守銭奴エンジニアと自由への誘い
俺が魔王を従えることになる六年ほど前――すべては、一通のメールから始まった。
『黒木様、あなたの力を必要としています。新しい挑戦をしてみませんか? あなたの求める自由が、ここにはあります』
その一文に、俺は手を止めた。引き抜き? ヘッドハンティング? いかにも怪しい。だが――
自由。
その言葉に俺はこのメールに惹きつけられた。
俺の名前は黒木由自。金で自由を買うために働いている三十五歳のエンジニアだ。
早く一生分のお金を貯めて、仕事を辞めて悠々自適な日々を送る『FIRE』を実現させたい。
だが、エンジニアの給料はそれほど高くない。
サービス残業は当たり前。
納品前になれば徹夜と休日出勤。
時給換算すればため息が出るばかりだ。
自分の作りたいものを作る余裕なんて、どこにもない。
終わりの見えないバグを追い続け、ようやく直しても、それが当然だと言われるだけだ。
――エンジニアは、ただの道具だ。
もちろん、俺にも作りたいものはあるし、アイデアもある。
例えば、未来的な秘密道具のようなもの。
だが、それを作るのは仕事ではない。
考えてみれば、俺の『由自』という名前は『自由』の反対だ。だから、自由とは真逆の生活を送っているんじゃないかと、時折思う。
だから俺は黙って働き、ひたすらお金を貯めることにした。ドケチだとか守銭奴だとか言う奴もいるけれど、自由を手にするためには金こそが何よりも大切なんだ。
面倒な手続きを済ませて、投資も始めてみた。
さて、いくら増えたかな?
――マイナス五パーセント。
政府が増えるって言ってたのはどこの国だよ!
そんな時に届いたのが、あのメールだった。
怪しい。
どう考えても怪しい。
だが、それ以上に魅力的だった。
「……行ってみるか」
メールに記載された集合場所は、都会の喧騒からはずれた、少し辺鄙な場所にあった。周囲にオフィスビルはない。古びた建物ばかりだ。
うーん、面接ってもっとキレイで洗練された場所でやるんじゃないのか?
不安を感じながらも、俺はドアを開けた。
室内には数人の男女がいて、それぞれが独特な雰囲気を放っていた。
体格の良い男性、知的な印象のメガネの女性、そして、車椅子に座った老人の男性。
そこで感じた違和感……何か変だ。ヘッドハンティングなら、同じような職種の人間が集まるのが普通だろう。だが、ここにいる人々は明らかに違う。
「四人目か。おう、兄ちゃんもメールを見て来たのか?」
体格の良い男性が声をかけてきた。一目で分かる、俺より二回りは大きい男だ。
「俺は竜崎徹。レスラーだ。ドラゴン徹と言ったらわかるか?」
「あっ、ドラゴン徹!」
覆面レスラーとして有名な男だ。言われるまで気づかなかったが、あのヒールレスラーのドラゴン徹だ。実力派レスラーで、確かかつてはチャンピオンになったこともある。決め台詞は確か……
「だーははは。覚えてくれて嬉しいねえ、イー・アル・サンダァー!」
竜崎はその決め台詞と共に、地面に拳を打ち付けるポーズを取る。いかにも陽気な男だ。
しかし、思い出すのは悪いニュースばかりだ。暴力沙汰や女性トラブルが多く、二年ほど前には乱闘事件で骨折し、しばらくレスリングの表舞台から姿を消していた。
「俺は黒木由自。エンジニアをしている」
ひとまず俺も名乗る。
「ユージか。俺とは違う頭脳派だな。まあ、ここで会ったのも何かの縁だな。よろしく頼むわ」
その後、メガネの女性が静かに名乗った。
「私は白石麗愛、医者です。昨年は西アジアの紛争地域で医療活動をしていました」
彼女は知的で端正な顔立ちをしており、いかにもエリートという雰囲気が出ている。いつも冷静で、何事にもテキパキと対応するタイプだろう。
正直、こういうタイプの人間、俺は少し苦手だ。
「おお、あの危険な地域で! 勇敢なのですなあ」
車椅子の老人の男が感嘆の声を上げる。しかし、麗愛は浮かない表情だった。
「いえいえ、私なんて、大した力にもなれませんでした。実際、逃げ帰ってきたようなものなんです……」
「そのように自分を責めてはいけません。あのような場所で、一人でできることには限りがあります。少なくとも、私はあなたを尊敬しますよ。さて……」
続けて老人がゆっくりと名乗る。
「私は藤堂晴人。もう余生を過ごすだけの九十歳の老人です」
「藤堂……もしかして、あの藤堂商事の創始者の藤堂晴人さんですか?」
麗愛が尋ねると、老人は穏やかな笑みを浮かべながら答える。
「よく知っているね。確かに、私は藤堂商事の創始者だ。だが、もう過去の話さ。このように体を壊して引退した身だよ」
えっ、あの大企業、藤堂商事の創業者だって? その事実に驚きながらも、俺は改めて部屋の中を見渡す。
元レスリングのチャンピオン、海外で活躍する優秀な医者、大企業の創業者……ここには錚々たるメンバーが揃っている。それに比べ、一介のエンジニアである俺がここに混じっていていいのだろうか……
いや、俺の技術力は彼らにも負けないはずだ、そう思い直す。
その時、扉が静かに開いた。
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