ノルンの神託所
こうして俺たちは、魔王メリーとともにノルンの神託所を目指し、さらに北へ向かった。
この先は、魔王級の身体能力がなければ寒さに耐えられないと言われている。
そのため魔王ではないミーアはメープルタウンに残すことにした。本人は同行したいと最後まで食い下がっていたが、命に関わる以上、譲るわけにはいかなかった。
魔法車の車内では、魔道具式ストーブを最大出力で稼働させている。それでも、体の芯が凍りそうなくらい空気は冷え切っている。
「魔王が三人で旅をするなんて、なかなかありませんわね。何だか楽しい気分になりませんか?」
メリーが窓の外を眺めながら無邪気に言う。
「魔王は群れるものじゃないにゃん」
リリィが即座に返す。
「腹の中じゃドロドロしたこと考えながら、表面だけ取り繕うような関係にゃん」
「それはそれで、楽しめますわよ」
メリーは否定はせず、くすりと笑った。
魔法車は、白と灰しかない世界を切り裂くように、さらに北へ進んでいく。
「ところで――ノルンについては、どの程度ご存知ですか?」
しばらく沈黙が続いたあと、彼女が改めて口を開く。
「マリーから、運命を司る女神だと聞いたくらいだ。それ以上は何も」
「でしたら、道中でお話ししましょうか」
魔法車を走らせながら、メリーの説明が始まった。
「この世界が形を成したのは、およそ五万年前とされていますわ。つまり、世界の黎明。魔科学術師さんがいらっしゃったミッドガルドの世界軸では……二十五万年ほど前になるでしょうか」
二十五万年前。人類で言えば、ホモ・サピエンスがようやく現れ始めた頃だったはずだ。
「ノルンたちは、そのさらに前から存在していたと伝えられています」
「……たちということは一人ではないのか?」
思わず聞き返すと、メリーは三本の指を立てた。
「ノルンと呼ばれるのは、一柱ではありません。
三柱の女神――
過去を司るウルド、
現在を司るヴェルダンディ、
未来を司るスクルド」
確かに、俺もその名には覚えがあった。
神話として、概念として――俺のいた世界にも残っている存在だ。
「女神というからには……女性なんだよな?」
素朴な疑問に、メリーは小さく頷いた。
「はい。彼女たちは、もともとは女性の形をしていたと伝えられています。ですが、あまりに長い時間を生きるうちに、人の形を保つことが難しくなったのでしょう。やがて、ノルンたちは自然と溶け合い、その一部になった。そう語り継がれています」
人の姿を捨て、自然と一体化した女神たち。
だとすれば、こちらが言葉を投げかけて、簡単に返事が返ってくるような相手ではなさそうだ。
北へ進むにつれ、景色はさらに変わっていった。
地平は白と灰だけで塗り潰され、空と地面の境界ももはや分からない。
空気が、刺す。
息を吸うたび、肺の奥に細い氷の針を落とされるような感覚が走る。
――ここは、生き物の居場所じゃない。
外の気温はマイナス九十度前後。
防護装備なしで外に出れば、常人なら即死する温度だ。
しかも、進めば進むほど、その温度はさらに下がっているようだ。
「この温度、常に私の死の吹雪の術中にいるようなものにゃん」
エルマの教えによれば、精霊魔法は他の空間から詠唱によって力を取り出す魔法だ。
死の吹雪は『北の極地』から冷気を取り出す魔法だったはずだ。つまり、リリィの言葉はその通りで、まさにこのあたりの冷気を取り出していることになる。
ここは魔法の根源的な場所。そう考えると、とても神秘的な気持ちになる。
やがて、氷原の中央に、それは姿を現した。
ノルンの神託所。
巨大な円環状の石柱が三本。
互いに距離を保ち、正確な三角形を描くように立っている。まるで三柱のノルンたちを象徴するように。
どれも崩れておらず、長い年月を経たとは思えないほど完全で、静かな場所だった。
中央には、祭壇も、像も、何もない。
ここは――儀式を行う場所ではなく、運命の観測点。
神託所に立ち入った瞬間、俺は背中にゾクリとした感覚が走った。
寒さではない。
何かに見られている、という感覚だ。
ここでなら、理の存在と、直接向き合えるかもしれない。
「巫女たちは、どうやってノルンと対話していたんだ?」
俺が問うと、メリーは円環の中心を指し示した。
「この場所で、長く祈っていたそうです。焦らず、穏やかに、信託が降りるのをただひたすらに待つ……そのようにして」
俺は一歩前へ出て、円環の中心に立った。
さて、何を口にすればよい?
「女神さーん」
当然、返事はない。
「……やっぱり何も起きないか」
俺が肩を落とすと、メリーがくすりと笑った。
「そんなすぐに信託は降りませんよ。伝説の巫女たちは、何日もここで祈り続けたと聞きます」
そうだよな。何せ相手は理だ。そう都合よく会話になるはずがない。
俺は腹を据え、もう一度息を吐いた。
言葉を選び、ゆっくりと投げかける。
対話ではなく、祈りのように。
そうして時間を重ねたとき――ひとつ、気づいたことがあった。
俺が何かを語りかけ、しばらく沈黙すると、風の音に混じって、極めて低い音が聞こえるような気がする。
最初は氷原の唸りだと思った。
だが違う。
俺が話している間は、その音が止むのだ。
まるで――こちらの声を聞くために、向こうが声を沈めているかのように。
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