守銭奴エンジニアと自由への誘い
俺の名前は黒木由自。三十五歳、独身。自分で言うのも何だが、これでもなかなかのエンジニアだ。
好きなものは金だ。早く一生分のお金を貯めて、仕事辞めて悠々自適な日々を送るいわゆる『FIRE』して、自分の好きなことだけをやるような生活を送りたい。
だが、残念ながらエンジニアの給料は高くない。業種別の平均給料を見れば悪くはないと言うかもしれないが、実際のところ、サービス残業は当たり前だ。何時間かければ直せるのかもわからないバグを追い続ける。
時に、バグはどんな謎よりも難解だ。そして、多大な労力と時間をかけてその謎を解明したとしても、顧客から感謝の言葉なんてない。バグは治せて当たり前、そんな顔をされるだけだ。納品直前ともなれば、徹夜や休日出勤も当たり前。時給換算で考えると、ため息が出るばかりだ。
所詮、エンジニアはただの道具。自分の作りたいものを作るのではなく、顧客の作りたいものを作る。これも当たり前だ。
もちろん、俺にも作りたいものはある。未来的な秘密道具のようなもの、アイデアも持っている。しかし、それを作るのは仕事ではない。
考えてみれば、俺の『由自』という名前、『自由』の反対だ。だから、自由とは真逆の生活を送っているんじゃないかと、時折思う。
だから、俺はひたすらお金を貯める。ドケチだとか守銭奴だとか言う奴もいるけれど、自由を手にするためには金こそが何よりも大切だと思っている。
日本政府が推奨しているNISAだか何だか、投資も始めてみた。それまでは投資信託なんて信用していなかった。でも、政府が推奨してるんだから、きっとお金がザクザク増えるに違いないと思ったんだ。面倒な手続きを済ませて、世界に投資するとかいうやつを買ってみた。
さて、いくら増えたかな?
……マイナス五パーセント。
オイ、減ってるじゃねえか。俺のFIRE計画が……。
絶望に打ちひしがれていると、ふと、スマホの画面に見慣れない名前の差出人からのメールが届いていることに気づいた。
『黒木様、あなたの力を必要としています。新しい挑戦をしてみませんか? あなたの求める自由が、ここにはあります』
あとは集合場所と日時が記載されたシンプルなメッセージ。
メールに記載されているこのWEBサイト、 前に登録したようなしてないような……もしかして、これって……ヘッドハンティングというやつではないだろうか。
俺の技術力を認めた大企業が、引き抜こうとしているのだ。あまり大っぴらにできないから、詳細は伏せられているんだろう。これは、年収アップの大チャンスかもしれない。もしかしたら、FIREへの近道になるかも。
それに、『自由』という言葉にも胸が高鳴る。自由な開発、自由な研究、夢のような響きだ。もうこれは行ってみるしかない。
集合場所は、都会の喧騒からはずれた、少し辺鄙な場所にあった。周囲には、いわゆるビジネスマンが集まりそうなオフィスビルはなく、古びた建物が立ち並ぶのみ。
うーん、大企業の面接ってもっとキレイで洗練された場所でやるんじゃないのか?
何となく感じる不安に、心がわずかにひるんだが、それでも俺は躊躇わずにドアを開けた。
室内には数人の男女がいて、それぞれが独特な雰囲気を放っていた。体格の良い男性、知的な印象のメガネの女性、そして、車椅子に座った老人の男性。
そこで感じた違和感……何か変だ。ヘッドハンティングなら、同じような職種の人間が集まるのが普通だろう。だが、ここにいる人々は明らかに違う。
「四人目か。おう、兄ちゃんもメールを見て来たのか?」
体格の良い男性が声をかけてきた。一目で分かるガタイの良さ。体の大きさは俺よりも二回りは大きい。
「俺は竜崎徹。レスラーだ。ドラゴン徹と言ったらわかるか?」
「あっ、ドラゴン徹!」
覆面レスラーとして有名な男だ。言われるまで気づかなかったが、あのヒールレスラーのドラゴン徹だ。実力派レスラーで、確かかつてはチャンピオンになったこともある。決め台詞は確か……
「だーははは。覚えてくれて嬉しいねえ、イー・アル・サンダァー!」
竜崎はその決め台詞と共に、地面に拳を打ち付けるポーズを取る。陽気な男だ。しかし、思い出すのは悪いニュースばかりだ。暴力沙汰や女性トラブルが多く、二年ほど前には乱闘事件で骨折し、しばらくレスリングの表舞台から姿を消していた。
「俺は黒木由自。エンジニアをしている」
ひとまず俺も名乗る。
「ユージか。俺とは違う頭脳派だな。まあ、ここで会ったのも何かの縁だな。よろしく頼むわ」
その後、メガネの女性が静かに名乗った。
「私は白石麗愛、医者です。昨年は西アジアの紛争地域で負傷者を診ていました」
彼女は知的で端正な顔立ちをしており、いかにもエリートという雰囲気が出ている。いつも冷静で、何事にもテキパキと対応するタイプだろう。正直、こういうタイプの人間、俺は少し苦手だ。
「おお、あの危険な地域で! 勇敢なのですなあ」
車椅子の老人の男が簡単の声を上げる。しかし、麗愛は浮かない表情だった。
「いえいえ、私なんて、大した力にもなれませんでした。実際、逃げ帰ってきたようなものなんです……」
「いえいえ、自分を責めてはいけません。あのような場所で、一人でできることには限りがあります。少なくとも、私はあなたを尊敬しますよ。さて……」
続けて老人がゆっくりと名乗る。
「私は藤堂晴人。もう余生を過ごすだけの九十歳の老人です」
「藤堂……もしかして、あの藤堂商事の創始者の藤堂晴人さんですか?」
麗愛が尋ねると、老人は穏やかな笑みを浮かべながら答える。
「よく知っているね。確かに、私は藤堂商事の創始者だ。だが、もう過去の話さ。このように体を壊して引退した身だよ」
えっ、あの大企業、藤堂商事の創業者だって? その事実に驚きながらも、俺は改めて部屋の中を見渡す。
元レスリングのチャンピオン、海外で活躍する優秀な医者、大企業の創業者……ここには錚々たるメンバーが揃っている。それに比べ、一介のエンジニアである俺がここに混じっていていいのだろうか……
いや、俺の技術力は彼らにも負けないはずだ、そう思い直す。
その時、扉が静かに開いた。
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