第113曲 だからあくまで救命措置だってば!
ひよりは処置が適切だったおかげで脳波に異常もなく、細菌感染防止のための抗生剤を投与するだけで済んだので、わずか数時間で解放されて民宿に戻ってくることができた。
かの姉とあか姉がすぐに着替えを持って合流してくれたので、帰りはみんな揃って仲良くご帰還。
と言いたいところなんだけど、わたしとひよりの間には微妙な空気が漂ったまま。
意識しないようにと頑張ってはみるんだけど、ひよりを見るとどうしても唇に目が行ってしまい思い出してしまう。
ひよりもその視線に気が付いて、2人して赤くなることの繰り返し。
唇の柔らかさや、すっかり成長して女の子らしくなったひよりの体が脳裏から離れてくれない。
あぁもう! 煩悩退散!
民宿に着いてもお互いに話しかけることもなくもじもじ。お見合いか!
「それじゃ、あとは若い2人に任せてあたしらは卓球でもしに行くかー」
そのセリフやめてー。ホントにお見合いみたいじゃんか。
なんだ、この後に「ご趣味は?」とか聞けばいいのか?
今2人きりにされるのは気まずすぎるんですけどぉ!
そんなわたしの心の声は届かず、3人で外に出ていってしまった。3人でどうやって卓球やるんだよぉ……。せめて1人残していけっての。
そして2人きりの空間には静寂が漂う。いつもならひよりと2人きりで黙っていても、雰囲気が柔らかくて居心地がいいんだけど、今はそういうわけにいかない。
ただひたすらいたたまれない静けさだけがわたし達を取り囲み、心なしか酸素が薄くなってしまったような錯覚に陥る。
でもさすがにこのまま気まずい空気を放置しておくのは、男としても兄としても情けない。
現状をなんとか打破してあげないとひよりもいたたまれないよね。
「あの……ひより?」
恐る恐る声をかけてみた。ズバッと笑い飛ばせればいいんだけど、そうもできない自分が情けない。
ちらりとこちらを見るひより。
「~~~~~っ!」
声にならない声を発して俯いてしまった。ここから見える耳が真っ赤に染まっている。こりゃ重症だなぁ。
「その。いくら緊急事態だったとはいえ……ごめんね?」
その言葉にひよりの肩がピクリと反応した。そしてそのまま横目でこちらを伺ってくる。
あれ? なんか睨まれてる?
「ゆきちゃん……」
ゆらりとこちらに向き直るひより。その表情に浮かぶのは……怒り?
「は、はひっ」
ひよりのことを怖いと思ったのはこれが初めてかもしれない。
「ゆきちゃん、謝るっていうことは後悔してるの?」
こ、後悔?
「えっと……何を?」
申し訳ないと思うことはあっても、後悔なんてすることがあろうはずもない。
「そんなの! じ、人工呼吸に決まってるでしょ……」
顔を赤くして詰め寄ってくるひより。そして人工呼吸の時のあれやこれやを思い出してしまい、わたしも赤くなる。
だけどあれはあくまでも、ひよりを助けるために必要だった救命措置。
「後悔なんてするわけないでしょ! ひよりに何事もなくすんで本当にうれしいんだから!」
安心したように表情を和らげるひより。でもその顔にはまだどこか不満そうな色が浮かんだまま。
ひよりの気持ちがわからない……。緊急事態とはいえ唇を奪われたことに怒っているわけじゃないのかな。
「な、何回?」
「へ?」
「何回人工呼吸したの?」
えっと2セットやって3セット目に息を吹き返したから……。
「合計して5回」
「ごか……! ~~~~~っ!」
両手で顔を覆ってしまった。やっぱり嫌だったのかな?
「あの……ひより? あれはあくまで救命措置だから……」
言い終わる前に突然勢いよく顔を上げた。ビックリしたぁ。
「それだよそれ! せっかくのチャンスがなんで救命なのさ! なんでわたしに記憶がないのよ!」
はい? チャンス……?
いったい何のことを言っているのか分からず途方に暮れていると、いきなり胸倉をつかまれた。なに!? 頭突き!?
「こぉのニブチン! この恋愛偏差値小学生のゆきちゃんが! せっかくわたしにキ、キスしてくれたっていうのに! 覚えてないのが悔しいんだよぉ~!」
怒ってるのそっち!? 嫌だったんじゃなくて覚えてないことに腹を立ててたのか……。
さすがにそれは予想もしてなかった。どうすればいいんだ。
「……もう1回」
「はえ?」
「もう1回人工呼吸して! さぁ! ゆきちゃんカモンプリーズ!」
なに言ってんの!? ひよりピンピンしてるし! そんな状態でするのはもはや人工呼吸じゃなくてただの……!
「ひより落ち着いて? だからあれはあくまでも救命措置だから……」
「わたしは悔しくて今にも心臓が止まりそうだよ! だからこれも立派な救命措置! んっ!」
そう言って顔をつき出してくるひより。なんか餌を待ってるヒヨコみたいでかわいいな。ひよひよ~。
って現実逃避してる場合じゃない。
「悔しいって。わたしひよりのお兄ちゃんだよ? お兄ちゃんに唇を奪われてイヤだったんじゃ……」
「イヤなわけあるかぁ~!」
またしても最後まで言わせず、わたしの声はひよりの大きな声にかき消されてしまう。
そして勢いをつけて飛びついてきたものだから、支えきれずにひよりもろとも後ろに倒れてしまった。
「あいったぁ~……」
後頭部をしこたまぶつけて頭を抑えるわたし。ひよりをかばうのに気を取られて受け身取り損ねた。
ひよりは大丈夫かと思い目を開けると、鼻と鼻がくっつきそうなくらいの至近距離にひよりの顔があった。
ひよりもまつ毛長いなぁ~。
だから現実逃避すんな! この距離はマズいってば!
「ちょっとひより近いって!」
起き上がろうとする前に腕を押さえられてしまった。ひより!?
「ゆきちゃんがしてくれないならわたしがする」
んなぁ!? ひよりをどかそうにも、全体重をかけてきてるのかびくともしない。ひよりは女の子にしても軽い方だけど、この体勢では力も出ないし、なによりわたしにはそこまでの筋力がない。
あったとしてもひよりを突き飛ばすことなんてできないんだけど……。
どうしよう、このままだと……。
「ひよりはわたしとキスしたいの?」
あえてそのものズバリな言葉を使うことで、少しはたじろいでくれるかなと。
「うん!」
無理でした。
むしろ生き生きと返事されちゃったよ。
「いやいや、そういうのは好きな人とするものであって、ね?」
「わたしゆきちゃん大好きだもん! ゆきちゃんはわたしのこと嫌い?」
またしても即答。
そしてその聞き方はズルい。わたしがひよりのことをどれだけ可愛がってきたか知ってるくせに。
「嫌いなわけ……ないでしょ」
「じゃあ好き?」
間髪入れず質問を重ねてくるひより。
好きに決まってる。でもそれは家族として? それとも……。
「ゆきちゃんはわたしのこと、やっぱり妹としてしか見れない?」
とうとう来ちゃった決定的な質問。わたしはどうすればいい? 自分の中の答えを必死に探す。今まで考えたこともなかった。いや、あえて考えないようにしていただけかもしれない。
今、わたしの返答次第でわたし達家族の関係は変わってしまう。怖い。
どうして怖い?
それは家族の関係が壊れてしまいそうだから?
どうして壊れると思ってしまうの?
自問自答していると、ひよりが質問を重ねる。
「ねぇ、ゆきちゃん。わたしは妹以上にはなれないのかな……」
真剣な瞳。
そこには覚悟を決めた光が見える。あんなに小さかったひよりがこんな目をするほど大きくなったんだね……。
この真摯なまなざしに嘘はつけない。
わたしは覚悟を決めて、返事をしようと首に力を込めた。
「おーいそろそろお見合いは終わったかー」
緊迫した空気をぶち破る呑気な声に、驚いたひよりは猫もびっくりな跳躍力で飛びのいた。にゃー。
だけどわたしは横たわったまま。身に着けていたのは民宿の浴衣。
当然その乱れた姿を目撃されるわけで。
「なにやってたんだおまえら」
ひきつった笑顔で尋ねるより姉。予想外の展開が続いて思考停止のわたし。
「ゆきちゃんの心臓が止まってたから救命措置してたの!」
いやわたし生きてるから! もうちょっとマシな言い訳なかったのか!?
「そっか……」
えぇ!? 納得しちゃうの!?
「見た感じでは息の根を止められようとしてた風にしか見えないんだが……まぁいい」
いいんだ!
「そんなことよりゆき、早く身だしなみを整えろ。その……目のやり場に困る」
そう言って視線を泳がせるより姉。
ふと自分の姿を確認してみた。視界に映るのは露わになった両足。そしてはだけた胸元。
うひゃあ!
慌てて飛び起きて乱れを直す。めっちゃ恥ずかしい!
「あらぁ。せっかくいい目の保養でしたのに」
「全く」
なにオヤジ臭いこと言ってんのかの姉。あか姉まで同意して。そういや2人ともガン見してたもんね……。
ひよりはわたしから離れた場所でへたり込み、そっぽを向いてふくれっ面。うーん、こういった場合どう声をかけたらいいんだろう。
頭を抱えているとより姉がひよりに近づき、頭に手を乗せた。
「気持ちはわかるがそう焦るな。まだまだ時間はあるんだからな」
そっぽを向いたままなすがままに頭を撫でられているが、その目には涙が溜まっている。ひより……。
「で、救命措置は成功したのか?」
せっかくいいこと言ってるっぽかったのに。なんてこと聞くんだ。
「勝手に生き返った」
不服そうに答えるひより。ねぇ、その返答おかしくない? わたし死んでないから。
「そっか」
また納得しちゃったよ。1回も2回も変わんないからもういいけどね。いや、よくないか。
その後、それ以上誰もこの話題に触れることはなく、夕食が終わるころにはひよりもいつもの調子に戻っていた。わたしは胸をなでおろす。
そしてみんなが大浴場へ行く時間になり、部屋を出るときひよりが寄ってきた。
「急かすつもりはないけど、いつか必ず返事は聞かせてね」
そう言って走り去る。
いつか……か。
あの時、わたしは首を縦か横、どちらに動かそうとしたんだろう。




