第136曲 口説き文句はしらふで
「世界ぐるぐる~」
「真っすぐ歩けー!」
レストランを出て、より姉の酔いを醒ますためにも少し散歩することにした。
せっかくの海辺デートなのに。ムードもなにもありゃしない。
「もう、弱いくせに飲みすぎだよ」
「いつもはこんなんじゃね~ぞ~」
いつもは飲まないでしょうが。
「ゆきとの食事が楽しくてちょっと酔いが回っただけだって~」
楽しんでくれたのならいいんだけどね。
放っておくとふらふらどこかに行っちゃうので、腕をしっかりと捕まえて支えるしかない。
「普段はお酒なんて飲まないのに。どうして今日は飲んじゃったの?」
「飲まなきゃやってられね~っての~」
何を?
まだ就職したばっかりなのに、もう社畜みたいなこと言ってますけど。
「もう。せっかく今日はより姉のために一日乙女になるって決めたのに」
「今日だけ~? ずっと乙女でいいのに~」
ヤダよ。
「バカなこと言ってないで、ちょっとそこのベンチで休もうか」
手綱を操るようにベンチへと誘導する。振り落とされないようにってのはこのことだったのか? この暴れ馬。
「お水買ってくるからどこにも行かないでよ」
「どこにも行かねーよ。ずっとそばに居るって決めたからな」
急に真顔になるな。
「早く帰ってきてくれよ~」
また軟体生物になってベンチに崩れ落ちるより姉。締まらないなぁ。
自販機でお水とレモンティーを買って戻ると、ちゃんと座っていた。
「はいお水。少しは酔いが醒めた?」
「まだぐるぐる~」
だめだこりゃ。
「ん~? レモンティーなんて珍しいな~。コーヒーじゃね~のか」
「この格好だからね。一日乙女だって言ったでしょ」
ドレスでコーヒーってのもなんか違うかなと。紅茶の方が乙女っぽいでしょ。偏見だけど。
「あたしのためにだよな~。ありがと。愛してるぞ~」
「口説き文句はしらふでどうぞ」
「……」
急に黙らないで。吐くのかと思うでしょ。
「ゆき……」
「なぁに?」
「あたしはな。こえーんだよ」
怖い? 何のことだろう。映画は平気な顔して観てたよね。目を瞑ってたから表情まで見えてなかったけど。
「ゆきはまだ何かを隠してるんだよな。考えないようにはしてるんだけどよ。ふと、お前がいなくなっちまうんじゃねーかって思っちまうことがあって……」
そのことか……。
不安にさせちゃってごめん。
目にいっぱい涙を溜めちゃって。そんな表情をされたら胸が痛いよ。
「何か言ってくれよ~。どこにも行ったりしね~よな?」
「うん、どこにも行かないよ。わたしはいつでもここにいるでしょ」
そう言ってより姉の胸に指をあてる。
「どこ触ってんだ。スケベ」
おい。
「でもゆきならいい。もっと触れ~」
痴女!
胸を突き出してくるな。
「今日はサラシ巻いてるから柔らかくね~な~。外すか」
「やめなさいって。公共の場で何をしようとしてんの。ボタンを外すな!」
「ゆきがどこにも行かね~ように篭絡しておかね~と」
篭絡て。ハニートラップか。
「どこにも行かないってば」
わたしの嘘つき。
「……本当か? 絶対だぞ? 信じるからな?」
そんなすがりつくような目で見ないで。これ以上何も言えなくなっちゃうよ。
「ゆき?」
返事に窮して黙っていると、顔を覗き込んできた。
心配そうな顔しないの。わたしは目の前にいるでしょ。
「もう。飲みすぎだよ。……より姉は今、酔って夢を見てるんだよ」
そう、これは夢。酔って幻を見てるだけだからね。
「え? ゆき……?」
より姉の顔を両手で挟み……口を塞いだ……。
「ん」
驚いた表情のより姉が目を見開く。だけどそれはすぐに閉じられた。わたしを感じようとしているのかな。
わたしもゆっくり目を閉じる。
ほんの数秒の間だったけど、すごく長い時間に感じたのはわたしだけじゃないだろう。
名残を惜しむかのように、そっと顔を離す。熱い吐息。お酒の匂いがする。呆然とした顔のより姉。
「ん。ルージュついちゃったね」
親指でより姉についた口紅を拭う。
「ゆき……? 今の……」
信じられないといった表情。
「何のこと? だから酔って夢を見てるんだってば。少し眠るといいよ」
微笑みながらより姉を引き寄せた。そのまま横にならせて膝枕。夢の続き、見ておいで。
より姉はわたしのお腹を見つめ、まだ呆けている。なんて顔してるのさ。
「ゆき」
ようやく我に返ったようで、視線だけをこちらに向けてきた。
「悪い顔してやがる。……こういうのを妖艶って言うんだろうな」
「何のことかな。わたしは酔っ払いを寝かしつけてるだけだよ」
わたしは微笑み続ける。たくさんの愛しさを込めて。愛しさで涙がこぼれそうになることって、あるんだね。
「……悪女」
失礼な。
でも……その通りかもしれないね。わたしは悪いやつだ。
* * *
心臓がうるさい。顔が熱い。
夜の公園、あたりは真っ暗でよかった。明るいところで見ればきっと真っ赤になってるだろうな。
世界はまだぐるぐる回ってる。なんだか現実感がない。
あたしは本当に夢を見てるんだろーか。でもとても幸せな夢。
まだゆきの感触が残る場所を、ゆっくりと指でなぞってみた。分からない。
人間信じられないような出来事があると、こんなにも混乱するもんなんだな。酔ってるから思考がまとまらねーよ。
嬉しくって舞い上がってた。ゆきとデート。ずっと憧れていたから。
余裕ぶっちゃいたけど、頭の中はずっとお祭り状態だったんだ。大好きな顔がすぐそばにある。あたしだけを見て微笑んでくれる。嬉しい。
綺麗で、儚くて。今日一日で何度見とれてしまったか分からない。
今も優しい笑顔であたしの頭を撫でてくれている。ゆっくりと。
その手の感触すらも愛おしい。もう一度ゆきの顔を見る。
「どうしたの?」
やめろ、そんな顔であたしを見るんじゃねー。そんな愛情深い瞳で見つめられたら……泣けてくるだろ。
誤魔化すようにもう一度唇を指で拭ってみた。拭った指を見つめる。……赤い? なんだろ、これ。
ゆきの手が伸びてきて、その赤いのをふき取られてしまった。何すんだよ~。
「悪女」
もう一度つぶやいて、目を閉じた。本当に悪いやつだ。こんな現実か夢かも分からないような状態の時にあんなことしやがって。
お酒に逃げたあたしも悪いんだけどな。だけどお酒でも飲まないと、テンパっておかしなことしそうだったんだよ。
本当はずっとはしゃいでたんだからな。大人ぶってはいたけどよ。
そんな背伸びも、全部その綺麗な瞳に見抜かれているような気がしてたんだ。だけどそれすらも嬉しくて、恥ずかしくて。
本当は全部分かってたんだろ? あたしの気持ちなんて、頭のいいお前のことだから全て見透かしてたんだろうな。
とてもじゃねーがゆきには勝てる気しねーもん。本当に恐ろしいやつだよ。
でも大好きだ。
「愛してるぞ」
口に出てた。まだ酔ってるのかなぁ。
頬に水滴が落ちてきたような気がする。……雨? 天気予報では一日晴れだったはずなんだけどなぁ。
眠くなってきた。だんだん意識が遠ざかっていく。
「嘘つきでごめんね。わたしも愛してる……」
また夢を見てるのかな。だって、ゆきが嘘なんてつくはずがない……もん……な……。
* * *
「うー頭いてー」
「慣れないお酒なんて飲むからでしょ」
幸せそうな顔で寝息を立てていたより姉だけど、小一時間ほどで目を覚ました。少しは酔いが醒めたみたいだけど、もう二日酔い状態になってる。
「……」
頭を抱えながら、わたしの唇を見つめている。
「どうしたの?」
「うーん。レストランを出る時に化粧直ししてたよな?」
「うん」
「その後に……ルージュを塗り直したりしたか?」
「してないよ?」
また……。
「やっぱ夢かぁ!」
ごめんなさい。
「何の夢を見てたのかな~?」
悪戯な笑顔をより姉に向ける。こんなことばっかり上手くなってしまったなぁ。
「ん~。とても幸せな夢を見てたと思う」
そう言って唇をなぞるより姉。
「……幸せな夢なんだったら、誰にも言わずに心にしまっておく方がいいんじゃない?」
「ん? そうか? ……うん、そうかもな。ふふ」
幸せそうな顔で笑っちゃって。
「より姉!」
「あうっ。頭に響くから大きな声を出さないでくれよー。で、なんだ?」
「今日はとっても楽しかったよ! ありがとうね」
本当に楽しかった。映画は怖かったけど。
「お、とうとう落ちたか?」
「落ちてないよーだ」
舌を出した。いつまでたっても諦めてくれないより姉に精いっぱいの抵抗。
「なんだよそれー」
手を後ろに回し、より姉のことを下から覗き込む。女の子っぽいポーズ、あげるね。
「でも大好きだよ」
あはは。赤くなっちゃった。だけど嘘じゃないよ、これは。
「やれやれ。いい思い出になったか?」
「うん!」
満面の笑顔で返事をした。
絶対に忘れないよ。何度生まれ変わっても、ね。
――第二章 『開花・覚醒』 完――




