改変の刻
リュカオンの鎧は砕け、血に染まり、息も荒い。
それでも彼は、足を引きずるようにエルマに歩み寄る。
「これで……フェリル家の汚名も拭える」
それは戦いの終わりを祝福するような言葉に聞こえた。
「叔父上が、私を褒めてくれたのは……これが初めてだと思うぞ」
エルマの声には、わずかな戸惑いが混じっていた。
「ああ、そうやもしれんな。だが、今なら、お前を誇りに思う。お前のその力は……戌人の宝だ」
その言葉に、エルマの表情がほんの少しだけ緩む。
「今こそ――お前に、これを渡そう」
リュカオンは懐へ手を差し入れた。エルマはまだ警戒を怠っていない。
その瞬間、視界に白い光が揺らいだ。
俺たちは、同時にそれを見た。
そこにあったのは、光を放つ白い少女の姿。
間違いない、あれは過去を司る女神ウルド。
悪寒が背筋を駆け抜けた。
つまり、まさに今この瞬間、過去は変えられたのだ。
慌ててエルマを見る。
俺たちが白い光に目を奪われたほんの一瞬の隙に、リュカオンの手の中にあった紐のようなものが、生き物のように蠢き、禍々しい闇を放った。
闇が蠢き、蛇のように伸び、エルマの身体へ絡みつく。
「――っ!」
それは、強力な魔力を帯びた拘束具。
エルマの身体はきつく締め上げられていた。紐が全身に絡みつき、エルマは動くこともできない。
「エルマ!」
俺は彼女に駆け寄り、咄嗟に紐を引き剥がそうとする。
だが、それはもう彼女の体と一体化しているかのように、掴むこともできない。
「う……油断した……」
エルマが、苦しそうに声を絞り出す。
「これは……魔道具……いや……神具、か……叔父上、これはどういうことだ?」
その姿を、リュカオンは冷ややかな眼差しで見下ろしていた。
「魔王ガルムに、とどめを刺すのは――当主である私でなければならん」
そこにはもはや、エルマを讃える響きはなかった。
「分家の娘が、魔王と化した当主の息子を討ったとなれば、示しがつかぬ。本家の権威が落ちてしまうからな」
リュカオンは淡々と言い切った。
「……分家が、本家に取って代わるなど、決してあってはならぬことだ」
そこにあるのは、当主としての醜いプライドだけだった。
リュカオンは剣を携え、倒れ伏すガルムのもとへ歩み寄る。
「我が息子ながら、実に愚かだ。魔王となってなお、分家の娘にすら及ばんとはな」
剣先が、静かに持ち上げられる。
「ガルム、父である私が自ら葬ってやろう」
だが――
次の瞬間、血を噴いたのはリュカオンの方だった。
「……」
剣は振り下ろされることなく、床に落ちる。
胸を裂かれたリュカオンは、声を発することもできず、その場に崩れ落ちた。
「愚かなのは、お前だよ、親父。親父程度なら、瀕死の俺でも十分に仕留められる」
ガルムが、血に塗れたまま立ち上がり、冷たい視線を、父の亡骸へ落とす。
「俺はまだ魔王になったばかりだ。能力の上限は上がったが、中身は人間だった頃と大差ねえ」
視線が、拘束されたエルマへと向いた。
「だから、エルマ。お前だけが要注意だった。親父とサシでやったときに、先代魔王バーゲストが持っていた神具『貪り喰うモノ』を渡しておいた」
ニヤリとガルムの口元が歪む。
「もし俺が倒されるなら、トドメを刺すのはエルマじゃなく、親父だって伝えた上でな。正直、ここまでうまく事が運ぶとは思ってなかった」
神具……神クラスの相手にも通用するという、強力な道具。
「貪り喰うモノは対象を拘束し、魔力を吸い上げる神具だ。この状態じゃ、さすがのお前も魔法は使えねえ。指一本、まともに動かせねえだろ」
それは完全に勝利を確信した声だった。
「……月並みな言葉で悪いが、卑怯者よな」
エルマの言葉に、ガルムはわずかに表情を歪めつつも、即答した。
「ああ、それでいい。俺は魔王だからな」
さらにその瞬間、居城の奥から重なり合う足音が押し寄せてきた。
部屋の中に殺気がなだれ込んでくる。
ガルムの軍勢だ。
外の戦況は分からない。この場で動けるのは俺だけ。
一瞬、俺がすべてまとめて叩き潰してしまおうかとも思った。
が、俺が守るべきものは、最初から一つしかない。
エルマだ。
ガルムなど、今はどうでもいい。
俺は迷わず、拘束されたエルマを抱き上げる。
このまま離脱だ。
俺は魔力を解放し、転移魔法を発動する。
光に包まれ、俺たちは、戦場から消えた。
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