目立ちすぎる侯爵令嬢
エルマ・フェリル。
この町では知らぬ者のいない侯爵家の長女であり、領主である公爵家の分家にあたる名門の血筋。
家柄、才色兼備それだけを見れば、将来を約束された完璧な侯爵令嬢だ。
だが俺は、ほどなく理解することになる。
彼女の境遇は必ずしも幸せとは言えない。
「ロキ。この術式は、どう思う?」
何の前触れもなく、エルマは指先で空間をなぞった。
展開されたのは、五つの魔法陣。
擬態に近い構造の魔法陣が一つ、増幅の魔法陣が三つ、そして、内向きの力を持つ念動魔法の魔法陣。
それらが高度に連携した五重の多重魔法を瞬時に顕現させている。
魔王である俺でも、とても真似のできる芸当ではない。
だが、これが何を意味するのかは、俺の魔道具の知識を応用すれば予想できる。
「……空間を、圧縮する魔法か」
「おおっ、正解だ」
エルマは目を丸くし、満面の笑みで頷いた。
「普段何気なく使っている擬態の魔法がな、実は『空間の歪み』を伴っておるのではないか、という着想からこれを考えてみたのだ」
軽い思いつきを語るような口調だが、これまでの魔法に対する常識を覆すような内容だ。
ちなみに、彼女のこの魔法を基にして俺が未来で開発した魔道具が、空間スフィアだ。
「それにしても……」
エルマは楽しそうに俺を見上げた。
「こんな話が通じるのは、主くらいのものよ。話していて実に気分がいい」
わずか十五歳。
独力で、ここまで辿り着いている。
屋敷の使用人たちは、いつもの光景とばかりに距離を取り、静かに見守っていた。
慣れと諦めが混じった、複雑な表情。
「……また、エルマお嬢様の実験が始まりましたな」
通りすがりの老執事が、ぽつりと漏らす。
「お嬢様は、本当に末恐ろしいお方です」
「恐ろしい?」
問いかけると、老執事は苦笑した。
「フェリル家は、代々魔法を重んじる家系でしてな。エルマお嬢様は幼少より高度な魔法教育を受けておられました。天性の才能をお持ちのお嬢様は、その知識を常軌を逸する速さで習得されました」
話によれば、わずか十歳で全ての上級精霊魔法を修得したという。
本来、生涯を費やして習得するような領域を、既に踏み越えている。
「最近では、失われた古代魔法の研究にも手を出されております。さらに、このように魔法陣を自在に組み替え、独自の術式を生み出しておられる」
繊細極まりない魔力制御。
一目見ただけで高度な術式を再現し、複数同時に維持する多重展開。
天才という言葉でも物足りない。
「本来なら――称賛されて然るべきなのですが」
老執事は、言葉を濁した。
並外れた才能は、軋轢を生む。
それを快く思わない者たちもいる。
数日後、フェリル本家からの来訪があった。
公爵家の嫡流――リュカオンである。
さすがにこのときばかりは、エルマも普段の申人の擬態を解き、戌人の姿で応対していた。
戌人の姿のエルマも、白い子犬を思わせる愛らしさがある。
リュカオンは応接室に入るなり、挨拶もそこそこにエルマを一瞥し、吐き捨てるように言った。
「エルマよ、随分と好き勝手に研究しているようだな。しかも街中で申人に擬態しているという話も聞いた」
視線に、露骨な不快感が滲んでいる。
「戌人の誇りを忘れたか。恥を知れ」
だが、エルマは眉一つ動かさない。
「私は、魔法使いとしての誇りを持って研究しております。研究とは、そもそも決められた道を進むものではないのでは?」
淡々とした口調だった。反論というより、当然の事実を述べているかのようだ。
「独自に術式を組むなど、精霊への敬意を欠いた行為だ」
リュカオンは鼻を鳴らす。
「それにお前は分家の娘だ。いたずらに世間の注目を集められては困る」
エルマは、注目を集めようとしているわけではない。
ただ、その才能があまりにも突出していて、自然に振る舞っていても人目を引いてしまうだけだ。
リュカオンは、短く息を吐いた。
「……それに、古代魔法に手を出していると聞いた」
「はい。まだ、調べ始めたばかりですが」
答えたエルマに、動揺はない。
「危険だとは、思わないのか」
「思います。だからこそ、制御する必要があるのです」
理路整然とした返答だった。
恐れも、反発もない。ただ当然の前提として語っている。
沈黙が落ちる。
リュカオンとエルマは、しばし鋭い視線を交差し合った。
やがてリュカオンは、口元だけでかすかに笑った。
「……どうやら、手に負えぬようだな」
その言葉は、称賛ではない。
才能そのものではなく――扱えなさへの断定だった。
「今日はもうよい。下がってよい」
それ以上、説明も忠告もなかった。
エルマはそそくさと応接室を後にする。
扉を閉めた後で、エルマは首を傾げた。
「不思議な男だな。新しいことに対して、否定しかせぬ。やってみなければ、何も分からぬというのに」
嫌味でも、怒りでもない。本当に理解できていない声音だった。
その背後で、老執事が静かに俺へ視線を向ける。
「フェリル家は侯爵家。ですが……この町を治めるリュカオン公爵家の分家に過ぎません」
「それでも、問題があるのか?」
「ええ」
老執事は、わずかに言葉を選び、続けた。
「問題は――エルマ様が、本家の誰よりも優れておられることです」
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