第115曲 正妻の余裕?
問題を先送りしただけとはいえ、わたし達の間には日常が戻ってきた。
いつもと変わらない、温かい食卓と愛情にあふれた家族の絆。
わたしに問い質したいであろう気持ちを封印して、いつもと変わらぬ態度をとることでわたしを安心させてくれている。
その想いを裏切るわけにはいかない。
だからわたしも、いろんな想いを脇に追いやり、今までと変わらぬわたしであり続けよう。
幸いわたしは障害のおかげで、そういった記憶や感情をコントロールすることには慣れている。
もう少しだけ時間をくださいね……。
だけど日常はそんなに長く続かなかった。
台風襲来。
やって来たよ、あの人が。
「ゆきちゃ~ん! やっとお仕事にひと段落ついたから会いに来たよ~!」
琴音ちゃん……。
このタイミングで来ちゃったか~。
インターホンのカメラ越しにその姿を確認したわたしは思わず頭を抱えてしまう。どうしよう、このままお帰り願おうか……。
さすがにそういうわけにもいかず、玄関へ向かう。
ドアを開けた瞬間、ホラーゲームで襲い掛かってくるゾンビを彷彿とさせる勢いで飛びかかってくる琴音ちゃん。
「会いたかったよ~!」
ぶちかましよろしく、そのままの勢いで突っ込んできた。
「ぐほぉ!」
腹部に強烈なタックルを食らったわたしはそのままもんどりうって転倒。とっさに受け身はとったものの、お腹が痛い! 大型犬か!
そこへタイミングよく2階から下りてくる姉妹たち。さっきみんなを起こして回ったばっかりだもんね。それにしても今日に限ってみんな揃ってとは。
てゆーか朝早いな琴音ちゃん! 始発で来たの?
そしてばっちり目撃されたのはわたしが琴音ちゃんに押し倒されているの図。
「あにょ~……。これは……」
ひきつった笑顔でどうにか弁解しようとしたけど、頭が真っ白になって何も思いつかない。どうしよう。
「なんだ、琴音か。ゆきー、そんなとこで転がってないで朝ごはん!」
より姉のその言葉だけを残して、何事もなかったかのようにリビングに入っていく姉妹たち。およ?
いつもなら首根っこを掴まれている琴音ちゃんも拍子抜けしたのか、ぽかんとしている。
「なになに? お姉さん方、どういった心境の変化?」
「さぁ……?」
顔を見合わせて首をひねるわたしたち。
「ゆきちゃーん、いつまでも遊んでないで朝ごはんにしますよー」
かの姉の声で急かされたので、慌てて立ち上がるとリビングへ急いだ。後から琴音ちゃんもついてくる。
「ゆきちゃん、お腹空いたよー! 琴音ちゃんも一緒に食べるの?」
ひよりもなんだかご機嫌で、琴音ちゃんにも普通に接している。
隣でコクコクと首を振る琴音ちゃん。あ、食べるのね。みんな食べ盛りだし、いつも多めに作ってあるから別にいいんだけど。
いそいそと朝食の準備をしていると、みんな上機嫌で手伝ってくれる。
なんか逆に怖いんですけど……。
朝食の準備はすぐに終わり、みんなそろって「いただきます」
「んー、朝からゆきちゃんのご飯を食べれる幸せ! これは毎日欠かせないよね!」
「五つ星」
「いやーゆきの料理は唯一無二だろ」
「ゆきちゃんの料理に勝るごちそうはないですね」
これまた上機嫌で料理を堪能する4人。ひとり琴音ちゃんだけが不思議なものを見るような目で黙々と箸を動かしている。
「どーした、琴音? ゆきの料理が口に合わねーか?」
琴音ちゃんの様子を見たより姉が笑顔で話しかけた。
驚いて箸を落としかける琴音ちゃん。そこまで?
「いや、ゆきちゃんの料理が美味しくないわけなんてないんですけどね……。その……。なんでお姉さん方はそんなに上機嫌なのかなぁと……」
それはわたしも思っていたこと。なんかいつも以上に機嫌がいいから逆に不気味だ。
「んー? なんか機嫌を損ねるようなことしたのか?」
相変わらず笑顔を崩さないより姉。怯える琴音ちゃん。
「それですよそれ! 依子お姉さんがわたしにそんなに優しくしてくれるなんて……。
今まではさっきみたいなことがあったら、捨て猫みたいに首根っこを掴まれている状況だったのに!」
さっきってのは玄関での出来事の事だろうな。確かに今までだったらそのまま外に放り出す勢いで目くじら立ててたもんなぁ……。
いったいどういう心境の変化でそうなったのか、わたしも気になる。
「なんだそんなことか! あはは、今となってはそんな小さなことを気にするまでもねーってわかっただけだよ! なんてったって、わたしらだけがゆきと固い約束を交わし合ったんだからな!」
勢いよくこちらを見る琴音ちゃん。すかさず目を逸らすわたし。
ちょっと待て。なんだ固い約束って。
そんな上機嫌になってたらまるで将来を誓い合ったみたいな言い方じゃないの。
……ひょっとしてあれか!
わたしが卒業までには隠していることを全て話すと約束したことを言っているのか! いや、確かに固い約束だけど、いくらなんでもポジティブに受け取りすぎじゃない?
「なんですかそれ! 何を約束したっていうんですか!」
より姉に向き直り、問い質そうとする琴音ちゃん。
「いやぁ、それはあたしらだけの約束だからな。部外者に教えるわけにはいかねーな」
わざわざ部外者のところを強調しなくても……。なるほど、そういう理由で優越感に浸っていたわけか。
「ゆきちゃ~ん! わたしだけ仲間外れはイヤですよ~!」
わたしの腕を掴んでユサユサしてくる琴音ちゃん。
む~。
そんなに揺らされたらご飯が食べれない……。
「時期が来たら琴音ちゃんも知ることになると思うから、大丈夫だよ」
やれやれと言った感じで返答すると、ようやく離してくれたけど不満そうな顔のまま。
「なんかお姉さん方とは温度差を感じる……」
う~ん、そんなことを言われてもなぁ。確かにあのシチュエーションで交わしたことだから、固い約束と言えないこともない。
「いずれゆきちゃんのお嫁さんになる身としては、そんな隠し事をされてると寂しいよ」
今度は目に涙を溜めて訴えかけてくる。ほんとくるくる表情の変わる人だな。あんたまがりなりにも歌姫でしょうが。テレビでのイメージはどこやった。
でもいい機会だ。琴音ちゃんにも伝えておかないといけないことがある。
「そうやって慕ってくれるのは嬉しいんだけどね、わたしはこれから先ずっと、結婚はおろか恋人を作る気もないんだ」
申し訳ないなとは思うけど、こればかりはどうしようもない。
誰も幸せにできないわたしが恋人なんて作ってはいけないんだ。
じっとわたしを見つめる琴音ちゃん。今度はわたしも目を逸らさずに、その視線を正面から受け止める。この意志はゆるぎないものだから。
「わかった……」
しょんぼりしてしまった。胸がチクチクと痛むけど、ここで優しくしたところで逆効果だと思うから、わたしは何も言わない。
「……あと1年ちょっとだよね。それまではわたしも待ってる。勝負はそれからってことだね!」
復活しやがった。
打たれ強いというか、こっちもたいがいポジティブだよなぁ。
まぁ今からそんなに深刻に受け止められても困るだけだから、これくらいの反応がちょうどいいのかもしれない。
「へこたれねーなー。あたしらとは約束の重さが違うってーのにな!」
こっちはこっちで上機嫌だし。
でもね。わたしは知ってるんだよ。
より姉たちがあえてそういう態度を取ってるんだってこと。
わたしの脳の事を知っているみんななら、ちょっと考えればわかることだもんね。そんな簡単な話じゃないって。
わたしの負担にならないよう、気に病まないようにそういう態度をとってくれてるんだよね。
「お姉さん方に負けるつもりはありませんから!」
「わははは! しょせん負け犬の遠吠えってやつだな! まーせいぜいガンバレ!」
……そう……だよね?




