魔王モレク
それは、黒鉄の毛並を全身にまとった壁だった。
頭部から伸びる二本の角は鋭利で、歪に捻じれている。
「……まさか、なんで……」
声が、かすれた。
次の瞬間――
「ヴゥゥゥゥゥゥモオォォォォォォォォッ!」
喉の奥から引きずり出された、爆発のような咆哮。
音波だけで視界が白く弾けた。
施されていた迷彩の魔法は強制的に剥ぎ取られ、俺たちは嵐に吹き飛ばされるように宙を舞った。
「いかん……完全に、気づかれておったのじゃ……!」
エルマが地面を転がりながら、何とか体勢を立て直す。
「魔王モレクは、鉱山の方にいるはずじゃなかったのか……!」
狼狽える俺たちを見ても、モレクは何も答えない。
「……コォ……フー……」
低く、濁った呼吸音だけが響いていた。
「……ブモ」
再びモレクが動いた。
その腕が持ち上げているのは、巨大な斧。
俺の身長よりも大きいそれが、軽やかに振り下ろされる。
――遅延邪眼、発動。
時間を引き延ばし、身を転がす。
直後、巨大な斧が地面へ叩きつけられた。
大地の悲鳴のような轟音と共に、地面に亀裂が走る。
「……もう、やるしかないな」
俺はエルマを見る。視線が合い、お互い頷いた。
『輪廻の炎!』
発動と同時に、空間が赤く染まる。
無数の火炎が連なり、雨のように降り注ぐ。
だが、モレクはただ斧を掲げた。
それだけで十分だった。
分厚い刃が盾となり、火炎は遮られて霧散する。
『魔法陣複製!』
俺は魔法陣を分裂させ、三方向から同時に炎を吐き出した。
もう逃げ場はない……はずだった。
モレクは、跳んだ。
あの体躯にして恐ろしいまでの脚力。
巨体が宙を駆け、炎の網を一息で抜ける。
こいつは、でかすぎる。
俺の『輪廻の炎』は、魔法陣の全面から放たれる『面』の攻撃。逃げ場のない攻撃のはずだ。
だが、モレクの巨体から見れば、降り注ぐ火炎は、無数にあっても『点』のようなもの。
点なら、避けられる。
モレクはそのまま、空中で斧を振りかぶった。
斧が地面に突き立てられた瞬間、衝撃が走る。
地面が波打ち、震動が周囲へ広がった。
俺が体勢を崩したその刹那。
『空間⭐︎圧縮』
着地の瞬間に生まれた、ほんのわずかな停滞を見逃さず、エルマが動いた。
周囲の空間が、モレクを押し潰そうと内側に歪む。
「――ブモッ!」
しかし、モレクは踏みとどまる。
圧縮された空間を、力任せに押し返した。
まさに、空間が弾けた。
解放された空間は、衝撃波となって周囲を薙ぎ払う。
「あれを……跳ね返すか……この力。もはや、上級神並じゃな」
吹き飛ばされそうになる衝撃に踏みとどまりながら、エルマが短くこぼした。
二人がかりでも、簡単に対処できる相手ではない。
俺は再び火炎を叩き込もうと詠唱に入る。
『|輪廻の――』
だが――
「ブモォオ!」
モレクが咆哮とともに、巨大な蹄を地面へ叩きつける。
その瞬間、蹄を中心に魔法陣が展開され、世界が無音に沈んだ。
そこはかすかな物音さえ聞こえない、沈黙の世界だった。
言葉を発せなくなった俺の詠唱は途中で中断されてしまう。
―― 沈黙の巨蹄。
まさにその異名に相応しい能力だ。
動揺を隠せない俺に対し、エルマは冷静だった。
その沈黙を、空間が隔てた。
割り込んだエルマの魔法によって、モレクと俺たちの間の距離が不自然に引き延ばされる。
距離が開いた瞬間、音が戻った。
「『空間⭐︎湾曲』の魔法じゃ。儂の空間魔法は無詠唱――沈黙の空間でも使える」
なるほど、エルマの能力はまさに、モレクに対抗できる手段だ。
俺ももっと無詠唱魔法を鍛えておけばよかった……などと今後悔しても仕方ない。ひとまず、ここにエルマがいてくれて、本当によかった。
俺は頭を切り替える。
これまでの攻撃は、モレクに対して決定打になっていない。
だが――エルマの空間⭐︎圧縮が、ほんの一瞬だけ、確かにモレクの動きを止めたことを俺は見逃さなかった。
「師匠。俺はこれから、奴を倒す一撃を仕込む。その間の時間稼ぎと……魔法の完成後、一瞬だけ拘束を頼みたい」
「ふむ。先ほどの様子では、止められても一秒程度が限界じゃが……それでよいか?」
「ああ。問題ない」
答えると同時に、俺は両手を広げた。
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