避けられない戦い
八百年前のエルマとの生活は、思いのほか穏やかで、そして楽しいものだった。
魔法の実験のために、正体不明の素材を買い集めさせられたり、実在するかどうかも定かではない魔法書を探し回らされたり、極めて難解な仮説に延々と付き合わされることも珍しくなかった。
それでも――俺にとって勉強になることも多く、不思議と苦ではなかった。
それに、新しい魔法についてエルマと議論し、思いついた仮説をその場で検証する。合間に二人でお茶を飲みながら、他愛のない話をする。
そういった時間の一つ一つが、俺にとっては驚くほど贅沢に感じられた。
だが、そのささやかな日常は、長くは続かなかった。
ある日、本家からの急使が、屋敷へ駆け込んできた。
「ガルム様が……魔王となり、侵略を開始したとのことです」
その一言で、屋敷の空気が凍りついた。
ガルム・フェリル。
リュカオン公爵の嫡子であり、武に優れた男。
エルマの従兄弟でもあり、幼い頃から面識もあったという。
彼はもともと、この地方を荒らしていた魔王バーゲストを討伐するため、軍を率いて出陣していた。
個としての武力も高く、配下の兵も精鋭揃い。魔王討伐そのものは、見事な成功だった。
――問題は、その後だ。
ガルムは魔王バーゲストを打ち倒した直後、自らを魔王へと昇格させた。
そのままバーゲストの敵の軍勢すら取り込み、新たな魔王軍として再編し、そのまま侵略を開始したのだ。
戌人の名門、リュカオン家の嫡男が魔王に成り変わったという事実は、一族にとって致命的な汚点になる。
「……これは、大変なことになる」
それを聞いたエルマは即座に言った。
「おそらく、フェリル家の身内同士で、大きな戦になるだろうな」
その予想は、外れなかった。
ほどなくして、当主リュカオンからフェリル家の一族全体へ号令が下った。
――ガルムを討伐せよ。
もちろん、分家も例外ではない。
エルマのいる侯爵家にも、否応なく動員命令が届いた。
こうして、避けられない戦いが始まることになる。
「ロキよ。主はこの戦いに参加する必要はない」
戦いの準備が進む中、エルマは俺にきっぱりと言った。
「戦争は、屋敷の従者の仕事ではないからな」
だが――俺にとっては逆だ。
この戦いから何としてでもエルマを守り抜く。
それこそが、俺がここへ来た理由なのだから。
「そうはいかない」
俺は首を横に振った。
「あなたを守れなかったら、給金も保証されないだろ。……だから、ついていく」
俺が無理やり理由を捏造すると、エルマは一瞬きょとんとした後、小さく笑った。
「主は、本当に変わった従者だな。まあ、主の力なら心配は不要か」
こうして俺は、エルマと共に戦場へ向かうことになった。
リュカオンの号令のもとに集結した兵の数は、千を優に超えていた。
武に秀でた者、魔法を得意とする者、あるいはそのどちらでもない者までが寄せ集められている。
そんな中で、エルマは軍勢の最後方に配置された。
どう考えても主力に据えるべき存在であるにもかかわらず、である。
分家の人間に手柄を立てさせたくない。そんな意図が露骨に見え隠れしていた。
その待遇にエルマは不満そうに唇を尖らせていたが、俺にとってはむしろ好都合だった。
エルマの安全こそが、何よりも優先される。
そして――戦いが始まる。
ガルムに従う戌人たちに加え、前魔王バーゲストの軍勢を丸ごと取り込んだ敵軍は、数も力も、リュカオンが総動員した軍と拮抗していた。
だが、ガルム自身の力は別格だった。
その身体能力は突出しており、魔王となってまだ日が浅いにもかかわらず、その力は並の戌人が束になっても到底太刀打ちできない強さだった。
やはりこの戦いは、無事では済まない。
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