第104曲 覚悟はできた。だけど……
病院から帰ったころにはすっかり深夜だった。
家族のみんなはもう就寝してしまっている。よかった。
正直既に全身が痛い。やはり全力で動いたことのツケがしっかりと回ってきている。
歩くだけでも辛い今の状態を、誰にも見られずにすむのはありがたい。
なんとか自分の部屋にたどり着き、着替えもせずそのままベッドに倒れこんだ。
目を閉じると浮かぶのは姉妹たちの怯えた表情。まさかわたしがあんな顔をさせることになってしまうなんてね。
自嘲気味に笑いながら、自分の覚悟を決める。
明日、みんなに伝えなきゃ。
翌朝、痛む体をどうにか引きずり、朝食を作ろうとリビングに下りていく。階段を一段下りるたび、全身を駆け巡る痛み。
どうにか下の階にたどりつき、キッチンを覗くとお母さんがすでに朝食を作っていた。
家族の前で痛そうな姿を見せるわけにはいかないので、姿勢を正し痛みをこらえてお母さんに近付く。
「どうしたの? 朝食ならわたしが作るのに」
お母さんは何も言わずにちらりとわたしを見ただけで朝食を作り続ける。
「お母さん?」
「わたしが何も気づかないとでも思っているのかしら? 手足を動かすだけでも辛いんでしょう。部屋に戻るのもキツイだろうからそこのソファーで横になっていなさい」
そうか。全部を知ってるお母さんには強がっても意味ないよね。ちょっと怒ってる?
「ごめんなさい、ありがとう」
素直に厚意を受け取ってソファーに転がる。そこまでの一連の動作だけでもきつかったけど、横になってしまえば随分と楽になった。
昨日は遅くなったのでまだ少し眠い。気だるさを感じたわたしは横になったまま目を閉じた。
「ゆき、朝ごはんができたわよ」
お母さんに揺り起こされて気が付いた。いつの間にか眠っていたらしい。やはりまだ疲労が抜けていないのかもしれない。
どうにか起き上がり、テーブルの方を見て驚いた。
姉妹たちが全員揃ってもう席についている。お母さんが起こしに行ってくれたのかな?
「驚いてるわね。みんな勝手に起きてきたのよ」
お母さんが愉快そうに言う。そうか。昨日の今日でわたしに起こしてもらうのもイヤだよね。
これでいよいよわたしの必要性もなくなってしまうのかな……。
体の状態を悟られないよう平静を装って食卓につく。
誰も言葉を発しない静かな食卓。みんなが揃ってこんなに静かだったことは今までに一度もない。
やっぱりわたしのせいだよね。
覚悟が揺らぐ前にもう言ってしまおう。
「お母さん、お願いがあるんだけど」
わたしが言葉を発するとみんながぴくっと体を震わせた。キツイなぁ……。
「お願いって?」
その中でお母さんだけは優しい笑みを崩さずに答えてくれる。
「えっとね……。わたしももう高2だし、ひとり暮らしをしようと思うんだけど、部屋を借りてもいいかな」
躊躇する心を振り切るように一気に言い切った。声、震えてなかったかな……。
わたしが発した言葉に今まで黙っていた4人が一斉にこちらを見た。
「なんだよそれ、何言ってんだよ、ゆき」
「ゆきちゃん、家を出ていっちゃうの?」
より姉、ひより。どうしてそんな顔するの? わたしはもうここにいない方がみんなにとってもいいじゃない。
「どうしてそんな話になるんですか」
「不可解」
かの姉、あか姉。そんなの聞くまでもないことでしょ?
「わたしが家にいたらどうしても昨日のことを思い出してしまうでしょ。みんないろいろとショックだっただろうし。
だからわたしはこの家にいない方がいい。心配しなくてもそんなに遠くに行くわけじゃないし、たまには帰ってくるよ」
「ふざけんな!」
言い終わるや否や、より姉がテーブルを叩いて立ち上がった。
「なんでお前はいつもそうなんだ! どうしてそうやって自分を犠牲にしてまで人を守ろうとするんだよ!」
「そうだよ! なんでゆきちゃんがこの家からいなくなるなんて話になるのさ!」
ひよりまで。なんでそんなに怒ってるの?
「わたしの事、怖かったでしょ?」
その言葉に一瞬ひるむ2人。
「たとえ外見からはそう見えなくても、わたしの中身はやっぱり男なんだよ。
心の中には狂暴な獣が住んでいる。いつまたあんな風に我を忘れて暴れるか分からないんだよ」
みんなが穏やかに語るわたしの顔を見つめている。
あそこまで狂暴になることはもうないだろうと思うけど、また家族に危険が迫った時はわからない。大切な存在を傷つけられた時に自分を保っていられる自信がない。
そんなわたしがそばにいたらみんなは心安らかに過ごしていくことなんてできないじゃん。
「全然怖くない。かっこよかった」
あか姉……。まっすぐにわたしを見つめるその眼には強い意志が込められている。でもあの時の怯えた眼を忘れることだってできやしない。
「かっこよくなんてないよ。ただ怒りに支配されて暴れただけなんだからさ」
「その怒りはわたし達のためですよね? 大切な存在のために怒れる姿はかっこいいものです」
かの姉まで。
「でも! あの時みんな怯えた眼をしてた! またあんな顔をさせてしまうかもしれないんだよ?」
つい大声を出してしまったことで気づいてしまった。わたしはあの眼から逃げたいだけなんだ。もう二度とあんな目で見られたくない。だってわたしはこの人たちの事が……。
「そりゃあんときはびっくりしたさ。今までゆきがあんなに怒ったところを見たことなかったからな。でもただそれだけだ。誰もお前のことを怖いとか思ったりしてねーよ」
より姉……。
「いつも穏やかで優しいゆきちゃんがあんなに怒ったらそりゃ驚きもするよ!
朝から何も話さなかったのは体が辛いかなと思ったら、なんて声をかけていいか分からなくて。ごめんね?」
なんでわたしの体の事知ってるの? まさかお母さん!
全部話してしまったのかと思い慌ててお母さんに視線を向けると、わたしをじっと見つめてゆっくりとうなずいた。
たったそれだけで何を話したのか伝わってきた。
よかった……。
最後のあのことだけは話していないみたいだ。
まぁあの事を知ってしまったらみんなこんなに冷静に話してなんていられないよね。
でもそれ以外はほぼ知っている雰囲気。
「そっか。みんなわたしの体の事知っちゃったんだね。ひよりはわたしの目の事も聞いたの?」
「聞いたよ。わたしにだけ黙ってるなんてひどいよ、ゆきちゃん」
ひよりも高校生になったし、みんなに知ってもらうにはちょうどいい機会だったのかもしれない。
「ごめんね。でもある程度心が成長してからじゃないとショックが大きいかなと思ったからさ。仲間外れにしていたわけじゃないよ」
頷くひより。
「わかってる。たしかにもっと早く聞いてたら取り乱してたかもしれない。ゆきちゃんがそんな状態で生きてきたなんて知ったらいっぱい泣いてたかも。
でも納得した面もあるよ。どうしてゆきちゃんはいろんな方面の才能がずば抜けているのか、とかね」
そう言うひよりの顔には笑顔が浮かんでいた。
ちゃんと冷静に受け止めてくれたんだね。さすがわたしのかわいい妹だ。
「体はやっぱり痛むのか?」
より姉が心配げに聞いてきた。
「正直こうやって座ってるのもきついくらい全身が痛いよ。軟弱な体だからね」
いつの間にか笑顔になって答えていることに気が付いた。もう隠している必要もなくなって肩の荷が下りたのだろうか。気分的にも少しは楽になったような気がする。
「本当にわたし、この家にいてもいいの? みんなあの事がフラッシュバックしたり、怖くなったりしない?」
4人とも力強くうなずいてくれた。そっか。わたしまだみんなといられるんだね。
安心して力が抜けると同時に体の痛みをさっきまでより強く自覚してしまう。
家を出る覚悟を決めていたから無意識に力が入って痛みを誤魔化せていたのかな。気の抜けた今はお箸を持つ手すら痛い。
痛みに顔を歪めているとみんなが心配してくれた。
「いつまでも話しをしてくれなくていいですから、今日はずっと横になっていてくださいね」
「安静にする」
「部屋に戻るときは肩貸してやるからな」
「お箸を持つのも辛いんでしょ? はい、あーんしてあげる」
いたれりつくせりなのはありがたいけど、さすがにそこまで介護されるほどじゃないってば。
ご飯くらい自分で食べれると言っても誰も聞いてくれなくて、それぞれ交互にあーんをしてくる4人。正直腕を上げるのもつらいのでそのまま餌付けされてしまうことになったわたしを、お母さんはとても優しい目で見てくれていた。




