたしやり方間違えた?そう思った瞬間にグラウンド中から悲鳴か!?と思ってしまうほどの嬌声があがった。
「何今の!?」「あんなの初めて見たよ!」「かっこいい~!」そんな声があちこちから聞こえてくる。
これはひょっとせずともやらかしてしまったようだ。
「さすがにやりすぎ」
ゆきのことだからただのパン食い競争にはならないとは思っていたけどこれは予想外。
あれだけ不安定なパンをあのスピードでキャッチするとか、どんな動体視力と反射神経をしてるんだ。
いつからパン食い競争は猛獣の狩りみたいな競技になった?
「茜~!ゆきちゃんすごすぎない!?めちゃくちゃかっこよかったんだけど!」
かっこいいには同意。
生徒たちはもちろんのこと、観戦している父兄たちも呆気にとられるほどの神技だ。
校内全体のボルテージがMaxになるのもよくわかる。
かくいうわたしも、まるで猫科の猛獣のようなしなやかな跳躍と規格外の反射神経に目を奪われてしまったのだから。
まだ競技は続いているにも関わらず、今この学校内の主役はかんぜんにゆきだ。
ゆきがみんなに注目されることは別に悪いことじゃないんだけど、あんなにかっこいい姿を披露するのはなんだか面白くない。
これでゆきに恋するライバルが増えたらどうするんだ。
実際まわりの生徒を見てみると目がハートマークになってる奴が多数。エマージェンシーだ。
ゆきのかっこいいところはわたし達だけが知っていればよかったのに……。
まぁたとえどんな奴が言い寄ったとしても決してゆきを渡すつもりなんてないけどな。
初めて会った時から好きだったわたしの気持ちが昨日今日ゆきのことを知ったばかりのミーハーな連中に負けるはずなどない。
ゆきが欲しければまずはわたしを倒してからということだ。
競技が終わってグラウンドに設置した自分の席に戻ると、澤北君が笑いながら背中をバンバンと叩いてきた。
痛いってば。
「ほんと広沢ってどんな運動神経してんだよ!ビックリするを通り越してもはや笑うしかねーよ!」
他の男子も余程ツボにはまったのかお腹を抱えて笑っている。やっぱりわたしは間違っていたみたい……。
笑っている男子とは対照的に女子たちは完全にヒートアップしてしまっている。
「どうやったらあんな人間離れしたことができるの!?マジでかっこよすぎ!」
興奮した穂香に人外認定されてしまった。
だって初めてだし他にやり方思いつかなかったんだもん……。
「これでまたゆきちゃんのファンが増えちゃっただろうね~」
文香までそんなこと言ってるし。
だから。
狙ってやったわけじゃないんだってば。
いや、パンはしっかり狙って取ったけども。
なんとか次の競技が始まるころには興奮も落ち着いて、2年生のクラス対抗リレーではどうにか1位を取ることができた。
足はずば抜けて速いというわけでもないので今回は目立たずに済んだ。
そして競技は一時中断され、各組に分かれての応援合戦が始まる。
応援団長に任命されていたわたしは準備をしないといけないということで杏奈に体育倉庫へと連れていかれ「これに着替えてね」と紙袋を手渡された。
応援団だから学ランだろうと思い、着替えるために体育倉庫の扉を閉めてもらい紙袋の中身を見たわたしは絶句。
「マジか……。衆人環視の中本気でこれを着ろと?」
目の前の現実を受け入れることができずしばらく固まっていたけど、放送を聞いてみるとまもなくうちのクラスの番だ。迷っている暇なんてない。
「ええい!ままよ!」
開き直って一気に着替えてしまう。
「どうなっても知らないからな!」
「あはははは!」
もう笑うしかない。ほんとうちの弟はとんでもねーな。
さすがにあのパン食い競争は付き合いの長いあたしら姉妹でも度肝を抜かれた。
しっかりとカメラに収めてあるから帰ったら楓乃子にも見せてやろう。
きっとあたしらと同じような反応になるに違いない。
茜とひよりも呆気にとられてたもんな。
まぁ主要な種目は終わったし、後は平穏に終わるだろ。
そう思っていた時期があたしにもありました。
事件は応援合戦で起きた。
各組が順番に応援のシュプレヒコールをしていき、次はゆきたちのクラスの番だとカメラを構えた瞬間にあたしは完全に凍り付いてしまった。
「チ、チアガール……だと……?」
赤いポンポンを手にチアガールらしい原色のシャツにミニスカート。当然スパッツは履いているけど、ゆきの真っ白な美脚はほとんど露わになっていて強烈な色気。
ゆきのクラスのやつらは一体何を考えてるんだ。
グッジョブ!
ゆきの容姿でチアガール姿と言うのはまさに反則級で、男女問わず拍手と歓声が鳴りやまない。
ダンスで鍛えられた体はしなやかで柔らかく、ゆきの足が高く上がるごとに大きな歓声があがる。
チアガールも基本はダンスと似たところがあるのか、ゆきのチアリーディングは見事なもんだ。
応援合戦にも得点が付くとしたら間違いなくゆきのクラスがダントツで1位だろう。
「ほんと、ゆきのいるところ常に何か起きやがるな。ま、あれだけの容姿だし仕方ないんだろうけど」
これもあいつの持って生まれた宿命みたいなもんなんだろう。がんばれ!
「マジで恥ずかしかった……」
まさか最後の出番でここまでライフを削られるとは思ってもいなかった。
応援合戦が終わって速攻で体操服に着替えなおしたわたしは自席でそうつぶやいていた。
「えーでもめちゃくちゃキレイだったよ?」
文香は目いっぱい褒めてくれているつもりなんだろうけど、そういう問題じゃないんだよなぁ……。
なんでみんなここまでわたしが男だということをガン無視してやりたい放題やってくれるのか……。
それに応えちゃうわたしも大抵なもんなんだけど。チアのコス、ちょっとかわいいかもなんて思っちゃったし……。
いよいよジェンダークライシスだよ。
最後はまさかの役割だったけど自分の出番も全て終わって、削られたライフを回復させるために大人しくしているといよいよ体育祭もラストの競技になった。
最後は3年生による騎馬戦!
あか姉は大将でこそないものの、騎馬の方ではなく騎手。これは応援しないわけにはいかないよね。
「あか姉~!しっかり~!」
あか姉に聞こえるよう大声を張り上げる。声量には自信があるからね。
ちゃんと聞こえたようでこちらを見てサムズアップ。なんかかっこいいな。来年はわたしも騎手がいいな。
総当たり戦を2回やって、あか姉は一度も鉢巻を取られることなく合計で4人を撃破。
さすが!勝ち抜き戦ではひとり撃破したものの次の相手が男子であえなく撃沈。おのれ、あか姉が敗れるとは……。
こうしてわたしたちの初めての体育祭は盛況のうちに幕を閉じた。うちのクラスは優勝こそ逃したものの、いろんな意味でチームワークを発揮したので以前よりクラスメートとの絆は深まったような気がする。
ま、結果良ければってやつかな。
ちなみにより姉のカメラワークは完璧で、わたし達の活躍を余すところなくカメラに収めていたため帰宅後にそれを見たかの姉は大興奮。
わたしのパン食い競争とチアガールでまた壊れてしまった。




