未確定の現実
モレクが唸り、床を砕きながら前進してくる。
この巨体を正面から押し返す力は、すぐには出せない。
「邪魔するなにゃん!」
素早く詠唱を終えたリリィが闇を収束させる。
『死の鎌!』
漆黒の刃が、モレクを真っ二つにする軌道で振り下ろされた。
だが――
モレクは両手でそれを挟み込み、闇の刃を巨腕で受け止めた。
「これ素手で止めるやついるのかにゃん……」
モレクほどの巨体を止めるには相応の質量が必要だ。
ならば、巨人には巨人を。
「皆さん、お願いします!」
ミーアの号令とともに、亥人と丑人が一斉に突進した。
モレクにぶつかった瞬間に、ミーアが彼らを石に変えてモレクの動きを止める……はずだった。
――ノイズ。
視界が一瞬、歪む。次の瞬間、モレクは別の位置に立っていた。石化も拘束も、最初から存在しなかったかのように。
ウルドの改変。
この反応の速さ。今ウルドはおそらく近くで観測している。
俺の予想では、過去を書き換えるには、変えるべき結果を認識していること、そして、自分が干渉可能な場所にいることが必要になる。
ヨトゥンヘイムでは、一度も過去の改変は起きなかった。敵は同じだというのに、これは不自然だ。しかし、ウルドがこれまでに一度もヨトゥンヘイムを訪れたことがなかったと考えれば辻褄が合う。
つまり――今ウルドは近くにいる可能性が高い。
俺がそんな思考を巡らせると、
再びノイズ。
白い拘束がリリィの身体に絡みついていた。霧から伸びた無数の毛束が、四肢の自由を奪う。
「しまったにゃん……!」
さらにノイズ。
今度はモレクによって亥人と丑人がまとめて吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ、床に転がっていた。
ウルドは自分たちが常に有利になるように過去を選び直している。
「リリィ様ァ!」
元四天王のジャガーノートとピンクパンサーがリリィに駆け寄る。だが、踏み出した瞬間――
ノイズ。
二人は糸が切れたように崩れ落ち、昏睡していた。
状況は、確実に追い込まれつつある。
ヴァルハラ中心部の扉は、あと数歩先。だが遠い。
「あなたたちをここで仕留める。それが私の使命」
メリーが霧の中で微笑む。モレクが一歩踏み出すたび、床が沈む。
――扉に入れないなら。一か八か。
俺は詠唱を開始した。
「至れ、ヴァルハラの中核。取り出せ、魔導管!」
空間が歪む。転送魔法を強引に中枢へ接続する。すると、一本の魔導管が俺の前に引きずり出された。
「あらあら、何をしたのです?」
メリーが少し慌てて問いかける。
「賭けだ。転送魔法で中枢に接続し、部品の魔導管を強制抽出した」
「それって……?」
「俺の記憶が正しければ、ヴァルハラのコアには三本の魔導管がある。そのうち一本は、魔力を直接供給する主導管だ。そいつを外せば、ヴァルハラはやがて停止する」
メリーは俺が手にした管に視線を向けた。
「まさか、今取り出したのが……」
「残念ながら、それは分からない。外れの可能性もある」
三分の一。
当たりなら停止。外れならあまり意味はない。
「止まるかどうかは、あの扉を開ければ分かる。どうだ? 中を確認したくならないか?」
俺はあえて挑発する。
「そんな見え透いた誘導には乗りませんわ。あなたを中に入れることはありません」
メリーは即答した。
中を見なければ結果は確定しない。観測するまで、ヴァルハラが停止する未来と停止しない未来が同時に存在する状態。シュレディンガーの猫みたいだ。
「なら、三本の魔導管をすべて取り出す手もあるけどな。至れ、ヴァルハラの中核――」
「ブモッ!」
そうはさせまいと、モレクが沈黙の空間を展開した。
音が消え、俺の詠唱はそこで途切れた。
リリィはメリーの邪眼に捕らわれていた。霧の奥で光る瞳を見たまま、焦点が揺らぎ、膝が折れる。
ミーアが慌てて石化邪眼を放つが、白い毛に遮られてしまう。
モレクが踏み込み、巨体が一直線に迫る。
助けは来ない。どこに避ける……
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