第112曲 これはあくまで
翌日、わたし達は早くに起きて民宿の朝ごはんを堪能していた。
素朴ながらも日本の朝食はかくあるべし! という感じの朝ごはん。
寝起きの体にじんわりと広がるおいしさ。日本人に生まれてよかった。
ゆっくりと朝食を楽しんだ後、部屋でゆっくりしてから着替えを済ませ、そのまま海へ直行。
民宿は海に面しているから、水着のまま行き来できるのが助かる。いつも着替えの場所で頭を悩ませているわたしにとっては大事なこと。
男性用でも女性用でも、どちらの更衣室も使えない体がときにはめんどくさいこともあるけど、みんながかわいいって喜んでくれるから、維持できるよう努力している。
「ゆきちゃんかわいい! その水着良く似合ってるよ~!」
ほらね。
今日の水着は黒のスパッツタイプの下地にグレーのパレオを巻いて、トップスは黒のホルターネック。
昨日の快活なイメージのホットパンツとはうってかわって、少し大人びたデザインはより姉が選んでくれた。
もう高校生なんだから少しは色気を意識しろという理由で選んでくれたんだけど。
男子高校生が色気を意識?
まぁかわいいし露出もより姉が選んでくれたにしては控えめなので、つい購入してしまったけど。
いろいろと疑問点はあるけど、かわいいから許す。
「さすがゆき、何着せても似合うなー。それにその恰好ならいつもみてーにしりとりするわけにもいかねーだろ」
別にやりたくてやってるわけじゃない。しつこく絡んでくる相手が悪いんだもん。
こんな家族連れの多いビーチでナンパなんかするなっての。
「ゆきちゃん、大人っぽくてキレイです」
「人魚姫みたい」
みんなしてわたしの事を褒めてくれるけど、みんなだって十分にキレイだよ。
「かの姉もあか姉もよく似合ってるよ」
本心からそう思う。かの姉は黒を基調にフラワープリントがされたビキニに肩から掛ける大判パレオ。相変わらず優雅だ。
あか姉は競泳水着タイブにサンバイザーを被っていて、なんだかかっこいい。
「あたしらは似合ってねーのかよー」
より姉が肩を組んで絡んできた。酔ってんの?
もちろん似合ってるんだけど、より姉はちょっと露出が多くない? 赤のワンピースなのに体半分ががっつり紐。正直目のやり場に困る。
「もちろん、より姉もひよりもよく似合ってるよ!」
だからあんまりくっつかないで!
より姉から離れてひよりを見ると安心する。
水色一色でフリルのたくさんついたワンピースが、快活なひよりによく似合っていてめっちゃ可愛い!
これだけよく似合う水着を着た美女4人が揃っているとその空間だけが煌びやかで、健全な青少年には刺激が強い。
つい目で追ってしまうけど、あまり見ていると赤面しそう。
視線を無理やり引きはがして波打ち際に向かう。
今日は天気にも恵まれ、太陽が燦燦と照り付ける中、遠い空に湧き上がっている入道雲がモノクロの世界にも夏を伝えてくれている。
「ゆきちゃーん! 一緒に泳ごうよー!」
ひよりが海に向かって走りながら、振り返ってわたしを誘う。
ひよりが誘ってくるときはいつも全力泳ぎだからなぁ。さすがに今日の水着で全力はきついってば。
でもその無邪気さが可愛い。
「だらしない顔になってますよ。相変わらずひよりちゃんには甘いんですから」
どうせ兄バカですよーだ。ちっちゃい頃から一番懐いてくれてるんだもん。可愛がるなって方が無理な注文だよ。
時折呼びかけてくるひよりに手を振りながら、わたし達は波打ち際で水遊びをしたり砂浜でビーチバレーをしたり、より姉を砂に埋めたりして遊んでいた。
ふと気が付いた。さっきまで頻繁に声をかけていたひよりの気配を感じない。
背中がぞわりと来るような嫌な予感を感じたわたしは、咄嗟に海へと駆け出していた。
走りながら素早く視線を走らせると、少し沖合に水しぶき。あれだ!
あれは泳いでいる人の水しぶきじゃない。
溺れている! くそっ! 嫌な予感ほど当たりやがる!
血の気が引く思いだったけど、さらに足に力を込めて速度を早め、そのまま地面を蹴って勢いよく海に飛び込んだ。
ひよりがいる位置を確認して、一秒でも早くたどり着けるよう全力で水をかき分けていく。もう少しだけ頑張って、ひより!
あと少し!
もう一度ひよりの位置を確認しようと海面から顔を上げた時、そこにもうひよりの姿はなかった。まずい。
大きく息を吸い込んでから思い切って海中に潜り込み、ゆっくりと沈んでいくひよりの姿を視認した。
ひよりは気を失っているのか、その手足に力が入っていない。
はやる気持ちをどうにか抑え、とにかくひよりを一刻も早く水中から救い出すことだけに集中する。水の抵抗が煩わしい。
必死で腕を伸ばし、どうにかひよりの手を掴んだ。
そのままひよりの体を引き寄せ、足もちぎれよとばかりに全力で海面に向かって水を蹴り、ようやくひよりとともに水中から飛び出した。
それでもひよりはまだぐったりしたまま。とにかく早く陸にあげないと!
「ゆき! これに掴まれ!」
その声と共に目の前に飛んできたのは、ロープにつながれた浮き輪。
ロープ! すぐに動いて借りてきてくれたんだね。さすが。
すかさずそれを掴み、ひよりの体を離さないよう両腕に力を込める。
掛け声とともにロープを引っ張るお姉ちゃんたち。
波打ち際まできたところでより姉と力を合わせてひよりを担ぎ上げ、砂浜に横たえた。ひよりの顔に耳を近づけたがやはり呼吸をしていない。
「ゆき! ひよりは大丈夫なのか!?」
「大丈夫!」
ひよりが海中に沈んでからまだ1分も経っていない。
わたしの目の前でもう誰一人命を落とさせやしない! ましてやわたしの大切な家族!
どうしても焦ってしまう気持ちを無理やり落ち着け、冷静に救命手順をとっていく。
まずは気道確保。そしてためらうことなく唇を合わせ人工呼吸を2回。それから胸に手を置き胸骨圧迫を30回。
2度繰り返しても反応なし。そして3度目の人工呼吸。
「かはっ! げほっ! げほげほ!」
水を吐き出しながら呼吸を取り戻したので、すぐに横向きにさせて水が再度逆流してしまうのを防ぐ。よかった……。
安心したと同時に力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
「ひより! ひより!」
「ひよりちゃん!」
より姉とかの姉が駆け寄り、必死にひよりに呼びかけている。
まだせき込んではいるけど、意識も取り戻したみたいだしもう大丈夫だろう。
我に返るといつの間にかあか姉に肩を抱き寄せられていた。
「もう大丈夫。よくやった」
ずっと無我夢中で気が付かなかったけど、力が抜けたわたしの体は震えていたらしい。
震えを抑えようとしてくれているあか姉の腕に力がこもる。
「やっぱりゆきはすごい。がんばったね」
涙を浮かべながらわたしの腕をさすって落ち着かせようとしてくれる。
まだわたしの息は荒い。
怖かった……。
体を酷使したせいもあるけど、それ以上に恐怖心で呼吸と震えが鎮まらない。
もしわたしが間に合わなかったらと考えると……。
やがて水を吐ききったひよりがわたしの方に手を伸ばしてきた。
「ゆきちゃん、ごめんなさい……」
泣きながら謝るひよりの姿を見て、わたしの体はようやく落ち着きを取り戻してくれた。
一番怖い思いをしたのはひよりなんだ。
このことがトラウマにならないよう、ひよりの心のケアをしてあげないと。
「謝らなくていいよ。こっちこそ一緒に遊ぶ約束してたのにごめん。ひとりきりにしちゃってごめんね」
伸ばしてきた手を取り、優しく語り掛けるとこらえきれなくなったのか、ひよりが胸に飛び込んできた。
「ゆきちゃん! ゆきちゃん! 怖かった、怖かったよぉ! 水の中で足がつっちゃって……。もうみんなに会えなくなるかもって……!」
わたしの腕の中で泣きじゃくるひより。それをなだめるように背中をさすり続けた。
ひとしきり泣いたころ、誰かが呼んでくれていた救急車が到着。
かの姉とあか姉に着替えを持ってくるよう頼んで、より姉と共に救急車に乗り込んだ。
車内、救急隊員に心電図を取り付けられながら意識確認をされるひより。
「うん、ちゃんと適切な処置をしてもらったおかげで異常はなさそうだね。誰がやってくれたの?」
救急隊員のお兄さんがわたし達の方を見て質問をしてきた。
「あ、わたしです」
手を挙げて答えると感心したような様子で頷くお兄さん。
「よかったね。素敵なお姉さんがいて。人工呼吸、胸骨圧迫ともに完璧だったみたいだ。人工呼吸も姉妹なら問題なくてよかったじゃない」
お兄さんは場を明るくしようと軽口を叩いただけのつもりだろう。
でもそこには思い出してはいけないキーワードが含まれていた。
「人工……」
「呼吸……」
わたしとひよりで思わず復唱。そしてついお互いの唇を見つめ合ってしまった。
無我夢中で認識する暇もなかったけど、こういう時に全記憶障害というのは厄介だ。
フラッシュバックのようにあの時の状況が脳内で再現され、ひよりの唇の柔らかさや胸の感触まで思い出されてしまう。
ほぼ同時に2人の顔は真っ赤になり、ひよりは顔を背け、わたしは俯いてしまった。
きょとんとしてしまうお兄さんと、隣で笑いをこらえているより姉。
「あらら、姉妹でも恥かしいもんなんだね。なんだか初々しくて、若いっていいなぁ」
いや、姉妹ならよかったんですけどね……。
これはあくまで救命措置なんだからと自分に言い聞かせてはいたけど、なんとも言えない微妙な空気のまま病院まで運ばれることになってしまった。




