満月の夜を待つ
エルマは何か言いかけたが、言葉にならなかった。
俺は魔力を注ぎ続け、貪り喰うモノは、それを容赦なく吸い上げる。
魔王の魔力は膨大だが、無限ではない。
このままではエルマの言う通り、ただの時間稼ぎにしかならない。
俺の魔力が尽きれば、それで終わりだ。
他に俺にできることはあるのか?
今の俺には、魔道具もない。
AIエージェントも、魔法プログラミングもない。
それでも、諦めるという選択肢だけは、存在しない。
だが、何もないわけじゃない。
俺が使える魔法は、小火炎と、転送魔法。
その根幹にある古代魔法――エルマから教えてもらった、移動を意味する『ラド』。
そして、古代遺跡で手に入れた二つの古代魔法。輪廻の魔法陣――周期を意味する『ヤラ』。詠法の魔法陣――言葉を意味する『アンスール』。
エルマは、かつて言っていた。古代魔法は自由に組み合わせてこそ意味を発揮する、と。
――ならば。
俺は、詠法の魔法陣を顕現させた。
新しい言葉を定義しよう。エルマを救うためだけの言葉を。
転送の魔法陣の対象を、物質ではなく概念へと昇華させ、より緻密に特定する。
対象は、貪り喰うモノの内部に蓄えられた魔力。
定義した言葉は祈りに近い響きとなった。
それを、輪廻の魔法陣で包み、循環させる。
貪り喰うモノに吸い取られた魔力を外へ取り出し、エルマに再投入。
それを何度でも繰り返す。
これまで、俺が制御できた多重魔法陣は、せいぜい二つまでだった。
だが今、無我夢中で試みた結果、
『ラド』
『ヤラ』
『アンスール』
三つの魔法陣が、連携した。
これは、即席で編み上げた俺の独自魔法。
貪り喰うモノの魔力を喰らうために編み上げた、俺自身の貪り喰うモノ。
奪われた魔力を奪い返し、また奪われる。
俺と貪り喰うモノの、終わりの見えない戦いが続いた。
魔道具にも頼らず、三つの魔法陣を同時に維持する。それは、俺にとって極限に近い集中力が要求される行為だった。
神経が擦り切れそうになり、疲労が押し寄せる。
視界が滲み、意識が途切れかける。
だが、ここで一度でも中断すれば、もう二度と再開できない。
そんな確信めいた予感があった。
ふと、疑問が浮かんだ。
俺は、なぜここまでしている?
元の世界の俺は、人よりもパソコンと向き合っている時間の方が長かった。
クライアントとの関係は、あくまで仕事。
いつも他人とは一定の距離感を持って接していた。
今のように、誰かを失いたくないと、心の底から願ったことなど、一度もなかった。
俺にとって常に大切だったのは、縛られずに生きること。
つまり『自由』。
それだけだったはずだ。
それなのに今はどうだ。
他人のために、自分の命を削ることすら厭わない。
彼女を助けたところで、莫大な報酬が得られるわけでもなく、俺が、より自由になれるわけでもない。
それでも、どれだけ理屈を並べても、エルマを見捨てるという選択肢を、俺の全身全霊が拒絶していた。
答えは、もう出ている。
彼女が――何よりも、大切だから。
それだけだった。
俺にも、自由よりも優先すべきものが、確かにあった。
長い、長い戦いだった。
夥しい魔力の循環が途切れることなく続き、俺の意識は朦朧とし、何も感じなくなっていた。
自分が意思を持っていることすら忘れそうになった頃、俺の視界の端が、淡く白く染まった。
夜空の雲の切れ間から、満月が、昇っていた。
「エルマ……見えるか?」
俺は掠れた声を絞り出す。
「満月だ。……ついに、満月の夜になった」
だが、返事はない。
エルマは静かに目を閉じたまま、微動だにしなかった。
時間が止まっているかのようだった。
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