牙王の咆哮
ガルムは拳に嵌めた鉄の爪を鳴らし、一歩、踏み出した。
その瞬間、床の黒氷がひび割れ、衝撃が波紋となって広がる。
踏み込みが、重い。
巨体とは思えない高速な前進。俺との距離を一気に詰めてきた。
戌人は、寅人に次ぐ俊敏性を備えると言われている。
その評価が誇張でないことを、身をもって思い知らされる。
俺は即座に『遅延邪眼』を発動した。周囲の時間の流れが、粘つくように遅くなる俺の特技だ。音も引き伸ばされて聞こえ、あらゆる動きが水中のように鈍って見える。
だが、この鈍化した世界の中ですら、ガルムの動きは速い。迫る鉄爪を紙一重でかわし、後方へ跳ぶ。
「へえ……」
ガルムが、愉快そうに牙を剥いた。
「その動き、どう見ても素人にしか見えねえ。なのに、俺様の攻撃を外しやがる。邪眼の類か?」
俺はエンジニアであって、肉体戦闘の専門家じゃない。
『遅延邪眼』で相手の動きが遅く見えるから、近づかれる前に距離を取っているだけだ。
一方、ガルムの動きは、洗練されている。踏み込み、軌道修正、間合いの詰め直し。どれも無駄がない。
俺が下がれば、その分だけ、さらに詰めてくる。
さすがは歴戦の魔王と言ったところだ。
「――ホワイル、スリー・タイムズ。コール、トランスファー、魔道具八番。エンド!」
防戦のみでは勝機はない。俺も応戦する。
魔法陣から高速回転する三枚の魔法サーキュラーソーが出現し、唸りを上げてガルムへと射出された。
「面白え……見たことねえ魔法だな」
ガルムは身を捻り、二枚の刃の間に体を滑り込ませ、残る一枚を、両の手で挟み込んで止めた。
「まともに当たれば、無傷じゃ済まねえな。当たれば、だがな」
鉄爪越しに刃を睨みつけ、ガルムは笑う。そのまま掴んだサーキュラーソーを両手でくしゃくしゃに丸めて投げ捨てた。
「魔道具を召喚してるみてえだな。だがな、召喚できるのは、おめえだけじゃねえ」
ガルムは低く、喉を鳴らすように詠唱を始めた。
「解放、地獄門。忠実なる牙よ、闇より顕現せよ――」
門のような魔法陣が展開され、そこから這い出してきたのは、俺の体格より二回りほど大きい二体の魔獣――ヘルハウンド。
全身を覆う漆黒の毛皮は霜をまとい、大きく開いた口から漏れる吐息は、白煙となって地を這った。
次の瞬間、二体の巨獣が、地を蹴った。
速度はガルムほどではない。だが、一噛みで骨ごと持っていかれそうだ。
ヘルハウンドの一体が大きく顎を開いたその刹那。
「――トランスファー、チャージド・バッテリー!」
俺は、開いた口の中へ、高電圧モジュールを直接転送した。
次の瞬間、ヘルハウンドの顎が閉じた内部で、雷鳴が炸裂する。
ヘルハウンドの巨体が、悲鳴を上げながら横転した。
「チッ、変なもん食わせんじゃねえよ」
しかしガルムは動じることなく、距離を取りながら、低く、途切れない詠唱を始めていた。
「――彼方なる虚空より、時すら凍てつく、絶対零度の白氷……」
魔力が濃縮され、空気が押し潰されるように締め上げられていく。
『冥王氷塊!』
これは、氷系最強呪文。透明な凍てつく光体が、音もなく顕現した。
ニブルヘイムの極寒の大気ですら、さらに凍り付いていく。
だが、火炎や冷気といった温度変化を伴う魔法は、俺には通じない。
オート防御システムが温度異常を検知した瞬間、大気置換モジュールが作動し、影響範囲そのものを別の空間と入れ替える。
つまり、熱も冷気も、俺に到達することはない。
「悪いな、ガルム」
そう呟いた――その瞬間だった。
「牙王の咆哮!」
ガルムは、冥王氷塊の魔力を口の前に凝縮し、獣のように吼えた。
轟音と同時に、冷気が前方へ爆発的に拡散する。
この速度、遅延邪眼をもってしても、追えない。
俺の体表が、一瞬で白く凍りついた。
「……っ!?」
オート防御が、発動していない。なぜだ……
次の瞬間、一つの答えに至った。
「音速の攻撃か……」
ガルムの『牙王の咆哮』は、咆哮に乗せて、魔法を音速で叩きつける特技なのだろう。
熱や冷気を検知してから対処する俺のプログラムでは、音速の攻撃に反応が追いつかない。
「どうした魔科学術師。蒼月の牙王の重み、身に染みたか?」
凍りついた体の動きが鈍くなっている。同じものをもう一発食らうのはまずい。
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