エンジニアの賭け
モレクの拳が振り上げられる。
沈黙の空間の中、俺は声すら出せない。詠唱が封じられている状況で、俺が使えるのは無詠唱の『遅延邪眼』と、最近は敵の速度が上がり、あまり効果が期待できなくなっている『オート防御』だけだ。
逃げ場のない俺は仕方なく、モレクの足に縋りつくように拳をやり過ごす。
巨大な拳が落ち、視界が揺れる。遅延邪眼で瓦礫がゆっくりと宙を舞う。沈黙空間で音はなく、衝撃だけが身体を打つ。
この異常な空間では現実感が薄いが、当たれば確実に致命打だ。俺は、モレクの次の動きを見極めながら、慎重に次の移動先を探す。
『遅延邪眼』がなければ、とっくに潰されていた。だが、遅延邪眼で体感時間が伸びても、俺の筋力は増えない。俺が動ける速さには限界がある。もしモレクに掴まれれば、沈黙の空間では、逃げ出す手段がない。
視線の端で、リリィが膝をついたまま瞳を閉じかけている。ミーアもまた、メリーの邪眼に眠りに落ちそうになっている。
彼女たちもすぐに助け出さなければならないが、今モレクと距離を空けられる気がしない。
俺の遅延邪眼には疲労も伴う。苦しい。俺の視界が滲む。
遅延邪眼で、ただ絶望を引き延ばしているだけなら、いっそ終わらせた方が楽だという考えも頭をよぎる。
どんな会心打や奇策を打ったとしても、過去が都合よく書き換えられてしまう状況。
既に詰んでいるようにも思えるこの状況で、次に打てる手は――
半ば諦めかけたその瞬間、ヴァルハラ中心部から青白い光が奔った。見覚えのある不気味な脈動。
――かかったか?
俺は一途の希望を抱いた。
もしこれが狙い通りなら、状況は打開できるかもしれない。
そう考えた直後に、モレクと俺の間の空間が不自然に引き延ばされた。これはエルマの『空間⭐︎湾曲』だ。
少し息を切らせたエルマが、小さな球体を片手に俺の前に現れた。
「ガルムはここに封じた。何百年経とうが、儂との差は埋まらん」
音が戻っている。
俺は、おそらく賭けに勝った。
なぜなら、こちらに有利な出来事が起きているのに、世界にノイズが走らない。
「至れ、我が工房。顕現せよ、魔道具七番改!」
即座に俺は、リリィとミーアを眠りに落としかけているメリーの足元に、拘束用魔道具『マオウジゴク』を展開する。
「あらっ、これは!? 駄目ぇー」
完全に不意を突かれたメリーの足元が裂け、魔道具の檻へと引きずり込まれた。
「リリィ、ミーア、大丈夫か?」
二人は徐々に眠りから解放され、瞳に再び光が宿る。
「さて、残りは……」
俺はモレクを睨んだ。
仲間を失ってなお、巨体は一歩も退かない。怯みもせず、床を砕きながら突進してくる。
俺たちは同時に構えた。
『貪り喰うモノ!』
『崩壊!』
『死の吹雪!』
『石化邪眼!』
『悪魔の衝撃!』
『ピンクなビーム!』
俺たちにジャガーノートとピンクパンサーを加えた総攻撃が、ただ一点――モレクへ叩き込まれる。
幾重にも重なる攻撃がモレクを貫いた。
「ブモォー!」
咆哮が塔を震わせる。
それでもなお前へ出ようとするが、やがて魔力が尽き、動きが止まった。
その時、モレクは完全に石と化していた。
これで魔王三体、封印完了。
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